第六十二話

 けいは怒りさえ宿っているような悠大ゆうだいの眼差しを見返し、目を瞬かせた。


「は? な、何。何の話?」


 百花ももかとの間にあったことがばれたのだろうか──そんな不安が一瞬よぎって焦る。隠していることと言えば、それくらいしか思い当たらなかった。

 

 そんな戸惑う馨をよそに、悠大は悔しそうに顔を歪ませて拳を握る。


「何って、一つしかねえだろが! 百花ちゃんと、淀名和よどなわ先輩! バンドに誘ったんだろ!? なに抜け駆けしてんだよ!」

「……え、ああ。まだ先輩からはOKもらってないけど」


 馨はそう答えつつ内心ほっと胸を撫で下ろした。広まっていたのがでよかったと。

 しかし一体どこから広まったのか。内緒にはしていなかったが、特に言いふらしていたわけでもないのに。


 まさかと思い、馨は同じくそのバンドに誘った鉈落なたおちを見やる。

 すると彼は慌てて首を横に振って、騒がしくテレビゲームをしているツインテールの背中を指差した。

 3年の高蜂谷たかはちや 謳香おうかだ。

 高蜂谷は視線を感じ取ったのか、不意に振り返って馨を見た。


「私が雪之丞ゆきのじょうから聞いて、皆に話したんだよー♫ 言っちゃだめだったー?」

「い、いえ……」


 纐纈はなふさ 雪之丞ゆきのじょう──たこ焼きの亡者こと淀名和を捕まえる方法を馨と百花に教えた、背の高い赤髪の3年生だ。

 彼と高蜂谷は仲が良い。情報がそちらに流れるのは、当然と言えば当然だった。


「つーかお前! 別に百花ちゃんと仲良くなかっただろ!? いつの間にバンドやろうって話になったんだよ!」

「……確か、ライブの打ち上げの時、だったかな」


 悠大に肩を揺さぶられながら答える。

 厳密に言えば嘘だったが、面倒な事態を避けるためにもそう言うしかなかった。


「しかも先輩にも声かけやがって! 女の子はべらせて何がしてえんだお前は!」

「そんなんじゃねえよ。鉈ちもいるし、普通のバンドだわ」

「うるせえ! 俺だって、俺だってやりたいのにッ……!」

「だったらやりゃいいだろ」

「いや、まあそうなんだけど……!」


 悠大はなぜか言いにくそうに口ごもる。

 彼がやたらと息巻く理由も分からず、馨は首を傾げつつソファに座った。さりげなく部室全体を見回したが百花は来ていないようだ。


「ね、ねえ馨くん!」


 ふと、鉈落の隣で床に座っていた寧々ねねが身を乗り出してきた。膝の上には手作りであろう弁当箱が広げてある。

 彼女は目を輝かせ、愛嬌のある笑みを浮かべて言った。


「あのねっ、私、もう歌の練習始めたの。夏休みのライブに向けて!」

「そう、なんだ」

「うん! それで、時間のあるときに馨くんにも色々教えてほしいなって思ったんだけど……今日の放課後とか空いてないかなっ?」

「……ああ、ええと」


 その誘いに馨はいささか面食らう。あれからすっかり彼女とは自然に会話ができなくなっていた。目を合わせただけでも、決して明るくはない感情が勝手に心の隙間から湧いてきてしまう。


「ごめん、今日は用事あるから」


 馨は購買で買った弁当に視線を落としながら答えた。嘘ではなかった。

 百花の家に泊まり込むため、自宅に必要なものを取りに帰る予定だったのである。


「そっかっ。じゃあ今週、他にどこかで空いてる日はある?」

「……今週は、淀名和先輩に出された課題やらなきゃいけなくて。ちょっと余裕ないかも。ごめん」

「そうなんだ……じゃあ、仕方ないねっ。淀名和先輩って厳しそうだけど、頑張ってね!」


 寧々は一瞬寂しげな目をしたが、すぐににっこりと微笑んでそう言った。


 その反応は純粋なものに見える。馨は思わず薄情すぎたかと不安に駆られたが、それすら彼女にとっては作戦なのかもしれない。

 どちらにせよ、夏休みのライブまでにはまだ十分な時間があるのだ。

 馨は、優先順位を考えれば致し方ないことだ、と無理やり自分を納得させるのだった。


 ◇


 その日の夕方6時を過ぎた頃、自宅にて。

 馨は独りで黙々と荷造りをしていた。今は、引っ越し以来クローゼットに眠っていたボストンバッグに着替えなどを詰めている最中だ。


 それでも、このあと再び百花の家に行くのが信じられなかった。

 本当にあの場所で1週間のあいだ無事に過ごせるのだろうか?

 昨夜の自分を振り返ると、そうは思えない。しかし一方で練習が捗ったのも事実である。

 何が正解なのか答えが出ないまま手を動かしていると──突然、ポケットの中で携帯が振動した。

 取り出して見た着信画面には、「淀名和よどなわ 夢舞ゆま」と表示されている。


 予想外の相手に馨は戸惑ったが、無視する理由もないため応答することにした。


「はい、もしもし」

一花いちはなか? 私だ、淀名和だ』

「お疲れ様です、先輩。何かご用でしたか?」

『うむ。そうなんだ──あ、別に君に告白しようとしたわけじゃないからな。そこは期待するなよ』

「しませんよ……それで?」


 一見まともな様子だと思ったのも束の間、やはり最初の時と変わりない。

 馨は肩を落としつつ淀名和の言葉を待った。

 すると彼女は間を置いて咳払いをしてから、やっと話し始めた。


『試験の詳しい日時と場所を決めたから、知らせておこうと思ってな。来週の……えーと、いつだ? 《たこ屋キッチン》が来る日だから、そう、火曜日だ。火曜日の午後6時半に、部室に来てくれ』

「部室ですか? でもその時間なら、まだ人がいるんじゃ……」


 周りの先輩にどやされながら演奏するのは御免だ。馨が内心そう思っていると、淀名和は得意そうにフンと笑った。


『当日は二人きりだ、安心してくれ。部長のあずまに人払いを頼んでおいたからな』

「え、本当ですか。ありがとうございます」

『うむ! だから君は、一切遠慮せず私に想いの丈をぶつけてくれていい』

「……先輩。念のためですけど、俺はバンドを組んでほしいだけですからね」

『あ!! でも二人きりだからって何でもしていいわけじゃないからなっ』

「え?」

『そういうのはほら、丁寧に仲を深めていくものなんだろう? はやる気持ちも分かるが、告白が実ったらまずは一緒に屋台に並んで、もち明太チーズを二人で半分こ──』

「ら、来週の火曜日、午後6時半に部室ですね。当日よろしくお願いします。それじゃあ」


 淀名和はまだ何か興奮気味に語り続けていたが、馨は軽く頭を下げて通話を切った。

 他の先輩と違って、彼女は悪人ではない。しかし確実に厄介だった。

 携帯をポケットに戻そうとすると、MINEのメッセージが入る。

 淀名和からだった。


〈やっぱり君はもち明太チーズが苦手なのか?〉


 馨はその一文を見なかったことにし、返信せずに画面を閉じた。

 試験に合格する意志が薄れてしまわないように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る