第百話
ぱっちりした大きな目と、癖のある艶やかな黒髪。
桃色の唇にはにんまりと笑みを浮かべ、少女は廊下から
「あ、
馨が何か言うより先に
「ごめんね? 馨来たよって知らせに行けばよかったね!」
「ふふんっ、大丈夫。私、けー
そう言って得意げに微笑む彼女は、
叔母の一人娘で、今年高校生になったばかりである。もっとも、今はいちご柄のファンシーな部屋着を着ているせいで実際の歳よりも幼く見えるが。
馨は彼女の姿を見て少し安心感を覚えていた。
昔から兄妹同然に仲が良かったから、というだけではない。この家で自分に対して一切裏がない人間は、もはや彼女しかいないような気がしていたからだ。
「遙、久しぶりだな。元気だった?」
「元気だった! けー兄が来るの待ってたんだよ? 見せたいものあったから」
「見せたいもの?」
「うん! 実はね……私もついに、手に入れたんだ」
遙は手を後ろで組んだまま近づいてきた。
そして馨と綺の前に座り込み、ぱっと手を突き出す。
「じゃじゃーんっ」
その手に握られていたのはスマートフォンだった。カバーにあしらわれた淡いピンクの花柄が、いかにも彼女らしい。
「おお、よかったじゃん。去年から欲しがってたもんな」
「そうなの! とうとうスマホデビュー。これでやっと念願のMINEができるようになったよ」
「え、そこ? もっと他に色んな使い道あるだろ」
「んーん。それが一番やりたかったの。……だって、こういうメッセージアプリなら、離れてても好きな人とたくさん話せるじゃん」
遙はスマートフォンを握り締めて、恥ずかしそうに呟く。
その台詞に馨は思わず唖然とした。
中学生の頃までは彼女の口から恋愛の話など一度も聞いたことがなかったからだ。それよりも断然、ゲームや漫画の話題の方が好きだったはずである。
わずか3歳しか離れていないが、馨は彼女の成長を目の当たりにした気がして感動を覚えた。
「えっ、好きな人!? 遙ちゃん好きな人いるの?」
案の定、綺が騒がしく食いつく。
「う、うん。まあねっ」
「わぁー! 同じクラスの子? もうMINE交換はできてるの?」
「それが、まだ、できてない」
「えっ! そうなんだ……でも遙ちゃんならすぐできるよ。お姉ちゃん応援してるねっ!」
「ありがと……あや姉」
「そうだ、私とも交換しよう? 恋愛相談いつでも乗ってあげるから!」
綺は嬉しそうに言って自分のスマートフォンを取りに行く。すぐ余計な世話を焼きたがるのは弟相手に限った話ではないらしい。馨がその様子を呆れて見ていると、遙の視線がふと馨の方に向けられた。
「えっと……ねえ! けー兄もMINE教えてよ!」
「あー、いいよ。恋愛相談には乗ってやれないけど」
「え? でも、けー兄だってカノジョ……いるでしょ?」
「いや。いない」
できる限り表情を取り繕って返す。
姉が無言で身を乗り出してくる横で、遙も興味津々な様子で見つめてきた。
「嘘だぁ……! いるに決まってる!」
「いないって。マジで」
「じゃ、じゃあ……本当に、高3でカノジョさんとお別れしてからはいないの?」
「うん。いない」
「待ってよ馨、あの子は!? 誕生日にプレゼントくれた子! すごく良い感じだったでしょ!?」
突然、姉が興奮気味に割り込んでくる。
それが鬱陶しくて文句を言おうとした、その時──
先ほど遙が閉めた襖が、音を立てて勢いよく開いた。
遙が小さく叫び声を上げる。
こちらを冷たい目で見下ろして立っていたのは、父の
服装は空港で会った時のままだ。家に着いて早々どこかへ消えていたが、一体どこに行っていたのだろう。
「こんな時間に何を騒いでるんだ」
彼は抑揚のない声で静かに問うてくる。
「……何でもいいだろ。それより、何か用」
馨がつい棘のある返事をすると、ずっと何かの支度をしていた母が振り返って小さい声で何やら
しかし父は気にした様子もなく、なぜか姪である遙を不快そうに一瞥してから馨を見据えた。
「馨、お前に客だ。下の応接間に行け」
「……え? 『客』? こんな時間に?」
「いいから早く行け。……遙。お前はもう寝なさい」
「あ……は、はい、伯父さん」
遙が怯えた様子で返事をしている。
客? こんな時間になぜ、誰が。
頭の中で疑問が駆け巡る。そもそも、
例によって大事なことは何も伝えようとしない父に、馨はやはり無性に腹が立った。
「け、馨。ほら、行かないと」
綺が青褪めた顔で言う。先ほどの興奮は失せたらしい。
母に至っては苦々しい表情で黙り込んでいる。息子が父に逆らったことを怒っているのだろうか。
馨は漠然と嫌な予感を覚えたが、父の命令に逆らって厄介なことになるのは避けたかった。
深く嘆息してから、遙を見やる。
「行ってくるわ、遙。また明日話そうぜ」
「う、うん……明日ね」
