リン・ジルの不運。それを眺める者

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 森の中に斧で木を伐る音が木霊している。

 王女リン・ジル率いる調査団の行程はこの上なく順調。

 遭遇する獣の数は想定内。川における金の発見頻度は上流に行くほど増えており、川自体も将来運搬で使えそうなほど条件が良い。

 当然の楽観的雰囲気の中、リンは最高指揮官として気を緩めぬよう必死といった状況。


 その為、物見台の鐘が鳴った時、一番に駆け付けたのはリン調査団総団長その人だった。そして問う。


「物見! 総団長リンである! 何があった!!」


「は? はっ! 前方斥候隊が一人戻って参ります! 異常な様子であります!」


「それは連絡役の者ではなく、斥候隊隊員という意味か!?」


「そうであります!」


 非常に不吉な報告だとリンは思う。

 斥候隊には常に全員で動けるよう連絡役が付けてある。

 取り決め上他の隊員が全滅でもしなければ、隊員が一人戻ってくる事は無い。

 兎に角まず話を聞くため、物見が指さす方向へ走ろうと、

 カーン! カーン! カーン!


 再び物見台の、別方向の鐘が鳴った。続いてもう一つ。更に一つと調査団が鐘の音に囲まれていく。

 リンの背中が泡立ち、重要な事を思い出した。

 此処はほぼ深部なのだ。幾ら何でも音が大きい。異常事態が起こっているというのに獣をおびき寄せかねない。


「お前、西の物見へ。お前は東、お前は北だ。鐘を止めるよう言え! それと中央会議場まで来て報告するようにも!」


 そう言って中央会議場へ戻り、集まっていた調査団幹部と共に報告を待っていたリンの元へ血に汚れ、疲れ果てた斥候隊の兵が到着し、言った。


「第三斥候隊、獣の群れに襲われ全滅です……角竜、群竜、狼まで確認しました」


 その言葉に青くなった幹部が質問をしようとしたところで、全く同じ様子で入って来た今度は連絡役だった兵が、

「第七斥候隊、獣の群れに襲われ全滅しました。棘竜、熊、他にも小さい奴らが大量に。こちらへ向かっているかは分かりません」


 次の者も、その次の者も同種の、斥候隊が獣の群れに襲われ全滅したという報告だった。

 戦いに慣れた幹部たちの顔色が土気色に変わり、内心の黒黒とした予感をあふれ出させるように幹部の一人が、

「全周を、獣に囲まれている? それに違う種の獣たちが同時に? あり得ない。かつて聞いた事が無いぞ」


「まずは斥候を出そう。特に退路。工事を中断し今すぐ前の拠点へ戻るべきだ」


「斥候はまず他の斥候隊へだろう。全て呼び戻さなければ。何か分かるかもしれん」


 喧々囂々の会議が不安という燃料で燃え上がろうとする。そこへ、

 副団長が床を鞘に納めた剣で叩き、言った。


「今出てる斥候隊は見捨てる。斥候は退路のみに。残るは斥候が帰ってくるまで全周防御の用意を。資材は全て使って良し。角竜の突進への準備を忘れるな。

 正し出来るだけ静かに。神の恵みにより起こっている何かから見逃されるかもしれん」


 余りに尖った判断だった。当然の反論が上がろうとした瞬間、

「黙れ。異論は王都に戻ってから聞く。リン総団長。ご承認願います」


 全員の目がリン・ジルへ向く。皆、王の娘が兵を大切にしていると知っており、出ている者たちの救助を命じると信じていた。

 実際リンが口を開けようとした理由も副団長への反論だった。しかし副団長の目は、切迫していた。この目を覆す根拠は、無い。

 だからリン・ジルは苦い口調にならぬよう、力をこめ、

「副長の意をとる。今、此処に居る者の生存を最優先とする。

 兵たちに伝えよ。『王の娘が共に戦う。怯えず、己と友を守れ』と。では行け」


 一瞬の驚きによる間。多くの者にとって不本意な命令だ。しかし王女の硬い声と表情の意味を理解出来ない者も居ない。


『はっ!』


 全員が弾かれたように走り出し、会議場にはリンと副長だけが残り。

 リンがやっとという感じでため息を吐く。そして、

「副長。もし私が王女でなければ斥候隊を助けたか?」


 若い質問だと副団長は思う。なのに迷わず自分の意を受けいれた。何としてでも連れ帰らなければならないとも。しかし、

「いいえ。自分は非常に不味い状況ではと疑っております。我々はご存知の通り狩りながら進んでいる。一つ後ろの拠点でも周辺を掃除し続けてるはず。なのに、ほぼ真後ろへ出した斥候隊まで全滅しました。

