トキョの街に撤退したコブラ・ジル

 撤退は獣の群れが来る前に始めたお陰で、コブラ・ジルの想定より遥かに楽なものとなった。

 何とか威厳を保持したまま王家の避難都市と定めていたトキョへ辿り着き、街が直接攻められでもしない限り起こさないよう命じて寝台の中へ。疲労もあり安らかな眠りを楽しむ。

 そしてコブラが予想していた通り。それが最後の安らかさとなった。


 各地から届く報告は全て更なる凶報と言ってよく。

 対策と言う名で論じる事は避難計画のみ。

 だからその伝令が飛び込んできた時も、議場に居ただれ一人顔も向けずただ避難計画の修正準備だけをした。


「陛下! どうか外壁内門前までおこし下さい! 友軍が、帰還致しました!」


 コブラが顔を上げ、伝令を睨みつける。聞き捨てならなかった。


「内門前、と申したか? 余は厳命したはずだぞ。如何なる者であろうとも治安維持のため街には入れるなと。誰の命で中に入れたのだ」


 今も壁の外には百万に届かんとする避難民が居る。彼らの援助の為には住民たちの統率された協力が必要であり、貴族だろうと軽々に中へ入れられない。

 しかし伝令は叱りを受けたのが意外であるかのように、

「だ、誰であるかと言えば……その、守衛長になります。

 で、ですが、王女殿下のご帰還で、しかも重要な話があり直ぐに面会を望むとのご要望が」


 コブラの眉が更に険しくなり、側近たちのある者は痛ましく王を、別の者は慮外者を見る目で伝令を睨んだ。

 叩きだしたい。と、王も思う。しかしこれだけの緊急の時。少しくらいの錯乱に何の不思議があるだろうか。


「我が子は皆この街に居る。外から来るとすれば近衛騎士のリン・ジルであるな。

 お前はリン・ジルが今。街の門の前に居ると報告しているのか?」


 王の目つきに伝令は狼狽える。しかしそれでも上に言われた通り伝えるのが伝令との表情で、

「は、はい。そう、伝えるよう命令を。小官も、以前見たのは遠目でしたが、紛れもなくリン・ジル殿下であったと……思うのですが」


 コブラがため息を吐き。立ち上がる。

―――よかろう。門まで乗馬も悪くない。



 コブラが到着した時、門は多くの民に囲まれていた。一瞬、戻ってきた兵とやらが何らかの問題を起こしたのかと思うが、むしろ喜んでいる雰囲気に内心首を傾げた所で。


「あ! 陛下っ!」


 誰かの言葉が伝搬していき居並ぶ民がその場で地に伏せる。

 お陰で門の前に居る怪我を負い、鎧を全て脱ぎ去り、疲れ切った気配の、それでも統率が取れているらしい千に近い兵たちが膝を折っているのも見えた。

―――兵が辿り着いたというのは事実だったか。

 意外な喜びに胸が弾む。

 しかしまだ表に出すのは早いと、気を付けて厳めしい声で、

「皆。立つがよい。そして道を開けよ」


『有難うございます!』


 人が分かれ。その間を近衛に守られながら馬に乗って進み、今も膝をついて顔を伏せている兵たちの長と見える者の前で止まり、馬を降りてよく観察する。


 髪が死んだ娘のように長かった。更に黒く見える一房まであった。

―――これでは娘と勘違いするのも仕方あるまい。と思う。しかし黒髪を持つ者は凡そ把握しているはずなのに、目の前の者は……。


「お前が、この兵たちの長で良いな? 報告があるそうだが」


「はっ! 我々調査兵団は、」「ま、待て! ……調査兵団と、いや、立て。顔を見せてくれ」


 声を聞いてもコブラは信じられなかった。調査兵団という名を聞いても。しかし上げられた顔は。

 疲労と、深い絶望に打ちのめされた見た事の無い様子ではあったが、

「リン……。生きて、いたのか」


「はい、陛下。命を達成できず。多くの兵を己の代わりに死なせ、此処に居ります。罰を望みます」


 相も変わらずな生真面目な物言い。近頃絶えていた苦笑が浮かびそうになるのを我慢する。

 そして気づいた。兵を殺したから。では説明がつかないほど娘の顔が暗い。

 恐らくその理由は……と考え、

「報告とは、調査隊が森の深部で獣の群れに襲われた事か? そしてもしかしたらこの国の災難が、自分たちが森で拠点を作成したからではないか。と?」


 リンが驚き、思わず。と言った風に周りを伺う。

 コブラの苦笑が更に深くなった。そんな話はとっくに噂となっている。そして決して認める訳にはいかない。


 絶望的状態ではあるが、コブラはまだ国が存続できる可能性を捨てる気は無い。

