第三十五話

 それから約2時間が経ち、夜の8時になった頃。


っつ……」


 ライブ終了直後のホールでは、けい悠大ゆうだいを含めた1年生が隅に置かれたソファでぐったりしていた。

 今はまだ外部の客がいたので、後片付けは始まっていない。


「なあ馨、俺もう死ぬかも……頭振りすぎて首の骨逝ったっぽい」


 悠大が隣で呻きながら首の後ろを摩る。

 ライブ中、1年生男子は先輩達のパフォーマンスを盛り上げるためにかなり無茶をしたのだ。

 それを振り返りつつ、馨は首を傾げる。


「そんなに頭振るような曲あったか……?」

「や、ないけど……必死だったんだもん。だって、疲れて黙ってたら後ろから先輩にケツ蹴飛ばされたやん?」

「ああ、それはまあ確かに……」


 そんな話をしていると、2年の熊澤くまざわなみが目の前にやってきた。


「皆、ごめん。疲れてるところ悪いけど……お客さん帰ったから、会場ここと楽屋片付けて打ち上げの居酒屋に向かうよ」


 熊澤の言葉を聞いて、馨の中では空腹が満たされる喜びよりも憂鬱が勝った。

 すでに疲れているのに、これから更に疲れることになるからだ。

 周りからも、いくつか重い呻き声が聞こえた。


 ◇


「おい、馨っ」


 ライブハウスを出た後全員で歩いて居酒屋に向かっていると、悠大がひそひそ声で話しかけてきた。


「お前さっ、今日どうすんだっ?」

「ん? 何の話」

「何って寧々ちゃんのことっ。告白すんの? もうした!?」

「! お前……まだそんなこと言ってんのかよ」

「はぐらかすなっ。で、どうなんだよ!?」


 真剣に迫ってくる悠大をよそに、馨は嘆息した。

 結局あれから寧々ねねと二人きりになる時間は少しもなかったのだ。

 今日はまだ打ち上げが残っているが、そこで店の外に彼女を連れ出せばきっと目立ってしまう。

 他にどうにも良い方法が浮かばず、馨は気持ちが焦っていた。


「おっ? その様子だとまだ告ってないんか?」

「もうしつこい。好きじゃねえって、散々言ってんだろ」

「そんな強がってる場合かよ? 俺、良いアイディア思いついちゃってんのにさぁ」

「……」


 馨は思わず悠大を睨んだ。

 本当は知りたいが、食いつけば認めたことになる。

 その葛藤まで読み取っているのか、悠大はにやにやした。


「特別に教えてやろっか? ん?」

「……別に」

「だいじょーぶ、俺とお前の仲だから教えてやるって」


 そう言って馨の肩をばしばし叩き、彼は勝手に話し始めた。


「簡単だぜ。宴会が始まったあと、時間が経ってから寧々ちゃんの隣に行く。それだけ」

「……は?」

「あっ、酔った寧々ちゃんをどうにかするって話じゃねえよ? あの子酒飲まんし。そうじゃなく、周りが酔っ払うのを待つんだよ。酔っ払ったら細かいことあんま気にならなくなるじゃん? つまりさ……デカい飲み会の隅っこで、誰が誰に何囁こうが、気に留める奴はいなくなるってわけ」

「……ば、馬鹿じゃねえの」

「え〜? 割と真剣に考えたんだぜ? 友達思いって言ってくれよな」


 馨は何も言わずそっぽを向いた。

 心の中ではその提案が気になって仕方がなかったが。


 ──そのとき、半ば肩にぶつかるようにして誰かが隣にやってきた。


「よぅ」


 振り向くと、そこにいたのは百花ももか千恢ちひろだった。


 百花は相変わらず露出の多い格好をしている。

 今夜から天気が荒れる予報らしく風も少しずつ強くなり始めていたが、彼女には関係ないようだ。


「百花ちゃん、お疲れぃ!」


 悠大は警戒心も嫌悪感も抱いていないため、明るく彼女に声をかける。

 しかし馨は依然彼女と会話するのがいとわしかった。


「百花ちゃんのベース、痺れたぜ! 聴いててめちゃバイブス上がったわぁ!」

「ほんと? ありがと〜。与那城よなしろくんも上手だったけどねぇ」

「いやーあははっ! そうかなぁ!」


 二人は馨を挟んで会話を始める。

 初めてステージに立った喜びの余韻が削られていく。

 馨は不自然ではないように歩みを速めようとしたが、百花に突然腕を掴まれた。


「ねえ。一花いちはなくんもかっこよかったよ? ギターも良かったけど、やっぱり歌上手いねぇ。声質がすごく好き」


 明け透けな物言いがなぜか居心地を悪くさせる。


「それはどうも」


 無愛想に返すと悠大に肘で小突かれた。


「おいコラ! 百花ちゃんに向かってその態度は何よ!?」

「あ? うるせえな。どうもって言ってんじゃん」

「いや、もっと喜べや! すげー有り難いだろが!」

「はいはい。嬉しいです」

「あーもう百花ちゃんごめんなぁ! コイツ可愛くなくて!」


 再び馨を小突きながら悠大が謝ると、百花は愉しげにくすくすと笑った。


「うん、大丈夫だよぅ。分かってるから」


 妖しげな微笑みと何か知ったような口振りは、やけに調子を狂わせるものだった。

 居酒屋ではせめて離れた席に座りたい、と馨は切実に思った。


 ◇


「一花! 君ねぇ、歌も楽器もお上手なのはいいんだけど、まァ私達への敬意が感じられないのよ!」

「そ、そうですか」


 打ち上げが始まってから、小一時間が経過していた。


 馨は今、2年生が集まるテーブルで早河はやかわ茉夕嘉まゆかという先輩に肩を抱き寄せられ、謎の説教を食らっていた。

 当然この状況では、寧々のところへ行く隙など生まれない。


「よく言われない? 生意気だとか、スカしてるとか」

「いえ。あ……少し言われるかも」

「でしょお? 可愛い顔してるのに勿体ないよ!」

「でも俺は、失礼な態度取ってるつもりないです」

「お前さんがそうだとしても、こっちはナメられてると思うわけなの! 分かる?」

「……分かりません」

「何ィ!? ほんっとクソ生意気だね! ライブ上手く行って調子乗ってんのかぁ!? ほら、もう一口飲んで!」

「えっ? いや、もう無理です」

「なぁに言ってんのさ! さっきは美味しそうに飲んでたでしょ!」


 早河は言わずもがな酔っている。

 馨はそんな彼女に半ば無理やりアルコールを持たされ、すでにいくらか飲まされてしまっていた。


「つーかコイツ正直ナメてるよな。年上のあたしらに対して笑顔の一つもねえし。ちったぁ媚びろってんだ」

「全くだな。俺らはともかく、上の先輩方に目ェ付けられても知らねえぞ」


 副部長の澤田伊都季いつきと部長のあずま昊龍ひろたつも口々にそう言う。


「一花。それ飲み干さねえとどこにも行けねえぞ」

「えっ……全部、ですか?」

「そうだよ。何か文句あんのかよ」

「……いえ、ないです」


 もう少し毅然と拒むべきなのかもしれないが、ここを無事に切り抜けなければ寧々と話すことすら叶わない。

 馨は言われるがままに、ジョッキに口を付けた。

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