第二十一話

「お誕生日おめでとう!」


 パン! と軽快な音がしてけいの頭に色とりどりのメタルテープが降り注ぐ。

 クラッカーを手に持ったまま、あやが嬉しそうに微笑んだ。

 

「馨も今日で19歳かー!」

「正確には明日だけど……」


 馨はテープを払い除けながら訂正した。


 5月4日の夜。夕食のあと満を持して誕生日会が始まっていた。

 子供のようにはしゃぎ、綺は冷蔵庫から白い箱を取り出してくる。

 

「ケーキも買ってきたんだよ! 二人だから、ホールじゃないけどね!」


 目の前で開かれた箱の中には小さなケーキが4つ入っていた。

 甘いものに特段興味のない馨でも、その見た目で全て味が違うことくらいは分かった。


「好きなの選んでいいよ? どれも美味しそうだからねっ」

「姉貴が好きそうなやつばっか」

「そ、そんなことないよ!」


 そう言って目を逸らすところを見ると、図星なのだろう。

 馨はとりあえず無難にチョコケーキを選んだ。

 すると彼女はおずおずと箱の奥から何か取り出した。

 

「ろうそく……立てたかった? 一応一緒に買ったんだ」


 彼女の手に握られていたのは短いカラフルなろうそくだ。

 小さなケーキにそれがそびえ立つのを想像して、馨は少し可笑しくなった。


「いや立てなくていいよ。なんか変だろ」

「まあね! でも誕生日ケーキといえばろうそくかなって思って」

「分かるけどさ」


 綺も一つケーキを選び、二人で他愛のない会話を続けながら食べる。

 

「もう19歳かぁ、ほんと早いよね。私の中では、馨はまだ小さいイメージなんだけどなぁ」

「なんでだよ。背も姉貴よりでかいのに」

「ふふ、なんでだろう。ずーっと可愛いままなんだよ」

「もうそういう扱いやめろよ。こちとら来年成人すんだから……」


 そこまで言って、馨はふとあることを思い出した。

 まだ好奇心旺盛だった頃、自分が母に曽祖父の住む土地で行われる「シラハオリ」のことを問いただしたときに、母が言った台詞。


『20歳になったらね』


 彼女だけではない。

 親戚達は皆一様にそう言った。


 馨は向かいに座る姉を見た。

 

「あのさ。別にもうあんま興味ないけど、20歳になったらまじでシラハオリのことって教えてもらえるの?」

「ふえっ?」


 彼女は目を丸くして変な声を上げた。

 しかし馨は気にせず続ける。

 

