第三十九話

 百花ももかのその一言に、けいはひどく慌てた。

 ここで寧々ねねへの好意をはっきり否定しなければ、惨めに失恋したことまで知られることになる。

 それは絶対に嫌だ。馨はそう思った。


「ち、違う。適当なこと言うな」

「適当じゃないよ? 見てたらすぐ分かる。寧々ちゃんと話してると幸せそうだし、いつも目で追ってたから」

「お前の勘違いだろ」

「ううん。君の中であの子は特別なはずだよ。すごく好きなんだろうなって、いつも思ってた」

「……好きじゃない」

「好きな子があんなに激しくキスしてるとこ見ちゃうなんて、可哀相にね」

「だから、違うって」


 馨は耳を塞いでしまいたかった。しかし、そんな振る舞いをすれば好意を認めてしまったも同然である。


「私ね、さっき向こうの席で寧々ちゃんといろいろ話したの」


 彼女は馨が黙っているのにも拘らず話し続けた。

 馨は先ほど二人が話し込んでいたのを思い出したが、あの時はどんな内容なのか予想もしていなかった。


「あの男の人、寧々ちゃんの彼氏なんだって。まあ、もう分かってると思うけど。夜遅くなると、いつも彼から連絡が来て怒られちゃうらしいよ。今日もそうだったのかな?」

「……」

「言われてみれば寧々ちゃん、飲み会最後までいたことないよね」


 寧々はいつも母親が兄の携帯を使って電話をかけてくると言っていた。

 しかしあれは嘘だったのだ。


 「亮輔」は兄ではなく、あの青年恋人なのだから。


 彼女はなぜそんな嘘をついたのか。

 馨は酒に酔った頭で必死に考えたが、何も分からずただ悲しくなるだけだった。

 加えて隣で話し続ける百花のせいで着実に追い詰められていく。


「彼氏、すごくやきもち焼きなんだって。飲み会の場に男の子がいたりしたら、ちょっと連絡返さないだけですごく怒るみたい」

「……」

「束縛が強いのかな? でも愛されてると言えばそうなのかもね。寧々ちゃんも、そういうところが良くて一緒にいるのかもしれないし」

「……やめろよ、そんなつまんねえ話」

「嫌だった? でも別にあの子のこと好きじゃないんでしょ? じゃあただの雑談として、少しくらい付き合ってくれてもいいじゃん」


 馨は心の中で悪態づいた。

 彼女の目論見は分からなかったが、馨が寧々への好意を白状するのを待っているようだった。

  

「寧々ちゃんも大変だよねぇ。彼かなり熱くなりやすい人で、一度スイッチ入るとと止めるのが大変なのって寧々ちゃん言ってたよ。……だからあんな場所でキスしちゃったのかな? ふふ、家まで待てばいいのに」

「……」

「もしかしたら寧々ちゃん、今頃はもうキスの続きもされちゃってるかもね?」

「! お前、いい加減にしろよ。つまんねえって言ってんだろ」


 辛い気持ちを隠し、精一杯の虚勢で彼女を睨みつける。

 すると彼女はふっとその表情から笑みを消して、物悲しそうな眼差しを馨に向けた。


「一花くん……。もう、何でもないふりするのやめよう」


「は? な、何がだよ」

「さっきまで君、与那城よなしろくん達と笑って騒いでたけど、ふとした時に暗い顔してたの知ってるんだよ。寧々ちゃんに彼氏がいたの、ショックだったんでしょ? 裏切られたような気がして悲しかったんでしょ?」

