第六十五話

『その感覚のせいで好きになっちゃったって言う方が正しいような──』


 百花ももかが最後にそう言ったことで、けいは彼女の一連の発言に既視感を覚えていた。


 最初に蘇ったのは、高校1年生の秋頃の出来事である。

 当時馨には初めての恋人ができたばかりだったが、そのことを承知で馨に想いを打ち明けたクラスメイトの女子がいた。


『一花くんには彼女がいるって分かってるよ。でも、いつも目で追うの止められないんだ。、苦しいぐらいドキドキするの。だからね、きっと好きなんだと思う』


 そのとき馨の目には、彼女が自身の感情を不思議に思っているように見えた。

 当時はそれ以上気にする余裕がなかったが、考えれば考えるほど今の百花と発言が似通っている。


 他にも同じような出来事はあった。

 2年生の時に放課後の駐輪場で出くわした、見慣れない後輩。

 彼女は顔を合わせるなり、「先日見かけた時から夢に見るほど気になっていた」とせきを切ったように告げたのだ。

 ついには連絡先の交換なども通り越して交際を申し込まれたため、馨はひどく困惑した覚えがあった。


 その類いの出来事は小学校の高学年辺りから徐々に増え、馨にとって憂鬱なものとなっていた。

 勿論、一度目にしただけの相手を好きになるのはただの一目惚れで、なんら問題も違和感もない話だ。

 しかしそれが偶然ではないのだとしたら──


「とは言ってもね、」


 百花が真剣な表情のまま口を開く。


「君に一目惚れしたのは勿論、見た目が素敵だったからって理由もあったよ? ただそれより先に、『君のまとってる見えない何かに本能的に惹き寄せられた』って感じがして……」

「見えない……何か」


 他人を惹きつける超常的な力を無自覚に持っていて、それが彼女達に作用したと言うのだろうか。

 馨は途端に自分自身が奇妙に思えた。


「ねえ。サークルの先輩達が、陰で君のこと何て言ってるか知ってる?」

「え……? いや、知らない。クソ生意気、とか?」

「ううん違うよ……あっ違くはないか。でも他にも『無性に目につく』とか『いじりたくなる』ってよく飲み会で話してたんだよ。実はそれも、その見えない何かの仕業なのかなって」

「……さすがにそれは違うだろ」

「でも君のことが気になって仕方がないっていう点では一緒な気がするんだよ……うーん」


 彼女は考え込む様子で馨をじっと見つめた。

 そんなまじめな表情を珍しく思い、馨も彼女を見返す。


 揃って沈黙すると、テレビの音だけが室内に響く。

 いつまでそうしていたか分からないが、


「あっ……、分かったかも!」


 彼女はやがて声を上げ、顔を輝かせて手を打った。


「え、分かった?」

「うん! ああ、なんで思いつかなかったんだろ? 簡単なことじゃんっ」


 緊張が解けたような笑顔を浮かべる彼女。なぜか馨は胸騒ぎを覚える。

 彼女は得意げに、右手の人差し指を立てて言った。


「正体はね……性フェロモンだよ!」

「…………は?」

「えっ、知らないの? 性フェロモン。生物が交尾するために異性を誘う匂いというか化学物質的なものだよ」

「し、知ってるわ。……でもその言い方やめろ」

「きっと君がそれを高濃度で周りに見境なく振り撒いて、誰彼構わず誘っちゃってるんだね」

「やめろっつってんだろ」

「あはは♡」

「笑ってんじゃねえ」

「そんな怒らないでよぅ。まあ……フェロモンなのか魔法なのか分からないけど、よく考えたらどっちでもいっか! 別にそれで君への印象が変わるわけでもないし」


 百花は可笑しそうに笑って言った。

 まさか、最初からふざけていたのだろうか。

 馨は真剣に取り合った自分が馬鹿らしくなって溜め息をついた。


「適当言いやがって。まじめに聞いて損したわ」

「そうだったの? ごめ〜ん」

「だって実際……今までもお前と同じようなこと言ってた人、いたから。その、自慢とかじゃなくて。だから本当に何かあんのかなって思ったんだよ」

「そりゃあそんな子いっぱいいるでしょ〜? 君は君が思ってるより素敵な人なんだから」

「……な、なに調子のいいこと言ってんだよ」

「私も最初はそういう不思議な一目惚れだったかもしれないけど……今、君のことすごく好きだもん。何かに仕組まれたものなんかじゃない。きっかけが何だったとしても、私の意思で感じてる、心からの気持ち」


