第三十六話

 先輩方の牢獄から解放された後、けい悠大ゆうだい鉈落なたおちの元にいた。

 当然真っ先に寧々ねねのいるテーブルに行こうとしたが、なぜか彼女のすぐ隣にはあの百花ももかがいたのだ。

 その二人が会話しているのは珍しい光景である。何やら話し込んでいる様子だった。

 こんな状況では告白など不可能だと思い、馨はひたすら遠目から様子を見ていた。


「なー馨、鉈ちっ! そういやさぁ!」


 馨が頭を悩ませているにもかかわらず、悠大が完全に酔っ払った状態で絡んでくる。


「俺ら四人のバンドさぁ、今回限りじゃなくて、今後もずっと続けていこうぜ!? 全員曲の趣味合うし、正直今日のライブで一番レベル高かったし!」

「一番は言いすぎだろ。まあ、続けるのは賛成だけど」

「だよなぁ! 鉈ちはどう!?」

「うん、俺も賛成。今回のライブすごく楽しかったし」


 鉈落がそう言うと、悠大は拳を上に突き上げた。


「よっしゃ、決まりだぜぇ! おい馨、お前今すぐ寧々ちゃんにもこの話してこい!」

「え、何、俺?」

「お前が行くしかねえだろバカタレっ! あっちまで移動すんのメンドクセーし、ほら、お前がバンド代表ってことで!」


 悠大はそう言ってウインクしてくる。

 酔っている割にまだ世話を焼く思考力が残っていたようだ。


 馨は寧々の方を振り返った。

 いつの間にか先ほどまで寧々の隣にいた百花がいなくなっている。


 寧々はテーブルの端、壁際でお茶か何かを静かに飲んでいた。周りの喧騒から少しだけ離れていて、誰かと会話している様子もない。

 馨にとってこれは間違いなく好機だった。

 

