コブラ・ジル。出会う

 リンは二日休むだけで元気を取り戻し。仕事をはじめ皆を喜ばせてから更に三日。

 コブラ・ジルは一日を終え寝台に入っている。

 娘一人の帰還で何が変わる訳もなく。今日も変わらず絶望的な危機と知るだけの日だった。


 今コブラを悩ませるのは壁の向こうの、目の前にいるだけで百万に及ぶ避難民である。

 残る全ての街へ限界以上に受け入れさせているが、どこも大量の避難民が流れ込んでおり混乱の極み。


 しかも街が滅んだとの報告は日々届いている。今では多くの街において一人も逃げられなかった悲劇を、救いとさえ感じていた。

 表では決して口にしない。しかし……目に見えない問題も考えれば。既にジル王国が耐えられる限界を越えているのでは。そうコブラは感じている。


 最も賢く。最も多くを知るゆえに、最も深く確かな絶望。

 せめて酒を飲もうと手を伸ばし、器に注ぎ、思いとどまる。


 一度酒を飲みだせば抑えが効かなくなるような気がした。自分に忠誠を誓い働いてる者が居る以上、意地というものが

「お休み前に申し訳ありま、おお」


 声が耳から脳へ届く前にコブラの体は反応。

 傍に置いてあった剣へ手を伸ばす動きのまま、声と逆の方向へ跳び寝台の影に隠れて剣を抜く。ところで、体の指令が脳へ戻り状況把握を始めた。


「すっご。これが覇者となった王の動きか。カッコイイなー」


 余りにのんきな男の声。害意は……感じられない。ならば、と寝台に隠れて様子をうかがい、目を疑う。

 器が、ついさっき自分の注いだ酒ごと浮いている。魔術、なのだろう。しかしこのような魔術は知らない。―――岩を飛ばす魔術の応用か?

 コブラが考えていると器がかなりの速度で飛び、今気づいた女の手に収まり、

 息を呑んだ。ここまで美しく、男を誘う女を見た事が無かった。


「どうぞ旦那様。雑な酒ですが体に悪いというほどの物は入っておりません」


「有難う。……あれ? やはり分かった?」


「分かったというのは、アレの動きで器が壊れるのではとの心配でしょうか? それともこの酒を飲みたいとのお考えでしょうか。

 しかし僕は不思議ですわ。旦那様がこの酒に感じた欲望はかつてないものでした。美味しい酒なら幾らでも用意しますのに、何故?」


「え、だって。英雄たる王が苦難の時に飲む酒だよ。興味……沸かないんだろうね。

 兎に角そういう訳で。陛下。失礼ながら頂きますね」


 そう言って男は目礼までしてコブラを内心狼狽えさせたあと、返事を待たず慎重に味わって酒を飲み、

「……んー。成程。こういう味か。

 奥さんや有難う。多分この味を一生忘れない気がする。偶に飲みたくなるだろうから、可能なら置いておいてくれる?」


「はー……。何と言いましょう。旦那様の……風流さは存じていましたけども。人の面白みを改めて感じさせて頂きました。

 酒の保存も承知致しました。雑な酒で少々屈辱ですが。否やは御座いませんわ」


 楽し気な二人の会話。その中でコブラは重圧から来る吐き気を必死にこらえる。

 それだけ異常な事態だ。

 改めて観察しても扉、壁に異常はなく窓さえ閉まっていた。なら二人はどうやって入ったのか。

 自分の動きは大きな音を立てていた。なのになぜ隣室に居る護衛が声をかけてこない?

 だが何よりも、コブラ・ジルを恐怖させるのは。


 二人の髪は高貴の漆黒。在りうべからざる完全な黒髪。

 そして耳が、自分たち人と違い、顔の横に。


 ミチザネの言葉が耳によみがえる。

『自分たちが何をしても結果は定まっている』『神が会うとすればそれは』『もしかしたら、耳が』

 そして。『決して逆らってはならない』


 かつてなくミチザネの賢さを讃える。

 確かに。どんなに小さく見積もっても、自分へ全く知られず部屋に居たこの二人なら、王である自分をなんの苦労も無く殺せるのは確定している。

 そして今自分が死ねば国の崩壊も確実。

 故にコブラは決意する。守るべきは己の命のみ。


 二人を見る。男は部屋の様子を物珍し気に見ており、女は従者の姿勢。

 少なくとも敵意がある訳ではないと心を落ち着かせる。 

 抜いていた剣を鞘に納めて床に置き、膝をつくべきか一瞬躊躇うが先走り過ぎであると判断して立ち上がり、言う。


「尋ねたい。余はジル王国が王コブラ・ジルであるが、何の御用がおありであろうか」 


 自分の声にこちらへ二人が振り向く。どうしても女の方にまず注意が向き、

 滅多に無い事であるが、背を向けて逃げ出したくなった。


 姿かたちより、目が酷かった。王である自分に心底何の価値も見出してない目。傲慢な者が奴隷を見る目とは根本から違う、ナニかに根差した目つき。

 かつてこのように人を見る者をコブラは知らない。


 しかし救いはある。男の目にあるのはまず驚き。そして好意と、ほんの僅かだが同情があった。

 男が主たる交渉者であるよう神に祈りつつ、ほんの僅か男に体を向け言葉を。いや、命令を待つ。


「ああ、突然失礼しました。ジル王国を統治する陛下と、その最側近。ついでに後継者たちへお話しがありまして。

 この屋敷にある謁見用の広い部屋。そちらへ集めて頂けませんか?

 話の内容は極秘です。集まった方々以外が知れば、お互いにとり悲しい事になりますのでそのおつもりで。

 と、いう用なのですが……当然私たちの立場の説明とかが……必要では無さそうな。

 もしかして何の説明も無く、お聞き届けくださるのでしょうか」


 どんな意味でも言われた通りにして当然だと思う。王である自分が密室で見知らぬ二人を相手にしている今が、最悪の状況なのだ。

 しかし……この二人を相手に人を呼び集めれば酷い事になるのでは。と思い、葛藤の末口答えとならないよう注意して、

「お言葉の通りに致しましょう。ただ、提案をさせて頂いてもよろしいでしょうか」


「おお。……はい、どうぞ」


 男の様子を確かめる。不快感は無い。ならば、

「何か我々へ御申しつけがあるなら、三十分、いえ十五分頂き、事が滑らかに運ぶよう余から皆へ言いつける許しを願います」


 男が目を見張り、一瞬悩む仕草を見せ、女を見て、

「私は……いや、奥さんはどう思う」


「旦那様と同じく同意できません。健気とお考えのようですが、面倒を増やすと計算いたします」


「そっか。陛下。すみませんが遠慮いたします。陛下のお言葉があれば皆、馬を鹿と言う賢さがあるでしょう。

 しかし私たちの考えでは自分のみの考えで話を聞いてくださらないと、将来問題が起こるように思えまして。すみません」


 申し訳なさそうな男の言葉に、せめて息子だけでも。との思いが一瞬胸を過る。

 だが余りに危険だった。だからコブラに言えたのは、

「承知しました。では十分お待ちいただけますでしょうか。皆を集めます」

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