 思いがけずまっすぐな言葉だった。

 照れと高揚感が湧き上がり、頬や胸の辺りが急激に熱くなる。

 その熱を冷まそうと押し黙っていると、彼女は顔色をうかがうように身を乗り出してきた。


「信用ならないかな。でも本心だよ? 君の表情も仕草も声も、考え方も優しさも、ちゃんと全部──」

「百花」

「ん、なあに?」

「それは、言わなくていい。もう、分かったから」

「……あっ。ごめん」


 百花は口元に手をやったあと、


「またついうっかり出ちゃったよ……こんなこと言われても困るよね、あはは。さて、そろそろ片付けないと」


 と苦笑いを零して立ち上がり、空いた食器を持ってキッチンへと行ってしまった。


 しかし馨は彼女の素直な想いを迷惑だと思うどころか、心が満たされるような感覚すら覚えていた。

 言葉を遮ってしまったのは、そんな自分が恥ずかしかったからだ。


『きっかけが何だったとしても、私の意思で感じてる、心からの気持ち』


 その言葉が、大学で鉈落なたおちの言っていた台詞とも重なる。

 馨が身体の繋がりをきっかけとして恋心を抱いても、それが本当の気持ちならば後ろめたく思う必要はないのかもしれない。

 しかし、百花への情が恋心か否かは勿論、寧々ねねを忘れられたかどうかもまだ分からないのだ。


 馨はキッチンに立つ後ろ姿を見つめたが、すぐに目を逸らした。


 やはりこの状態では百花を意識する資格さえない。

 そう思わずにはいられなかった。

 

 ◇


 二人はそれぞれ入浴を済ませた後、どことなく気まずい雰囲気を引きずったままリビングにいた。

 百花はレポートを書いているのか、ノートパソコンからじっと目を離さずに文字を打っている。馨は結局そんな彼女に遠慮して、歌ではなくギターの練習をしていた。


 相変わらず、彼女は練習中ほとんど干渉してこない。普段の妙に人懐こく妖しい振る舞いは鳴りをひそめるのだ。

 そういう約束なのだから当然なのだが、明らかに馨はその落差に振り回されていた。


 ぼんやりと弦を爪弾つまびいていると、不意に床に置いていた自分の携帯が振動し始めた。

 ヘッドホンを外して本体を掴み上げて──思わず固まる。

 

 着信画面に表示されていた名前は「あじむ ねね」だった。


 驚きで指が動かず、「応答」のアイコンを押すことができない。

 MINEのチャットではなく、なぜ電話をかけてきたのだろうか?

 そんな疑問と不安が瞬時に頭を駆け巡った。

 

「どうしたの? 出ないの?」


 すぐ近くで百花の声がする。馨は我に返って振り向いた。

 彼女はいつの間にか傍らにしゃがみ込み、首を傾げていた。


「いや、だってさ──」

 

 馨が言う前に彼女は画面を覗き込み、少し目を細めた。

 そして馨の手からそっと本体を取り上げ、再び不思議そうに首を傾げる。


「寧々ちゃんじゃん。出てあげなよ?」

「……何の用事か分かんねえし」

「大丈夫だよぅ、隣に私がいるから。こんな時間に急にかけてきて、一体何の話をしたいのか気になるじゃんか」

「それは……」

「出てあげようよ。ね?」


 百花はそう言うと、馨の方に画面を向けたまま──「応答」をタップする。

 そして更に音声出力をスピーカーに切り替えた。







✼••┈┈┈┈以下、作者より┈┈┈┈••✼




皆さま、いつも沢山の応援やご感想をありがとうございます。

本日分の近況ノート(2/21 夜10時ごろ更新予定)で

ささやかなお知らせを致しますので、お時間のある時にチェックしていただければと思います❀

香(コウ)

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