第八十六話
翌日、木曜日の昼。
「はあ? え? お前今、何て……?」
学生会館3階の食堂にて、
彼の右手は、目の前の大盛り牛カルビ丼を箸で一口掬ったまま止まっている。
「だ、だから。俺といて、変な気になったりしねえかって聞いてんだよ」
すると、悠大の呆然とした表情に怪訝さが加わる。
「んなことあるわけねーじゃん。え……もしかしてお前、そういうタイプのお人だった? ごめん、今まで気づかなかったわ」
「……違えよ。ただ、ちょっと気になっただけ」
「? どゆこと」
悠大は不思議そうに真正面から見つめてくる。
馨は視線を逸らして、手元の焼き鳥丼定食を見やった。
「いや……あのさ、俺って、愛想とかねえじゃん」
「えっどうした突然! 今気づいたん?」
「……。なのにやたら人に好意向けられるのは、なんでなのかなって。中学の頃からそうだったの、お前知ってんだろ」
「何だよただの自慢ですか。ムカつきますなぁ!」
「自慢じゃねえ。
思わず睨みつけると、悠大は口を尖らせて不満げな顔をした。
「どー聞いたって自慢じゃん……で? 何だって?」
「だから、なんで変に好かれるのかなって」
「その理由を俺に聞いてどうすんだよ? 顔とか、なんか優しくしたからとかじゃねーの? 知らんけど」
「でも……例えば、高2の時のあれ。お前覚えてる?」
「高2の時? あ〜、もしかしてあの地獄のバレンタイン?」
「まあ……それ」
面白可笑しく後付けされたその名称を馨は嫌っていたが、仕方なく頷いて言葉を続けた。
「よく考えたら、あんなになるほど他人に好意を持つって……そうそうあり得ないだろ」
「う〜ん、まあそうかもしれんけど」
──去年のバレンタインデーの朝。
馨と悠大の通っていた
理由は、告白する相手が被ってしまったからだ。
その「相手」とは言わずもがな馨のことだった。
3年生に進級すれば離れ離れになる可能性がある。それゆえ彼女らの中には焦りもあったのかもしれない。
最終的には揉み合いの末、二人そろって階段から落ちて怪我を負った。
そしてどちらの想いも実らなかった。
同じクラス内での出来事だったため、馨は一日中息の詰まるような思いをしたことを覚えている。
「まあ、さすがにあれはヤバかったかぁ。廊下全体どころか教室まで絶叫聞こえてきてたしな〜」
「
「ん〜。普段喋んなくても、一年同じ教室にいたらそれなりに好きになんじゃね? まあそいつらは極端だったけどさ」
「……」
「で? お前はそれが何だって言いたいんだよ?」
先を促され、馨は彼を見つめて口を開いた。
「……それ、全部俺のせいだったのかもしれないんだよ」
「え?」
「俺が人の気を惹く体質か何かを持ってて、皆それに影響されたんじゃないかって」
馨が言い終えると、悠大はいよいよ不審そうに眉を顰めた。
「お前マジ大丈夫? さっきからイミフ発言しかしてねえぞ?」
「そんなこと俺が一番分かってる。でも
「……ゔ〜ん」
そこでやっと悠大は考え込む仕草を見せた。
少しは懸命な訴えが彼の心にも響いたのだろうか。
「まあ確かに、お前は中学の頃からやたらモテてたな」
彼はやがてそう言った。
「俺は正直『なんでコイツこんなにモテるんだろ?』って不思議だった。俺なんて最初、お前のこと嫌いだったのに」
「……ああ。そういえばそうだったっけ」
「だって無愛想だし、俺の渾身のギャグで笑わねえし。俺が転校してきた初日、笑わなかったのお前だけだかんな!?」
「仕方ねえだろつまんなかったんだから」
「うるせえ! ……でもすぐ俺、お前がモテる理由というか、お前の周りに人がいる理由は何となく分かったんだよ」
悠大の表情は真面目なものに変わっていた。
彼は一呼吸置くと、言葉を選ぶようにして言った。
「感覚の話になるけど……お前といると、楽しい気持ちになるんだよ。なんか、自己肯定感上がる感じってーか……《何でもできる気がしてくる》って感じ?」
「何でもできる?」
「おう。『ハイになる』ってのが近いかもな!」
「……なんか嫌なんだけど」
「でも──それは変な体質の影響とかじゃなくて、普通にお前がお人好しだからなんじゃねーかと思うよ。ギャグには笑わなかったけど、俺を拒否ったりはしなかったし、むしろ受け入れてくれてたやん」
「……まあ」
「誰だって、話聞いてくれる奴は好きだろ? だから、モテてんのも同じ理由だよ。きっと」
「そう、なのかな」
馨は意外にも、その見解に納得し安心しつつあった。
もし悠大の言うとおりであれば、この現象を気にする必要は完全になくなる。
芽生えた安堵を確かなものにすべく、言われたことを頭の中で整理しようと試みる。
すると、悠大がカルビ丼をもう一度掬って言った。
「俺、恋愛的な意味はモチロン皆無だけど、人間としてはお前のことすげー好きだよ。でもって、変な不可抗力でそう思わされてるわけでもない……と思う。だから、あんま考えすぎんなし」
「……おう。サンキュ」
珍しく真面目な言葉に馨は気恥ずかしさを覚えたが、彼のお陰で不穏な予感はことさら薄れていくようだった。
◇
その日最後の講義を終え、馨は1階のエレベーターホールへと急いでいた。同じく1階に降りる学生達で混み合うエレベーターを避け、階段で下に降りていく。
何とか落ち着こうとしても、気持ちと勝手に速まる鼓動はなかなか収まらない。
それもそうだ。
これから待ちに待った《デート》なのだから。
ホールに設置されている掲示板の前で、
やっと1階に辿り着き、人混みの間を縫って掲示板前に辿り着く。
千恢の姿はまだ見えない。
連絡が来ていないか携帯を確認したが、MINEのトークルームの表示は昼に交わした会話が最後だった。
待っている間に息でも整えておこう。
そう思って馨が深呼吸をしたのと同時に──
「馨くん!」
学生達のざわめきに紛れて、澄んだ呼び声が聞こえた。
この数ヶ月間で幾度となく聴いて、二度と聴きたいと思えなくなってしまった声だ。
小さく手を振りながら、
そして馨を見上げると、花のような笑みを浮かべた。
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