寂しげな顔をした彼女と黙り込んでいる母と姉を残し、馨は仕方なく部屋を出た。
さっさと一階へ戻っていく父の背を見つつ、応接間へ向かおうとすると、
「坊!」
後ろから
振り返った馨を見て、彼は不安そうに眉根を寄せながら近寄ってきた。
「どうしたの。創さん」
「ど、どうってお前、今兄貴に呼ばれたろ……」
「ああ、うん。なんかお客が来てるって」
「……──くな」
「え?」
馨が聞き返したのと同時に、部屋にいた綺が慌てたように飛び出してきた。
彼女は創の腕を両手でぐっと掴み、青い顔で言う。
「創さん! こっちに来て遙ちゃんとお話してあげて? 馨は大丈夫だから」
「でも綺ちゃん、このままじゃ──」
「大丈夫だから!」
その声は震えていて、明らかに様子がおかしかった。
馨は姉を見据えて問うた。
「何の話? 姉貴は誰が来てるか知ってんの?」
「い、いいから行って、馨。お客さんを待たせたら駄目」
「知ってんのかって聞いてんだよ。質問に答えろ」
「行けば、分かるから。大丈夫だから」
「…………」
またこれか。
馨は苛立ちを募らせ、返事もせずに彼らに背を向けた。
いくら尋ねたところで答える気は毛頭ないのだろう。だったら自分で確かめるまでだ。
背後で創がまだ何か言っていたが、馨は振り返ることもなく一階へと向かった。
◇
応接間は玄関から見て屋敷の左側にある。
階段を降りて長い廊下を歩き、まずは玄関の方へ向かう。
廊下の床や壁は改修されていて一見小綺麗だが、なぜかいつでも陰鬱で薄ら寒く感じる。その上通路の照明がほとんど消えていたため、余計に気味の悪さが漂っていた。
玄関のところで右に曲がると、すぐ左手に応接間が見えた。
障子から中の明かりが透けている。
馨は躊躇う気持ちを押し殺して、障子を一思いに開けた。
──6畳ほどの和室。その中心。
木製のテーブルの向こうに、一人の少女が座っていた。
切り揃えられた純黒のおかっぱ頭、真っ白な肌。
眼力の強い三白眼を見開き、赤い唇には笑みを浮かべて馨を見上げている。
彼女の着ている黒一色の袴が、その異様さを際立たせていた。
「ああ。こんばんは馨くん。夜分遅くに失礼しています」
湿り気を感じる、妙に纏わりつくような声。
彼女は明日
名は
最後に会ったのは、大学進学の直前に曽祖父の元を訪れた時だった。幼少期に裏山で一緒に遊んだ記憶があったが、現在二人の間に親しい関係性は全くない。
「この度は急なお願いにもかかわらず、
「……こんな時間に、何しに来たんだよ」
「今回のシラハオリは、いつもと少々勝手が違います。なので、事前に説明しておかなければならないことがありまして」
累は薄ら笑いを浮かべ、向かいを手で指し示した。
「お座りください」
有無を言わせない気配を感じ、馨は敷いてあった座布団の上に座った。
それを見て累が笑みを深くした途端──
ビシャン! と音を立てて背後の障子が閉まった。
「……!?」
反射的に後ろを振り返ろうとする。しかし、突然強い力で胸倉を掴まれ、無理やり前を向かされた。
眼前にあったのは、鬼のような形相をした累の白い顔。
こちらをじっと見つめる光のない黒い瞳は、まるで底無しの穴だった。
「なっ、何すんだよ! 放せ……!」
馨は彼女の手を引き剥がそうとしたが、力が強くてびくともしなかった。
累はテーブルに身体を乗り上げ、更に迫ってくる。
とうとう両手で馨の襟元を引き寄せると──彼女は言った。
「やはり『みえない』」
「えっ……?」
「君は一体何をした?」
「い、いきなり何の話──」
「今その胸には、白羽の矢が突き立てられている」
地を這うような声は、何かの感情で震えている。
「それは
逃げ出したい衝動に駆られる。
しかし、彼女の黒い瞳から目を逸らせない。
馨は『自分の中の何か』が
────第七章 執着 へ続く────
❀❀❀・以下はお知らせでございます・❀❀❀
応援してくださっている読者の皆々様、
いつも本当にありがとうございます。
記念すべき第百話です。
この度投稿が少し遅れてしまい、申し訳ございません。
しかし、皆々様の応援があってここまで来ることができました。心より感謝いたします❀
一つだけお知らせがございまして、
近々作者の私用により、どこかで二週ほど休載期間を設ける予定でございます。
詳しいことにつきましては後日、作者近況ノートにてお知らせいたします。
近況ノートでは普段拙作の裏話や小ネタなども公開しておりますので、お時間のある時に遊びに来ていただけましたら幸いでございます。
それでは、今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます❀
香(コウ)
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