第五十六話

「あはは、それすっごく面白〜い」

「……笑いすぎだっての」


 淀名和よどなわを勧誘した日の夕方。

 学生会館2階のラウンジにて、けいはテーブルで向かい合っている百花ももかをじっと睨みつけた。

 昼間の件を報告するために二人で会っていたのだが、話を聞いた彼女は暢気のんきに笑い始めたのだ。


「マジで大変だったんだからな。あの人多分、高蜂谷たかはちや先輩より話通じないぞ」

「え〜、君に好かれてると思い込んじゃっただけでしょ? 可愛いもんじゃん」

「どこがだよ……しんどいって」

「それか、君が先輩に勘違いさせるようなことしたんじゃないの?」

「はあ? するわけねえだろ。……ていうかそんなことより」


 突拍子もないことを言う百花に、馨は淀名和よどなわからもらった紙きれをもう一度見せた。

 彼女が馨に提示した条件が裏と表に書かれている。


「重要なのはこっちだよ。……ちゃんとやるつもりだけど、まさか俺だけやらされるとは思わなかったわ」

「あ〜これねぇ。1週間でやれって言われたんだもんね?」


 百花は紙を受け取ってしげしげと眺めた。


「どれもJ-ROCKかぁ。『指先sadismサディズム』の『轍』、指定楽器はキーボード・弾き語り。『Awful オーフル Companyカンパニー』の『未確認生物』はギター・弾き語り。『No.06ゼロロク』の『再生』はベース。『庵乃あんの 百舌もず』の『神楽』はギターボーカル。庵乃 百舌なんて女性アーティストなのに、君にやらせるんだね」

「はあ……別に俺、音域が広いわけじゃねえんだけどな」

「試験だし、きっと文字どおり君を試したいんだよ。それに『神楽』結構いい曲だよ。知ってる?」

「いや。聴いたことない」

「そっかぁ。えっとね、こんな感じ」


 百花はそう言って不意に歌い始める。

 その歌声に馨はある意味どきりとしたが、とりあえず耳を傾けた。女性アーティストにしては全体的に音程が低い曲らしい。

 数フレーズ歌い終えたところで止めて、彼女は馨を見た。


「どう? クセはあるけど良い曲だと思わない?」

「あー……まあ、確かに」


 頷きつつ、馨はそっと彼女から視線を外した。


「ていうかお前──歌、下手くそだな」

「こらこら、いきなり何てこと言うんだね君はぁ」

「お世辞言おうとしたんだけど……さすがにまるっきりの嘘は言えなかった」

「ひどーい。追い討ちかけないでよ? ……ま、下手なのは自覚してるけど」

 

 百花は溜め息をついて軽く肩を竦めた。


 彼女の歌声は確実に、音も外れていて少し拙かった。

 だが聞き苦しかったわけではない。馨はむしろそこに可愛げを感じてしまったのだ。

 そのせいで、思わず照れ隠しのような辛辣な評価をしてしまったに過ぎなかった。


「でも、さすがに言いすぎた。悪い」

「ううん。全然? だって実際下手だから。上手いねとか言われる方が白々しいよ」


 百花はそう言って笑い、再び紙を指差した。


「それより君、キーボードとかベースは家にあるの?」

「いや、ギターだけ。だから、他の練習は部室でする」

「え、部室? あそこ先輩達の溜まり場だし、そんなの無理じゃない?」

「……そこは何とかするしかねえだろ」

「1週間しか練習時間ないのに、あの人達の相手してる暇なんてないよぅ」

「だけど、スタジオ借りるのは料金も馬鹿にならねえし」

「むぅ。それは確かにそうか──あっ」


 百花は困った顔で首を捻ったが、すぐに何か思いついたらしく突然すっと席から立ち上がった。

 そして胸の下で両腕を組み、なぜか得意げに微笑む。


「ふふ。そんな君にぴったりの場所……ひとつだけ思いついたよ、私」

「え?」

「ベースもキーボードもあって、邪魔してくる人もいなくて、何より無料で借りられるの。それに君の家からも近い。いい条件だと思わない?」

「……本当にあるならすげえ借りたいけど。どこ?」


 唐突に示された夢のような条件に、馨は素直に期待して尋ねた。

 すると、彼女は悪戯っぽく笑みを深くして答えた。


「それはね……私の家♡」

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