第二十二話
翌日の夕方5時頃。
出かける支度を整えた
「な、何やってんだよそこで」
「何って、女の子と会うからやっぱり気合い入れるのかなって気になって!」
「……」
彼女を押し退けて玄関に行くが、足音がついてくる。
昨夜も寝る間際まで質問攻めにされて馨はうんざりしていた。
意地でも寧々の存在については話さなかったが、綺はもう確信しているのだろう。
「頑張ってね!」
「うるさい」
それを挨拶代わりにして、馨は家を出た。
◇
両脇に立派な木々が茂る舗装された道の向こうには広場があり、中心に噴水が見える。
日が落ちかけている時間帯だが、噴水のライトアップや街灯とビルの明かりで照らされていて、辺りはさほど暗くない。
約束の時間より少し早いため、馨は広場を縁取るように置かれたベンチに座った。
寧々からの連絡がないかどうかMINEを確認し、広場を見回す。
それでも落ち着かずに見上げた空は、薄い藍色に染まっていた。
夕日の名残りを受けた淡いオレンジの雲や、夜になりつつある紫色の雲が流れる。
その穏やかな流れに合わせようとしても、自分の心臓は全く言うことを聞かなかった。
そわそわする馨の手の中で、ついに携帯が振動する。
寧々からのメッセージが来ていた。
〈いま公園に着いたよ!馨くんはどの辺?⸜( ´ ꒳ ` )⸝˚✧⁎⁺〉
それを見て馨は立ち上がった。
入り口の方に目をやりつつ、メッセージに返信する。
〈広場の入り口近くにあるベンチ座ってた! 一回そっちに行く?〉
すぐに既読がついたが、それに返事は来ない。
やがて入り口の方から人が駆けてくるのが見えた。
間違いなく寧々だ。
ぱたぱたという足音が聞こえてくる。
彼女が近づいてくるにつれて緊張が増す。
「あぁっ! 馨くん、もしかして、すごく待たせちゃったっ……!?」
馨の元に辿り着いた寧々は息を弾ませて言った。
袖がふわりと広がった白いブラウスに、黒のシックなワンピース。
髪はハーフアップにしていて、耳には小さなイヤリングがついている。
いつもより少し垢抜けたその姿に馨は一瞬言葉を失くしたが、慌てて表情を取り繕った。
「ううん。俺も、今来たところ」
「よかったぁ! 急に無理言ってほんとにごめんねっ」
「大丈夫だよ。俺こそ、なんか気遣わせたよね」
「全然っ! えっとえっと、立ったままじゃ申し訳ないしベンチ座ろっ」
先ほど一人で座っていたベンチに、彼女とともに座る。
「それじゃあ、あの……馨くんっ!」
彼女は膝の上に固く握った両手を置いて緊張した声音で切り出した。
この空気の中、彼女は改まって祝いの言葉を述べるつもりなのだろうか。
そう思うと馨はとても気恥ずかしくてたまらなくなった。
「ちょ、ちょっと待って。安心院さん」
「えっ! 何っ?」
「そんな改まられたら、なんか照れくさい」
「はっ……! そ、そうだよね……っ、確かに、私も恥ずかしいっ」
寧々は恥ずかしそうに両手で口元を隠した。
「よく考えたらわざわざ呼び出して『おめでとーございます!』って変だよね! あーっ、私すぐ思いつきとか勢いで行動しちゃうから……!」
自己嫌悪に陥ったのか、彼女は眉根をぎゅっと寄せて悶える。
挙動が逐一大きくて可愛らしさが際立っていた。
「まあ、俺は嬉しいけどさ……」
「ほんとっ? 変な奴ーって思わない?」
「うん、思わない。なんか天然っぽくて可愛っ……は、話してて、楽しいって思うよ」
口を滑らせかけて言い直す。
しかし寧々は気づいていないようだった。
「ありがとうっ! それ聞いて安心したぁ……。馨くんほんとに優しいよねっ」
「え、いや、そうかな」
「そうだよ! 歓迎会で初めて会ったときからそう思ってたよっ。馨くんが声かけてくれて、あのときすごくほっとしたんだ」
「そ、そっか」