「し、仕方ねえな。じゃあ……行ってくる」

「おう! よろしくぅ!」


 馨はお冷やのグラスを掴み、立ち上がった。

 馬鹿騒ぎしている幾人もの背中と背中の間を縫って歩き、酔って寝転がっている人の上を跨いで寧々の元に向かう。

 徐々に鼓動が速まっていく。

 アルコールのせいだけではない。


 やっと寧々の横に辿り着き、テーブルにグラスを置くと彼女は我に返ったように顔を上げた。


「あっ! 馨くんっ」

「お疲れ、安心院あじむさん。あの、ここ座ってもいいかな」

「うんっ。勿論だよっ」


 彼女が壁際に寄って空けたスペースに、馨は内心緊張しながら座った。


「皆酔っ払ってて騒がしいよね。安心院さん、疲れてない?」

「あ、うん。でも、皆お酒ばっかりで食べ物が減らないから、私だけ食べすぎちゃって。ちょっとお腹いっぱい……えへへ」


 些細なその照れ笑いだけでも馨は心を乱された。

 落ち着くためにお冷やを大きく一口飲む。


「そ、そうだ。あのさ、今悠大と鉈ちと話してたんだけど」


 いきなり脈絡なく告白するわけにもいかないので、まずはバンドの話をすることにした。


「安心院さんさえ良ければ、今回のバンドこれからも続けていかない? 曲の趣味もみんな近いし、ライブも楽しくやれたからさ。どうかな」

「えっ……うんっ! 私も入れてくれるの?」

「勿論。ぜひ」

「わ、やったぁ! ありがとうっ、これからもよろしくお願いしますっ」


 寧々は両手を握り締めて目を輝かせる。

 思いのほか喜ぶ彼女の様子に、馨も安堵した。


「こちらこそよろしくね、安心院さん」

「うん! ……あっ!」

「? どうかしたの」


 何かを思い出したらしい彼女は、突然打って変わって恥ずかしそうに視線を彷徨さまよわせた。


「えっと、あのね……私、馨くんにお願いがあったんだ」

「お願い?」


 もじもじと動く彼女の手。

 頬も赤く染まっていた。


「そう、その、今日思ったことなんだけどっ」

「うん」

「馨くんさっきライブハウスで……私のこと、寧々って、呼んでくれたよね」

「! あ、ああ……うん」


 彼女を励ますためだったとは言え、馴れ馴れしい言動だったと馨は少し後悔していた。

 そのときのことを思い出し、恥ずかしくなってしまう。


「あれは、本当にごめん。馴れ馴れしかったよね」

「そんなことないよ! というか、それなら私だって、最初から馨くんって呼んでたしっ」

「そ、そうだっけ」

「だよっ。それでねっ、もし駄目じゃなかったら……こ、これからも、寧々って呼んでほしいなって思うんだっ」

「!」

「だ、駄目かなっ?」


 彼女の方から頼まれるとは夢にも思わず、馨の気持ちはすっかり舞い上がった。


「いや、まさか。駄目じゃない、けど」

「良かったっ。じゃあ……今、呼んでみてほしいなっ」

「今?」

「うんっ」


 寧々の顔は先ほどより赤かったが、丸い目はきらきらと輝いていた。

 きっと照れくささよりも、好奇心が勝っているのだろう。

 馨は目を逸らしつつ頷いた。


「分かった、じゃあ、えっと…………寧々」


 口にすると、思ったよりも心が高揚した。

 寧々も同じだったのか恥ずかしそうに唇を噛む。

 

「うんっ。あ、ありがとうっ。なんか……すごく嬉しいっ」

「そんな、大袈裟な。ただ名前呼んだだけなのに」

「本当だよねっ……でも、馨くんが呼んでくれたら無性に嬉しくて。えへへっ」

「…………」


 その笑顔と台詞で、馨はここに来た真の目的を思い出した。

 寧々はただ友人として素直な好意を表現しているだけなのかもしれないが、馨はもうこれ以上彼女への気持ちを抑えられそうになかった。


「? 馨くん?」

「あのさ、安心院さん……じゃなくて、寧々」

「な、なあに?」

「ライブハウスで俺が後で話すって言ってたこと、なんだけど」

「あっ。それ、気になってたのっ。話してほしいな」

「うん」


 馨はつい無遠慮に寧々を見詰めた。

 寧々も上目使いで馨を見ている。

 周りの騒がしさが一枚壁を隔てたように遠くなり、いつか感じた、寧々と二人きりでいる錯覚に再び陥った。


「……俺、初めて会ったときからずっと、寧々のことが」


 そこまで言ったとき、テーブルの上にあった携帯が振動した。見慣れた可愛らしいケースに入ったそれは、寧々のものである。

 またしても邪魔が入って馨は落胆した。

 寧々が携帯に手を伸ばすのを止めることもできないまま、見守るしかない。

 しかし彼女は、


「き、気にしないで続けてっ。馨くん」


 そう言って携帯を手で押さえつけた。


「え? でも、電話……親御さんからじゃないの」

「うんっ。だけど今は、馨くんの話、聞きたいからっ」


 彼女の眼差しは真剣だった。

 馨は途轍もなく嬉しくなって話を続けようとした──が、止まない着信の振動が妙に気になった。

 思わず耳を澄まして、


「? ……あ」

 

 すぐに違和感の正体に気がついた。


 着信かと思っていたが、そうではない。

 MINE通知のような短い振動が連続して鳴っているのを、着信時の長い振動と聞き間違えていたのだ。

 

「寧々、これ……」


 不気味に感じて寧々を見ると、彼女も気がついたのかとても不安げな目をしていた。

 これが本当にMINEなどのメッセージなら、異常なまでに短い間隔で絶え間なく送られてきていることになる。


 彼女は震える手で携帯を裏返して画面を見る。

 その途端、彼女の顔が一気に青褪めた。

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