第三十四話

 眩しい照明と騒がしい歓声。

 ステージに立ってから、けいが緊張したのは一曲目の歌い出しだけだった。

 その後はひたすら楽しくて夢のようで、心配事を忘れていた。

 最後の曲での、寧々ねねのキーボードソロのことを。


 ソロパートに差しかかる直前で思い出し、左斜め後ろに立つ寧々を見る。

 彼女の表情は強張っていた。

 鍵盤を弾く己の手を凝視して、馨の視線にも当然気がつかない。

 馨は祈った。

 自分のことのように。


 彼女のソロが始まる。

 その指は軽やかに鍵盤の上で踊る。

 もつれなどなく、一つの音も間違えない。

 綺麗な音色を奏でていく。

 馨は何度も繰り返した練習の時を思い出した。

 彼女のいつも真剣な瞳、不安そうだった横顔、励ましたときのほっとしたような笑顔。

 可憐で一生懸命な彼女が、馨はやはり好きだと思った。


 果たして彼女は無事、鮮やかにソロを弾き切った。

 馨はそれが嬉しくて、歌いながら自然と笑顔になるのを感じた。

 

 

 パフォーマンスを全て終え、ホールに向かってお辞儀をしたところで照明が暗くなった。

 余韻に浸りたいのは山々でも、この隙にステージからけなければならない。

 馨達は手早く楽器やらを抱えて舞台袖に引っ込み、廊下まで飛び出した。


「うわはぁ〜〜! やば、めっちゃあっという間だった〜!! 緊張と興奮で何も覚えとらんっ! でもぶっちゃけ今んところ俺らのバンド一番カッコよかったっぽくね!?」


 何か決壊するように悠大ゆうだいまくし立てる。


「うん。だって正直1年生バンドでは、俺ら四人が一番上手かったしね」

「はは、それ自分で言う?」


 珍しく鉈落なたおちが強気な自画自賛をするので、馨は可笑しくて笑ってしまった。

 悠大がそこで思い出したように手を叩き、寧々の方を見る。

 

「てか寧々ちゃん、ソロパート全然余裕だったやん!? マジ寧々ちゃんこの四人の中でダントツにカッコよかった!」

「えっ、私っ? ほんとに?」

「ほんとほんと! だよなぁ、馨!」


 悠大が話を振ってきたので、寧々は煌めかせた目を馨に向けた。

 その途端に馨は舞台袖でのことを思い出してしまい、照れくさくなりつつも正直に頷いた。


「うん、ほんとに良い演奏だった。今までで一番」

「そ、そうかなっ。み、皆のおかげだよ……ありがとうねっ」


 頬を赤くしながらそう言う彼女も、少し先ほどのことが頭をよぎったのだろうか。


 皆でひとしきり喜びを分かち合ったあと、悠大が再び声を上げた。


「おっ、もうそろそろ次のバンド始まるよな! 早く行くべし!」

「そうだね、次誰だっけ?」


 ホール入り口に向かって駆け出す悠大と鉈落に続こうとしたとき、


「あっ……待って、馨くんっ」


 背中に寧々の声がかかった。

 馨はどきりとしつつ後ろを振り返った。

 彼女は胸の前で両手を握り締めて馨を見ている。


「どうかした?」

「馨くんに、言っておきたいことがあってっ。引き止めちゃってごめんなさい」

「ううん。大丈夫だけど」

「ごめんね、すぐ終わるからっ」


 寧々はそう言って少しもじもじした。


 今、馨と寧々の他に廊下には誰もいない。

 舞台袖へ上がるドアの前に控えているはずの、二つ前のバンドがまだ来ていないからだ。

 自然と胸が高鳴る中、やがて彼女は息を吸い込んで口を開いた。


「あのっ……! さっき、出番の直前、励ましてくれてありがとっ! すごく嬉しかったし、助かったよっ」

「あ、ああ、そのことか。全然、大したことじゃないよ」

「そんなことないっ! あのおまじないのお陰で、失敗しなかったからっ」

「ううん。安心院さんがずっと努力してたから上手く行ったんだよ。俺は、絶対できると思ってた」

「そっかっ。ありがとう」


 寧々は少し切なそうに目を潤ませて微笑む。

 ──そんな表情に見惚れて、馨は彼女に伝えるべきことを思い出した。

 ホールの中からは、くぐもったバンドの演奏が漏れてくる。

 真に二人きりである今が、絶好の機会だった。


「ねえ。安心院さん」

「ん?」

「俺も伝えたいことがあったんだけど、今話してもいいかな」

「え、うん! あっ、もしかして前に言ってたことっ?」

「うん、そう。……あのさ」


 彼女は大きな目を瞬かせて馨の言葉の続きを待っている。

 その頬は古い蛍光灯の下でも花のような色が差していて、馨はそこに幸せな答えを期待した。


「俺……4月に初めて会ったときからずっと、安心院さんの──」


 ガチャン!

 突如、重い鉄の音が響く。

 そしてバンド演奏が爆音で廊下に流れ出した。


「!?」


 二人が驚いて振り返ると、ホールの扉が開いて見知った先輩が数人出てきたところだった。

 恐らく彼らが、次の次に演奏するバンドなのだろう。

 ──また失敗だ。

 馨はひどく口惜しくなって唇を噛んだ。

 先頭にいるベリー色の髪の女性、2年の澤田伊都季いつきが馨と寧々を見て眉を顰める。


「ん? おい、ここで何やってんだよ。1年男子はホールの最前列行って盛り上げろって言ったろが。サボってんじゃねえ」

「……別に、サボってたわけじゃないです」

「あ? じゃあ何だってんだ。口答えしてる暇あんならさっさと中入れよ」

「……」


 馨はいっそ寧々を連れてライブハウスを出ようかと考えたが、それは不可能に近かった。

 自分一人なら澤田の命令は無視できても、寧々にそれを強いることはできなかった。

 澤田は煙草を取り出して火をつけ、馨を見据えた。


「いつまでも突っ立ってんじゃねえ。サボりがバレたらあずまにブチのめされるぞ」

「分かってます、もう行きますから……」


 踵を返してホールの入り口へ向かおうとすると、


「なあ安心院、お前はちょっとこっち来い」


 馨と共に戻ろうとした寧々を澤田は引き止めた。


「は、はいっ。何ですかっ?」

「お前は女子だから行かなくていいよ、危ないし。で、あたしの出番まで話し相手になれ」 

「えっ! あっでも私、今馨くんと話すことが……」

「んなもん後だよ。1年男子は最前列で揉みくちゃになって、騒いで、ライブ盛り上げるって決まってんだ。ずっと受け継がれてるwarehouseうちのルール」

「えぇ、そ、そんなっ」

「いいからこっち来て座れ。安心院」


 澤田はベンチの空いたスペースを手で叩いて示す。

 この状態で逃げ出すのは簡単ではないだろう。

 馨は早々に諦めて、困惑している寧々に言った。


「とりあえず言うとおりにしとこう、安心院さん」

「でもっ、私まだ馨くんの話聞けてないよ」

「うん。後でちゃんと話すから」

「……それなら、分かったっ」


 寧々は小さく頷き、先輩達のいるベンチに座った。

 これで澤田の機嫌を損ねずに済んだだろうか。

 そう思って馨が澤田の顔を見ると、彼女も馨を見据えていた。


「? な、何ですか。先輩」

「んー、いや。別に何でもない。いいから早く行け」

「……はい、そうします」


 その視線の意味は分からなかったが、構わず馨はホールへと向かった。

 今日はまだ終わらない、次は必ず想いを伝えられるはずだ、と心の中で言い聞かせながら。

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