彼女の目をずっと見ていると吸い寄せられてしまいそうで、馨は視線を逸らした。
少しの間、沈黙が流れてしまう。
彼女に会えた喜びよりも緊張の方が勝っていた。
「あ、あの……馨くんっ」
静かに沈黙を破ったのは、彼女の照れのある明るい声。馨が顔を上げると、彼女は手に小ぶりな紙袋を掲げていた。
「こ、これね、えっと、プレゼントなの! あ、あげる!」
「……えっ? 俺に?」
少し強引に膝の上に置かれ、馨は彼女とそれを交互に見やる。
彼女はこくこくと頷きながらぎゅっと両手に握りこぶしを作った。
「うん! あの、なるべく邪魔にならないように一応どんな部屋にも馴染むデザインにしたのっ。というか私も好きで使っててガラスだけどフロスト加工されてるから光量もちょうどいいし暖色だからすごいリラックスできるしアロマの種類も豊富だし、あっでもそういうの好きじゃなかったらただライトとして使えるし、コードにスイッチがついてるからそれでON/OFF簡単だしっ私は寝室で使ってるけどっ全然どこにでも置けるし、それでも気に、入らなかったらっ……」
「あ、安心院さん、落ち着いて」
息切れを起こし始めた彼女を手の平で制し、馨は改めて紙袋を見た。
中には青いリボンがかけられた、一辺15cmほどの四角い箱が入っている。
彼女の必死の説明を聞く限りだと、アロマライトか何かなのだろう。
繊細で洒落ていて、彼女の印象と合っている気がした。
「わざわざプレゼントまで、ありがとう」
「う、うんっ……ごめんね、気に入ってくれるかどうか不安で、誤魔化そうとしてすごい喋っちゃったっ」
「そっか……急にバグったのかと思っちゃったわ」
「やっ、やだ、恥ずかしいっ……」
彼女はまた悶えたが、やがて耐えるように再び両手を膝の上に置き、馨の方を見た。
「な、仲良くなったばっかりでプレゼントなんて、馴れ馴れしいかなって思って迷ったんだけど……どうしても渡したくなったのっ。それね、可愛くてお洒落で、私すごく好きなんだ。寝る前とか、部屋の電気消してそれだけつけると、安心するの」
「そう、なんだ」
いくらか落ち着いた様子で、彼女は馨を見てはにかむように微笑む。
「あの、馨くんはまだこっちに引っ越してきて間もないよね?」
「うん。まあそう」
「だよね! か、環境が変わるとさ、不安になったり、疲れたり、家族が恋しくなったりしない? 新しい環境に慣れるまでは毎日めまぐるしくて……ふとしたときに、ちょっと疲れたなって思うことって、あると思うんだ」
彼女は恥ずかしそうに視線を逸らして噴水の方を見た。
「そんなライトで何が変わるわけじゃないけど……一日終わる時に、ちょっとでも馨くんの心と体が休まればいいなぁって、思ったの。えへへ……ささやかだけど、私の気持ち」
花開くように、噴水の水が音を立てて広がる。
それを照らす黄色やピンクの光が、彼女の目にも輝きを宿した。
馨はその澄んだ美しい横顔からもう目を逸らせなかった。
彼女の優しさで胸の中が満たされて、息が詰まって何も言えなくなる。
「あっ。馨くん、もうそろそろ時間かな? 与那城くんとかもう来てるかもしれないよねっ」
「えっ……あ、ああ」
彼女は腕時計を見ながら立ち上がった。
「私も行かなきゃっ! 改めて、お誕生日おめでとっ。来てくれてありがとね!」
「こ、こちらこそ。……ありがとう。ほんとに」
「いえいえ! そ、それじゃあね! また大学でねっ」
にこっと微笑んで手を振ると、彼女は元来た道を駆け出した。
馨は彼女の背が見えなくなっても、悠大から着信が来るまで
噴水の光る水飛沫のような彼女の瞳が、何度も脳裏に蘇る。
恋ではないと否定するつもりは、もうなかった。
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