第七十話

「……どうしたの? 一花いちはなくん」


 向かい合った百花ももかは傷心の表情でそう訊いてきた。

 日差しの眩しい7月の昼間であることを抜きにしても、彼女の眼差しは厳しいものに見える。


「どうって……俺のせいで嫌な思いさせたかもしれないから、謝りたくて」

「嫌な思い? 君のせいで?」

「だってお前に協力するどころか、寧々に味方するようなことしか言えなかったから。俺が邪魔したようなもんだろ」

「……違うよ」


 彼女は顔を少し歪め、苦しげな表情をした。


「君は悪くないし、邪魔されたなんて思ってない。寧々ちゃんを牽制するって目的は達成してるし。……あの子さっきは必死に取り繕ってたけど、相当焦ったはずだよ。『嘘がバレる可能性もある』ってこと、身に染みて分かっただろうね」

「じゃあ、なんで急に部室出て行ったんだよ。友達に呼ばれたなんて嘘だろ」


 彼女は視線を落とし、馨の足元の地面を睨むように見つめる。

 そして押し出すような声で言った。


「あのまま部室にいたら私、自分が何をするか分からなかったの。あの子がまた君を虚仮こけにしたから。ただそれだけ」

「……」

「だってあの子、今の時間だけでいくつ嘘をついた? どれだけ君を傷つけたら気が済むの?」


 彼女の声が震える。

 地面を睨んだままの瞳に、滲んだ煌めきが見える。


「これは私のエゴだから、君のためなんて恩着せがましいことは言わないよ。でも私は、あの子が君を軽んじるたびに腹が立って仕方ないのっ。君の前では出さないように我慢してたけど……あの子を痛い目に遭わせないと気が済まないの……!」


 彼女は腕を振りかぶると何かを乱暴に地面に投げつけた。

 砂だらけのコンクリートに叩きつけられ、真っ二つに割れたそれは、先ほど寧々が渡していた菓子だった。


「私が苦しもうがサークルにいられなくなろうが、どうだっていい。あの子のことだけは許したくない……!」


 そう言って彼女は涙を零す。


 普段は少し強引なところもあるが、想いに応えられなかった自分に「友人として傍にいる」と言った彼女。

 そんな彼女を、不甲斐ない自分のせいで泣かせている。

 馨はそれをとても苦しく思った。


「百花……ごめん。俺が寧々に何も言えないせいで、嫌な思いさせて」

「君が謝る必要なんてない。だって君が直接何かしたら、今の日常が台無しになるかもしれないんだもん……!」

「だけど、そのせいで百花を泣かせてる。俺が早く折り合いつけて寧々のことは忘れるから、お前はもう何もしなくて──」

「そんなの嫌! 納得いかないよ……!」

「俺があいつを忘れるだけでも仕返しになるって、お前言ってたろ? もう、それで十分だって」

「嫌! 私はあの子を絶対に許さない。好きな人に裏切られる辛さを、思い知らせてやるんだ。一番辛い方法で……!」


 憎しみの込もった言葉だった。

 彼女は馨の想像を遥かに超える復讐を考えているのかもしれない。

 そこには寧々に対する強い怒りがあるのだろうが、なぜそれほどの復讐を乞い願っているのか。


「……なんで、そこまでするんだよ」

「そんなの……大切な人を傷つけられたからに決まってるじゃん! 私は、君のことが本当に好きでどうしようもないのっ。昨日『魔法のせいかも』なんて馬鹿なこと言ったけどっ、心から大切に思ってるの……!」


 切実な眼差しで百花はそう言った。


 が、そのあと一瞬我に返ったような顔をし、やがて悲しげに溜め息を漏らした。


「あぁ……、もう二度と『好き』って言わないつもりだったのに」

「……百花」

「私、友達失格だね」

 

 困らせてごめんなさい、と小さく言って彼女は踵を返し、足早に中央棟の方へ歩き出す。

 その頬に少し赤みが差し始めていたのを、馨は見逃さなかった。

 

「おい。百花、待てって」

「ついてこないで! 今は一人にして!」

「でもまだ話は──」

「本当に、お願いだから……!」


 振り向かないまま声を張り、彼女はその場から駆け出す。

 馨は遠ざかる華奢な背中を反射的に追いかけようとした。彼女が怒ったとしても構わない、とその瞬間は思った。

 

 しかし、追いかけて数歩のところですぐに足を止める。

 一人にしてほしいという彼女の気持ちを考えなしに無視していいのだろうか?

 仮に彼女を再び引き留めたとして、今これ以上どんな言葉をかける?

 そんな自らの問いに答えられなかったのだ。


 彼女の姿があっという間に見えなくなる。


 ──馨はその場から動けなかった。

 彼女を追うべきかと何度も迷ったが、やはり今の自分では彼女を納得させられないという気がしていた。



 思考がまとまらないまま、やがてサークル棟の中に戻る。そして忘れかけていた自販機の前に立ち、適当な炭酸飲料を買いながら思い悩んだ。

 

 今は話せなくとも、講義が終われば同じ家に帰る。

 その時にもう一度落ち着いて彼女と話をしようと思った。

 やはり彼女自身の意志とは言え、仕返しのために苦しみ泣いている姿はこれ以上見たくなかった。


 なぜそう強く感じるのかははっきりと分からない。

 彼女を友人として大切に思っているからなのか、それとも──。


 どちらにせよ彼女と再び話をせねば、何も進まない。

 馨は独り心を決めて、部室へ戻る階段を上がった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る