 更に違う種が、あの斥候隊の者たちが撤退も出来ない数で襲ったのが真実なら……口に出したくもありませんが、我らの想像を超えた最悪の状況ではないかと。

 後は王女に精鋭を連れての即撤退を望まなかった事からご推察ください」


 成程。と、リンは思う。自分の命を救う為ならそれが最善のはずだ。しかしそれさえ出来ない状況なら……。


「まずは全て杞憂である事を祈ろう。だが副長の有能さが証明されてしまった時は。

 わたしも遊撃隊として前線で戦うぞ。止めはせんだろうな?」


 リンの言葉に副長はわざとため息を見せて、

「剣より弓を訓練して頂くべきでしたな。止めは致しません。ただし。くれぐれも、自分がこの調査団で最後に死ぬべきである事は忘れないよう願います」


「……獣に生きながら食われるくらいなら自害したいのだが?」


「我らが全滅するような状況であれば苦しまずに済むでしょう。ならば兵が最後まで、一瞬でも将を生き延びさせたと満足出来るよう配慮するのが将の務めですぞ」


 嫌な事を言う。と、リンは口を曲げ、返事もしたくないので手で了承の意を示し目を瞑った。

 何らかの報告が来るまで出来る事は無い。体を休めておくべきだった。

 それに祈りは目を閉じて行うものだ。


 しかし―――。

 一時間後、祈りが届かなかったことがまず物見の声で知らされた。

 すぐさまリンは仮設された指揮所の高台に上り、見て、後悔した。

 想像もしたことの無い光景。八方から拠点に向かってくる獣たち。

 木々に隠れて正しい数は把握出来ないが、恐らくは万に近い。平野で戦えば一時間は決して持たない。自分たちは防御設備に守られているが、それでも……。


 本当の意味で絶望という言葉を知ったと思う。だが、今リン・ジルは人の上に立っていた。

 ならば能うる限り正しい目的を示すのが義務と、ただそれだけで声を張り上げ、

「皆聞け! 我らは周り全てを獣たちに囲まれ、今すぐに襲われるだろう!

 故に、この王女リン・ジルが唯一頼りにする者たちよ。生き残れ! 己と戦友を守る事だけを考えるのだ。

 そして忘れるな。王の長女、この大地で四番目に偉大な者が共に戦い、決して逃げていない事を。

 何せ逃げ道一つ見えぬからな!!」


 最後には自分が言ってよい事を言ってるのかも分からなくなっていた。それでも兵にとっては、

「は、ははははははは! 承知致しました我が王女よ!」


 副長の言葉を切欠に、全ての者が自棄に覚悟を込めて笑い、その頃には獣の群れが誰の目にも見える所へ来ていた。

 前線の部隊長たちが笑いを止め、奇しくも同じ命令を叫ぶ。


「前方を見よ盾構え! 弓、構え! 魔術は大型の突進にのみ、足を狙え! 殿下の命を忘れるな! 復唱いらーず!!」


 そして獣と絶望の二つを敵とした戦いが始まる。


******


 玉露と昔食べたのと同じ味な気がするお高い羊羹を食べながら見るは。壁一面に映されたジル王国の様々な場所で行われている死闘。

 いや、殆どは戦いになって無いか。

 う~ん。我。正に悪。という感じ。趣があってよろしい。


 その中でも一番激烈で見ごたえがあるのは―――やはり、近衛を中心とした調査団の皆さまかな。もう何時間も戦い乱れてない。

 統率、士気が違う、のだろう。そしてその中心は四方へ救援に駆け回り剣を振り回してる王女。

 華麗な動きで泥に塗れて。感心なお嬢さんだ。なんで調査団なんて危険なものに王女が居るのか理解できないけど。


 いや、違うな。これが見ごたえのある一番の理由は、他と違ってヌシのデカイ竜が居ないから。つまり、横に居られる美女様は短時間で終わらせないようにしているのだ。

 奇妙な気がする。犬耳の皆さんを面倒なアホと思ってはいても、憎んでる訳ではないと思っていた。

 なのに海老を生きたまま鍋に入れ、ゆっくりと煮て楽しむような真似を?

