第五十一話

 寧々ねねの申し出にけいは内心ひどく狼狽えた。

 じっと待つ彼女の瞳は期待を湛えているように見える。

 とにかくこの場を切り抜けなければならない。

 そう思って何とか絡まる思考を必死に巡らせた。


 ──彼女はあの夜、告白されるだろうと確信していた。

 それもそのはずである。そのために彼女は今まで偽りの自分を演じていたのだから。

 己の企てが上手くいって、北叟ほくそ笑んですらいたかもしれない。

 百花ももかもそう指摘していたことを思い出す。

 残念ながら、これが真実なのは間違いないのだろう。

 

 だとしたら、叶わなかった想いを今ここで吐露しては寧々の思う壺だ。

 今も残る恋しさに縋りついたら最後──彼女が満足したのちに捨て去られる。

 使い捨ての玩具と変わりなかったと思い知らされ、自分の価値すら分からなくなってしまう。


 だから口にしてはいけないのだ。

 どれだけ悲しくても、彼女が惜しくても。

 

「ああ、えっと……俺が言おうとしてたこと、か」


 馨は自分でも理由が分からないが、苦笑を零していた。

 本当は泣きたかったのかもしれない。


「うん……! 大切な話だったでしょ? 私、あのとき聞かないで帰っちゃって後悔してたのっ」

「そっか。でもそれ……もう言う必要なくなったから」

「……えっ? そっそれ、どういうことっ?」

 

 寧々は目を丸くし、悲しそうな声を上げる。


 今ここで彼女を糾弾したり、何か仕返したりするつもりは馨にはなかった。

 そんなことをすれば、せっかく悠大ゆうだい鉈落なたおちと始められたバンド活動まで無くなってしまうかもしれないからだ。

 その代わりに、馨は思いついていたことを口にした。


「実は今日、寧々に先に言われたから。それで言う必要なくなったってこと」

「え? えっ、私……?」


 悲しげだった寧々の頭上に疑問符が追加されていく。


「わ、私、今日何か言ったかなっ?」

「うん。ほら、さっき言ってたでしょ。一緒に歌いたいって」

「……え────」

「その、俺も前から提案しようと思ってたんだ。悠大も言ってたけどさ、寧々の声って、弾き語りで映えるんじゃないかと思って」

「そ、そんな……」


 寧々は取り乱している様子だった。

 馨の言葉が予測していたものとまるで違ったからだろう。

 露骨にその瞳が潤んでいて憐れに映ったが、馨にはどうしてやることもできなかった。


「まさか寧々から言ってくれると思わなかったから、さっきはびっくりしたわ」

「え……あっ、あの、馨くんっ」

「何?」

「本当に話したかったことって……それ、だけ?」

「うん。そうだよ」

「何かもっと……だ、大事な話があったり、しない?」

「もっと大事な? ごめん。これ以外は……特に何もないけど」


 馨は必死に表情に出さぬよう努めて言った。

 白を切るたびに、心が死んでいく感覚を覚えていた。


「ほ、ほんとに……?」

「うん。まあ、俺の話はそういうことだから。練習大変かもしれないけど、頑張ろう」

「えっあっ……う、うん……」

「それじゃあ、また」


 馨は立ち尽くす彼女に手を振り、踵を返した。


 胸の奥がずきずきと痛む。行き場のない悲しみや虚しさが込み上げて、思わず唇を噛んだ。

 しかしす術はない。

 あの日々はもう戻らない。



 ◇◇



 その夜、馨は食事しながら陳腐で平和なテレビ番組を観ていた。

 それでもふとした時に、先ほどの寧々の顔が浮かぶ。

 一体どうすれば彼女を思考から追い出せるのか、全く分からずにいた。


 何気なくチャンネルを変えようとリモコンに手を伸ばす。

 そのとき、隣に置いていた携帯のディスプレイが点灯しているのに気がついた。

 来ていた通知は、百花ももかからのMINEだった。


 その名前を見て少し心が揺らぐ。

 事情を知っている彼女になら、今日あったことを話してもよいのではないだろうか、と。

 しかしまだ素直に彼女を頼るのを躊躇ためらっていた。それに、先ほどの出来事を思い起こすのはまだかなりの苦痛が伴う。

 馨は迷いながらMINEのトークルームを開いた。


〈こんばんは〜ꕤ 今日は一日どうだったかな。

 何か変わったことはなかった?〉


 一見すれば他愛のない問いかけ。

 だが今日はライブの日以降馨が初めて寧々と顔を合わせる日だったため、百花なりにそれを案じていたのだろう。


 馨は思ったままを文字に表そうと試みたが、やはり躊躇いや苦痛に邪魔をされた。


〈まあそれなりに〉


 悩んだ末一言だけ返す。我ながらどうとも取れる曖昧な言葉だと思っていると、すぐに返事が来た。


〈それじゃあ何も分からないなぁ(´・ω・`)՞՞ だって今日あの子に会ったんだよね? なんともなかった?〉


 案の定はっきりとそう聞かれてしまう。

 だが何事もなかったと強がることも、ありのまま素直に打ち明けることも容易ではなかった。


〈ごめん。どう言ったらいいか分からない〉


 馨が短く返事を返すと、メッセージが少し間隔をあけて2つ送られてきた。


〈なるほどね、分かった。心配だけど急かしたりしないよ。気持ちの整理がついた後でもいいから〉

〈でも、その話とは別にバンドのことで1つお知らせがあるんだ。話していいなら、返事くれると嬉しいかな❀〉

 

 百花が予想よりも執拗に探ってこず、馨は意外に思った。

 寧々のことと無関係ならば、話しても特に支障はない。むしろ気が紛れてちょうど良いのかもしれない。

 そう思って馨は返信を打った。


〈いいよ。話して〉

〈ありがとう❀ 良いお知らせなんだけどね、なんと! やっと淀名和よどなわ先輩と会えるかもなんです♡〉

〈かも? ていうかまだ会えてないのかよ〉

〈うん(笑) まあ色々あってねぇ〉


 その一言のあと、間を置いてメッセージが追加される。


〈文章で説明するのちょっとタイヘンだからさ、今電話してもいいかな?〉


 彼女の急な提案に馨は少し戸惑った。

 通話となると、どことなく気がそぞろになる。


〈いま飯食ってるんだけど〉

〈だったらなおさら電話にしようよ? スピーカーあるんだし、手が自由な方が楽じゃない?〉


 残念ながらその通りだが、そういう問題ではなかった。

 馨が何と言って断ろうかと考えている内に、またしても彼女からメッセージが送られてくる。


〈私も作業中だから手空いてた方が楽なの。じゃあ今こっちからかけるね〜〉


「いや……いいって言ってないし」


 思わず独り言ちたのと同時に、携帯が振動した。

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