「……」

「嫌な話ばっかりしてごめんね。なかなか素直になってくれないから、つい意地悪なやり方しちゃった。ほんとはただ話を聞いてあげたかったんだけど」


 馨は不覚にも心が揺らぎそうになった。

 酔っているせいもあるかもしれないが、誰かの慰めを欲していたのかもしれない。

 しかし目の前の彼女にそれを求めるのは、すんでのところで自尊心が拒んでいた。


「……お前に聞いてもらう話なんてない」

「まあ、そうだよね。君、全然気を許してくれないしね」

「分かってんならほっとけよ」

「だけど、これ以上見てられなかったんだ。寧々ちゃんのことが好きで仕方がなかった君が、本当に可哀相で」


 彼女は静かにそう言う。


 寧々の笑顔や今まで交わした言葉を思い出し、馨は胸が苦しくなった。

 ずっと期待はしないようにしていたが、それでもどこかで彼女も同じ想いでいると信じていたのだ。

 しかし、彼女にとっての大切な存在は自分ではなかった。


 せっかく紛れていた虚しさが湧き出るように蘇る。

 馨は全て忘れてしまいたいと思った。

 今日見た光景も、寧々への好意も。


「忘れたい? あの子を好きだったこと」

「……え」


 頭の中を読まれたのかと思い、馨は驚いて百花を見た。

 彼女は明るい茶色の瞳でまっすぐ見返してくる。

 その声は静やかで優しく、心の隙間に入り込んでくるようだった。

 深く酔った頭でふと考える。

 もう虚勢を張る必要などないのではないか。


「……忘れられるなら忘れたい」


 気がつけば、そう口に出していた。

 

「そっか、じゃあ──」


 百花は馨に身を寄せて囁く。


「ひとつ聞くけど……、君はあの子のこと知ってから忘れたい? それとも何も知らないままでいたい?」


「……どういう意味だよ」

「私、君が知り得ないことを知ってるの」


 馨は思いがけないその言葉にそこはかとなく不安を覚えた。

 知りたくもなかった事実をつい先ほど突きつけられたばかりなのに、これ以上何を知れと言うのだろうか。


「本当はもう君の悲しむ顔は見たくないよ? でも、この話をした方が君の傷は拡がらないし、どうにか君が自分の大切さを見失わないで済むと思うんだ」

「……何だよ、それ」

「訳分かんないよね、ごめん。とにかく、君が知りたくないって言うなら私はもう黙る。だけど知りたいならちゃんと話すよ。どうする?」


 問いかけてくる彼女の顔つきは真面目なものだった。

 馨は一瞬躊躇った。

 だが、彼女の台詞を聞き流すことはもうできそうにない。


「……なら、話して」

「うん。分かったよ」


 百花はそう言って一呼吸置くと、少し沈んだ声音で語り始めた。


「前にさ、私が怪我して君に助けてもらったことあったでしょ? 覚えてるかな。飲み会を抜けた君と寧々ちゃんに、私が後ろから声かけてさ」

「……ああ」


 馨は頷きながら、同時に百花に告白されたことも思い出した。


「あれ、君と寧々ちゃんが二人きりになるの、止めようと思ったからなの。……二人の仲を邪魔したかったわけじゃなくて、君と寧々ちゃんを引き離さないと! って必死だったんだ。を聞いちゃったから」

「……寧々の?」


 焦燥感を覚える。

 百花は至近距離まで近づいてきて、馨の耳元に口を寄せた。

 

「1ヶ月半くらい前。レポートしにパソコン室に行ったとき、前の席に二人女の子が来て……その片方が、寧々ちゃんだった」


 百花は一拍の間を置く。

 そのとき馨は逃げ出したい衝動に駆られたが、逃げてはいけない気がして堪えた。


「寧々ちゃん、友達に落ち込んだ感じで話してたの。──『サークルで知り合った人を好きになっちゃった。趣味も合ってて、いつも優しくて。私をバンドにも誘ってくれたんだ』って」

「……!」


 驚く馨をまっすぐ見返して、彼女は真剣な顔で頷いた。


「それが一花くんのことだって、私もすぐに気づいた。見てる限り、君しか当てはまる人がいなかったからね」


 寧々に好かれることをずっと望んでいたはずなのに、馨は訳が分からずただ困惑した。


「でも寧々は、あの人と付き合って……?」

「うん。まあそういうことだね」


 百花は不意に、ポケットからスマートフォンを取り出して掲げた。


 何かのアプリが開かれていて、一つだけファイルがある。

 タイトルは「録音1」。


 それは何を録ったものなのか。

 馨は嫌な予感がした。


「……お前、それ」

「うん。その後の会話、録っちゃった。ここからがあの子の本音。……君と寧々ちゃんが純粋に両思いだったら、私はそれで良かったのに」





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いつも応援してくださり誠にありがとうございます。

とても嬉しく思っております❀

これからも良いものが書けるように頑張ります。

香(コウ)

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