 であるからには当然この神の裁きとも噂される災害が、ジル王家以外の理由で起こったのだと示す必要があった。

 その為には民の前で強く否定する機会を必要としていて、だしにされたと気づいていないらしい。

―――いいや。それだけ疲労し、追い詰められているのだろう。


「は……その、はい。我々が森の中部で一つ目の拠点を完成させた報告は届いたかと存じます。

 その五日後、二つ目の拠点を作成中。唐突に全周を数えきれない獣に囲まれ、襲われました。

 調査兵団は抗戦し、半日近くの戦いの後、襲撃が収まりましたので撤退を。

 撤退途中合流しようとした作成済み拠点の防衛隊は全て全滅。結局、お預かりした兵の内七割を喪失しました。

 当時何か特別な発見や行動をしたという報告は無く、何故襲われたのか未だに分かりませんが……我らの何らかの行動が森を刺激し、もって国難を招いたのではないかと報告いたします」


 声を震わせ斬首を待つ罪人の顔で言う娘にコブラは―――でかした。と思う。

 誠実で、悲壮な物言い。理想的と言える。


「千人長。いや、我が娘リン・ジルよ。それは思い違いだ。

 拠点が作成された報告は確かに届いている。

 そして。報告からその五日は前にはイズミ領で森の氾濫が起きたのも分かっているのだ。これが今の所、最初の氾濫の報告となる。

 もし何者かの所為でこの災厄が訪れたのなら、イズミ領の者を一番最初に疑う事となろう。最もイズミ家は勿論、領民もほぼ死に絶えているがな。

 これは神に誓って本当の話である。落ち着いた後、出来る限りの証拠を民にも報せるつもりだ。後ろ暗い所は何も無いのだからな」


 娘の表情に驚きと、苦渋が薄れるのを確認して一つ頷き続ける。


「むしろ謝するべきは余である。

 イズミ領の災難を知り、すぐさまお前たちへ撤退命令を出しはしたが……言い訳にもならぬ愚かさよ。

 お前と、調査団の勇士たちをこの大災厄のただ中へ向かわせてしまった事を悔いぬ日は無かった。

 それが……このように皆と再び相まみえられようとは。よく帰ってきた。誇りに思うぞ娘よ」


 本心からの言葉だと伝わったのだろう。リンが喜びに輝き、しかし直ぐに暗く沈むと深い悔恨に声を震わせ、

「しかし……部下を、余りに多くの兵を失ったのは。鎧を、盾を捨て。此処へ辿りつけたのも陛下が麓の村に残してくださった立て板と、運のお陰に過ぎません。

 臣は、余りに無能です」


 娘の言葉に我慢しきれず苦笑が漏れる。

 それを驚きの目で見る娘に益々笑顔を大きくしてコブラは、

「まず死した勇猛なる兵士たちに神の祝福を祈ろう。されど……。

 皆の者、我が娘は王国数十万の戦士。百を超える都市と砦が成せなかった事を成しながら、不満でならぬらしい。

 実に豪気だと思わぬか?」


 コブラの言葉に近衛が同意の声を上げた。しかしリンは戸惑いも明らかに、

「それは、どのような意味でしょう」


「撤退の指揮で必死であったろうお前が知らぬのも無理はないが、余の知る限り此度の災厄を受けて凌ぎおおせた報告は無い。

 ガッサン砦さえ恐らくは半日持っておらぬ。余もチエテの関で精兵と戦い、何とか撃退したが関自体は壊れてしまった。此度の災厄はそれ程の物。

 なのに汝らの背後にあった非常に多くの街はな、退避が間に合ったのだ。

 余は、命を賭して獣の群れに一矢報いてくれたが故と考えていた。なのにまさか生きて戻るとは。

 娘よ。そして兵たちよ。偉業を成したと知るが良い。お前たちは我が誇りである」


「なん―――と。……は、ははぁっ。父上。お言葉、有難うございます。必ず、必ずや民と、国の為、働きます」


 涙ぐむ娘をコブラは抱きしめる。成人してからこのようにするのは初めてだった。しかも民の前で。

 決して統治の為の演技だけではないし、言葉は全て本心だった。

 娘が帰ってきたのは父としても、王としてもこの上ない慶事。しかし……それで希望が出るかと言えば……。


―――考えまい。と、コブラは思う。この健気な娘には休む必要と資格があるのだから。



*********


 ギフト有難うございます。

 月一人であろう相手にこの☆150作者を選ぶとは。

 何時の日か蜘蛛の糸や人参(マイナーかも。殆ど同じ昔話。そしてある意味ギフトくれた人に失礼)みたいな効果があるよう願っております。

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