 何時もは私の好みに配慮して、苦しまず即死させるようにしてくれているのに。


 ……ま、良いようにして頂きましょう。

 目の前には彼女の計算の深淵さの証明が、森の獣たちが素晴らしい効率で集まり人里を襲う光景の数々が映されている。疑問を投げかけるのも愚かしい。


「調査団の戦い、面白う御座いますか?」


 ……柔らかな笑み。悲劇的死闘にこのお言葉。盛り上がってくるね。


「面白いよ。私の頃には戦争の景色と言えば、遠くからミサイルを撃つだけだった。体を寄せ合い連携し剣を振るう戦い。その本物を見られるなんてね。

 今までもいくつかは見たけど、軍の動きはやはり格別な気がする。彼らの積み上げてきた物に感動……してるんだろうな。

 何よりほぼ絶望と分かっていても折れず戦い続けてるのには敬服するともさ。

 私なら……自殺してそうだ」


「ふふふっ。この千景の計算では、旦那様があの場に居れば意地になって生き残る最善の行動をとり続けると出ておりますわ。

 そしてご慧眼です。このモノたちの動きは確かに格別の出来ですわね。想定の上限です。理由はお分かりになりますか?」


 お分かりになりますかって。分かりきってて意図が良くわからんな。


「崩れそうになったところへ走り回って塞いで立て直させてるこの王女でしょ。

 私が兵でもやる気を出すと言うか、自分より若い娘が泥と血に塗れて目の前で戦ってるのに、下手な死に方はそれこそ意地だけで拒否するよ。

 加えて彼らの価値観でも美人さんでしょ? 勿体ないのもあって自分の命より王女を生き残らせるのを優先させてしまうと思うな」


 そもそも犬耳さんたちの文化で王女を殺して生き延びたくは無い。比喩抜きで死んだ方がマシそう。


「うふっ。このような状況でも勿体ないとは旦那様らしい。

 しかしそのようにお感じなら、この者たち。生きて帰らせるのをお望みですか?」


「は? まさか。計画に途中で変更を加えると辻褄合わせが大変になるよね?

 私の時にもミズホ、Jアラート。他にも色々。何も分かってない上が好き勝手命令するわ、下に資金を回さないわで滅茶苦茶になった話が大量でね。

 聞くたびお偉方から全て取り上げろと思ったのに、同じ真似はしないよ」


「うんうん。素晴らしいお考えです。でも……実はこの愚かな嫁は計算違いをしてしまいまして。このモノ達を生きて帰らせたいのですが。

 如何でしょう。お許しくださいますか?」


「計算違い? 家内様が?」


「超性能AIと言えども計算違いくらいします。ブリキ脳だなんて酷い侮辱です」


 絶対嘘……いや、私が把握出来てない情報に変化があった可能性もあるか。

 って、何を戸惑ってる。返事は決まってるんだからさっさとしろよ。


「何にしても生き延びさせたいならどうぞ。後、私の世代では既にブリキというのが何なのか、分からない人の方が多かったからね?」


「ま、そうでしたの。……トタンなら通じますかしら?」


「少し違うけどまだ知ってる人が居たはず。普通に見かけたし。所でそろそろ調査団が限界になりそうでは?」


「おっと。ご注意有難うございます。アレらの見える範囲外の獣を引かせましょう」


 わざとらしくても感謝出来て偉い。

 して調査団は……うわぁ。本当にギリッギリで耐えきった感じ。どういう調整よ。

 しかしここを生き延びても後方に残した部隊は既に全滅してるし、計画通りなら途中で別の森から溢れた獣に食い散らかされて死ぬが……適当に調整するんだろうな。


「ふぅううううう。危ない所でしたわね。

 旦那様が見ていて下さらなければ、全滅してしまうところでした。やはり旦那様あっての千景ですわ♪」


「…………。でっけぇ安堵の息吹お疲れ様。じゃあ貧乏人は三割がやっとの緑汁、もらえる?」


 よく分からない時はカテキンに頼るべし。少なくとも落ち着けるもんな。


「はい♡」

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