「昔よく『20歳になったら』って言われてたから。……あ、ていうかじゃあもう姉貴は何か知ってんのか」

「そんな話、今しなくたっていいでしょ。つまらないし」

「いや、つまらんかどうかも俺は分かんないから。で、知ってんの?」

「……も、勿論知ってる、けど」

「ふうん。なんで20歳になるまで教えてくれないわけ?」

「そういう……決まりなの」

「何だそれ。もし何かの手違いで知っちゃったら?」

「あ、あり得ないよ。そんなことあっちゃいけないの」

「でも、昔みたいに俺がさ──」


 口が動くままに発していた言葉を、唐突なバイブレーションの音が遮った。


 見ると、自分の携帯の画面が点灯している。

 MINE無料電話の着信だった。

 相手の名は「あじむ ねね」。


「えっ……!」


 思わず馨は立ち上がり携帯を掴んだ。

 何度見ても確かに、ひらがなで「あじむ ねね」と表示されている。

 驚きと気持ちの高ぶりで軽いパニックになった。


「け、馨? どうしたの?」

「いや、ちょっと……その、説明できない」

「?? とりあえず、出なよ。電話なんでしょ?」

「あ、ああ、うん」


 応答をタップして耳に当てながら、咄嗟に寝室に逃げ込んだ。

 姉には聞かせたくないと思ったのである。


「も、もしもし」


 真っ暗な部屋の中、ベッドに座って声を絞り出す。

 緊張の一瞬。

 携帯の向こうから微かな吐息が聞こえ、声がした。


『あっ、あの! 馨くんですか? 安心院あじむですっ』

「ああ! うん。こんばんは。えっと、どうかした?」


 平静を装うが、心の準備が整っていないせいで声が強張ってしまう。

 連絡の必要があればメッセージを利用するはずだが、なぜ彼女は電話をしてきたのだろうか。


『えっと、突然なんだけど……明日与那城よなしろくんと鉈落なたおちくんと、何時頃に、どこで会う予定?』

「ん? えっと、夕方6時に東大路通ひがしおおちどおり駅で待ち合わせてるよ」

『そっかっ。あのね……わ、私、その』

「うん」

『明日の午後、用事があって東大路にいるのっ。それで……その待ち合わせの15分前とか、ちょっとだけでいいから、会えないかなっ』

「えっ?」

『その、ほらっ! せっかく近くにいるなら、当日にお誕生日おめでとうって言いたいからっ。私だけ、お祝いできないの寂しいしっ』


 まさかの言葉に馨は驚いた。

 悠大ゆうだいが馨の誕生日の話をしてから、彼女はずっと気に病んでいたのかもしれない。

 彼女の優しさに胸がきゅっと締めつけられる。


「なっ……そ、そんなこと全然気にしなくていいよ、安心院さん」

『私もお祝いしたいのっ。迷惑なら勿論やめるよ、でももし馨くんが嫌じゃなかったら……ちょっとでいいから、会いたいな……』


 右耳から入ってくる彼女の台詞一つ一つが馨にとって幸せだった。

 素直に受け止めるのが恐くなるほどに。


「迷惑なんかじゃないよ。俺は正直……嬉しい。でもちょっと、申し訳ないというか」

『いいんだよ、私がそうしたいと思ったんだから! これくらい、させてほしいな』

「そ、そっか。それなら……お言葉に甘えようかな」

『うん! 待ち合わせは、駅のどの辺? 私そこまで行くよっ』

「えっと……2番出口だよ」

『あそこね! その出口から地上に出たら、東大路ひがしおおち中央公園の入り口があるの。で、すぐのところに噴水があるから、それを目印にしようっ』

「なるほど、分かった」

『時間は、夕方5時45分でいいかなっ』

「いいよ」

『ありがと! よろしくねっ。……そ、それじゃあ明日ね、馨くんっ』

「う、うん。また明日」


 携帯からそっと耳を離す。

 静けさの中で自分の心臓の音がよりはっきり聞こえて、実感がり上がってくる。


 祝いの言葉を贈るために会いたいと意中の相手から言われるのは、間違いなく幸せなことだった。

 人生で一番忘れられない誕生日になるかもしれない──馨はそう思った。


 半ば夢見心地のまま、ドアを押し開ける。

 ゴン、と鈍い音がした。


「いたっ」


 小さな声が上がる。

 ドアを開け放つと、すぐそばでリビングの床に蹲る綺がいた。額を押さえて、ばつの悪そうな表情をしている。

 馨は恥ずかしさと怒りで顔が熱くなるのを感じた。


「……何してんだお前」

「うう、えーと、馨が戻ってくるまで床掃除をしようかと! それでこのドアの下がちょうど汚れてるなーって」

「あ? 嘘つけ、盗み聞きしてたんだろが!」

「ひゃっ、怒らないでよっ。嘘じゃないよ、私お掃除好きだからさ!」

「へー。素手でどうやって掃除すんのかな。見ててやるからやってみろよ」

「……ごめんなさい」


 綺は拍子抜けするくらいあっさり頭を下げた。

 潔い振る舞いが逆に腹立たしい。


「ったく……すぐバレる嘘ついてんじゃねえよ」


 馨は食卓に戻ってケーキにフォークを刺した。

 すると綺も席につき、向かいから馨をじっと見る。


「ね、ねえ! 『また明日』って言ってたけど……もしかして明日会うサークルの友達って、女の子……!?」

「うるさい、盗み聞きババア」

「こ、こら! そういう言葉遣いはだめっ! あと、私まだ24歳だよっ」

「知らんわ。てか明日会うのは男友達だし」

「えーっ? でも馨の喋ってる声がすごい優しかったから!」

「別に、普通だし」

「だけど男の子相手にあんな話し方しないよね? なんかほら……高校のときの彼女さんと話してる感じに似てた!」


 はたから見ているとそうだったのかもしれない。

 馨自身はぴんと来なかったが、言われて恥ずかしくなった。


「し、知らねえよ。勝手なこと言うな」

「ねえねえ、好きな子っ? 電話来たとき、嬉しそうだった!」

「全然、嬉しくない。好きじゃない」

「わぁーっ! 馨、顔赤い! どうしよう、私まで照れちゃう!」

「うるせえなっ、いいからもう黙って食えよ!」


 馨が怒鳴りつけても綺の目の輝きは消えない。

 厄介なことに、この騒ぎは彼女が諦めて眠りにつくまで続いた。

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