第四章 告白
第二十三話
翌日の朝。
馨は物音で目を覚ました。
顔を横に向けると、
それを見て、今日は彼女が北海道に帰る日だと思い出す。
馨は上体を起こした。
「おはよ。ここ何時に出るんだったっけ」
「あっおはよう、馨! あと30分もしない内に出発するよ」
「ああ、結構早めなんだ」
「そうなの! 昨日寝るの遅かったから、ちょっと寝坊しちゃったよ」
綺はそう言ってにやつきながら、ベッドの頭側にあるボードの上に視線を送った。
そこには、昨日
一辺10cm程度の四角い曇りガラスでできたライトだ。上部には薄いトレイが乗っていて、そこにアロマを入れることができるらしい。
昨夜これを設置したあと綺から延々と質問攻めに遭い、それで互いに少々寝不足なのである。
当然
「ねえ、その子と上手くいったら絶対お姉ちゃんに教えてね?」
支度を終えて玄関で靴を履きながら、まだ彼女はそんなことを言っている。
馨はそれには応えなかった。
「私がまた遊びに来た時にでも、紹介してほしいな!」
「いやもう来んなよ」
「大丈夫! もし彼女ができてたらここに泊まったりはしないから!」
「そんなの当たり前だろ。出禁だ、出禁」
「傷つくなぁ……でも楽しみにしてるからねっ!」
「いいから早く行け」
馨が手を追い払うように振ると、彼女は困り笑いを浮かべてドアを開けた。
そして廊下に出てからもう一度振り返る。
「そういえばさ、馨」
「今度は何」
「私が来た初日に、
「ああ……うん。それがどうしたの」
「あれから、怖い夢見た?」
「……」
そう言われて馨の頭によぎるのは、
すぐに映像を掻き消すように首を横に振る。
「見てない。何も」
「そっか……それならよかった。もしまた困るようなことがあったら、私に連絡してね」
「子供じゃあるまいし、夢くらい大丈夫だって」
「そうだけど……。じゃあ、怪我とか風邪に気をつけてね」
「おう。……メシ作ったりしてくれて、ありがとな」
「いえいえ、なんもだよ! それじゃあね!」
綺は嬉しそうに微笑むと、背を向けて廊下を歩いていった。
◇◇◇
天気の良い平日の昼休み、馨は大学の中庭を歩いていた。
青々とした芝生と鮮やかな赤銅色のレンガ道。
いくつも植えられた緑豊かな広葉樹は、涼しげな木陰と木漏れ日を地に振りまいている。
その木々の間から見える中央棟の白さが、より映える景色だった。
道の脇に点在するベンチで憩う学生達の傍らを、馨は通り過ぎていく。
向かっているのは
「馨くーん!」
学生達の賑やかな笑い声の中、可憐な呼び声が耳に届く。
振り返ると、レンガ道を駆けてくる寧々がいた。
膝丈ぐらいのグレーがかったチェック柄のスカートが、走る足に合わせてぱたぱたと翻る。
彼女は馨に追いつき、息を弾ませながら笑顔を見せた。
「馨くん、お疲れ様っ。部室に行くの?」
「そうだよ。
「うん! えへへっ。お昼は部室って、もうお決まりの習慣みたいになっちゃってるよっ」
「ほんと、俺もそう」
公園で彼女にプレゼントを貰った日から数週間が過ぎていた。
あれからはほぼ毎日、昼になれば部室で顔を合わせ、都合が合えば大学終わりに四人でスタジオに行くという生活を送っている。
そのお陰で彼女との距離は少し近くなり、最初の頃よりは肩の力を抜いて言葉を交わせるようになった。
「ねえ、馨くん。今日のお昼ご飯ってそのカップ麺?」
「うん。そう」
「そっか! 私バイト先で廃棄のパン貰ったんだけど……もしよかったら一つ食べない?」
「え、いいの」
「うん! 部室でみんなにもあげるつもりだけど、馨くんは今選んでいいよっ。先に会えたから特別ねっ」
白い袋を馨に差し出して、彼女はとびきりの笑顔を見せる。
──距離が近くなったことで、馨の彼女への恋心はさらに増していた。
彼女と話しているときが何より幸せだった。
彼女には特別仲の良い友人としか思われていないかもしれない。
しかしそれでも、このままの関係では終わりたくないと思うほど馨は彼女に惹かれていた。
ひと月後のライブの日に彼女に想いを伝えられたら、と密かな理想も思い描いていた。
その前に良いタイミングがあれば別だが。
「おー。安心院と
サークル棟の入り口に差しかかったところで、二人は声をかけられた。
ぼんやりしていた馨は一拍遅れて、眺めていたパンの入った袋から顔を上げる。
前方にいたのは副部長の澤田
ラズベリー色のセミロングヘアを風に靡かせながら歩いてくる。
「あ……澤田先輩」
「お、お疲れ様です! 澤田先輩っ」
寧々が背筋をぴっと伸ばして挨拶すると、澤田は満足げな顔をして寧々を見た。
「おう。安心院は今日も可愛いな」
「えっ! あ、えっと、ありがとうございますっ……」
顔を真っ赤にする寧々を気に留めず、次に澤田は馨を見て険しく眉を顰めた。
「それに比べてお前は愛想ねえな、一花。あたしのことナメてんのか?」
「えっ。いや、そんなことはないっす」
「安心院みたいにニコニコしてりゃお前もちょっとは可愛げあんのによ……まあいいや。お前ら二人に話あったんだ」
「話? 何ですか」
「今週の金曜、飲み会やる。お前ら絶対来いよ」
射抜くような目つきで彼女は言う。
断るべきではないのだが、馨は色々な意味で地獄な彼らとの宴会を断りたいと思った。
その上、つい先日もほぼ強制的に連れて行かれたばかりだ。
「あの、澤田先輩。できればそれパスしたいんですが」
「あ? 何言ってんだ一花。絶対だっつってんだろ」
「いや、でも」
「お前のだーい好きな
馨の頭の中に恐ろしい桃色のツインテールが思い浮かぶ。
確かにあの悪魔はいないに越したことはない。
だが、目の前の彼女だってそれなりに恐ろしいのだ。この短い期間ですでに、それを嫌というほど思い知っていた。
馨が迷っている間に澤田は寧々の方を見やる。
「なあ、安心院は来るよな?」
「えっ……あ、あの、いえ、私もその、」
「来るよな?」
「ひっ……! は、はぃ、い、行きます……」
「ほーら。安心院は来るって言ってるぞ。まさか大事なバンドメンバーを見捨てたりしねえよな? 一花よ」
澤田が意地悪く微笑む
彼女の目は、切実に助けを乞うていた。
この状況で行かない選択をするわけがない。
馨は覚悟を決めて頷いた。
「くそ……、勿論です。……行きますよ」
「よーしそれじゃあ人数に加えとくわ。じゃあな」
澤田は勝ち誇った笑みを浮かべて去っていった。
「うぅ、どうしよう、飲み会恐い……」
寧々は不安そうな顔をしている。
「大丈夫だよ、安心院さん。3年の先輩方がいないなら何とかなる」
「そ、そうかなぁ……?」
「うん。……多分」
いつもより少し生温い地獄が待っている。
ただそれだけのことだ、と馨は思った。
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