第十三話

「あっけいくん……!」

 

 寧々ねねは馨に気づき、頬を赤くしながら目の前まで階段を上ってきた。


「安心院さん? どうしたの」

「はぁっ、よかったぁ……。私一人で逃げちゃったから、馨くん恐い飲み会に連れて行かれちゃったかもって心配になって……!」


 息を弾ませるくらい馨を心配したようだ。

 その純粋な思いやりがくすぐったくて馨は可笑おかしくなった。


「いや、俺は全然無事だけど」

「よかった……! あれ、馨くんも帰りは地下鉄なの?」

「そうだよ」

「そっか! じゃあ、一緒に駅まで行こっ」

「えっ。う、うん」


 驚きを隠して頷いたが、内心はかなり動揺していた。

 たかだか駅まで歩くだけなのに、どきどきしている自分がいる。

 まるで初々しい中学生のような気持ちだった。

 彼女の提案に特別な意味はないだろうが、今の馨は期待せずにはいられなかった。


「ねえ、馨くんはどの辺に住んでるの?」

美麻みあさだよ」

「えーっ! 美麻? 遠いねっ。ここまで来るのに地下鉄でも30分くらいかかるよね?」

「うん。まあでも始発に近い駅だから座れるし、朝イチ講義ある日は仮眠できて助かる」

「あ、なるほどねっ」

「安心院さんは? 家どの辺なの?」

「えと、私は……東21丁目だよっ」


 東21丁目とはかなり街中の場所だ。

 東西南北の路線を繋ぐ、東大路通ひがしおおちどおり駅のすぐそばだった。


「街中の方なんだ。一人暮らし?」

「ううん、私は家族と住んでるよっ。馨くんは? 一人暮らししてるの?」

「うん。実家北海道だからね」

「えっ……! 知らなかったよ! どうしてこっちの大学にしたの?」

「まあそれは……実家出たかったからかな」

「そっか! やっぱり、一度は一人暮らししてみたいって思うよねっ」


 他愛のない話をしているうちに、あっという間に駅に着く。

 ホームに降りたタイミングでやって来た地下鉄に乗り込み、彼女と並んで座った。


 地下鉄が走り出すと、走行音が他の音を遮った。

 こうなると会話がしづらくなってしまう。

 各駅に停まる度に何か話そうと思っても、またすぐに騒音が戻ってくるので躊躇ためらわれる。

 しかし、かといって隣にいるのに何も話さないのも気まずい。


「ねえ、馨くんっ」


 そんなことを考えていると、寧々が少し声を張って話しかけてきた。

 彼女はどこか緊張した面持ちで、こちらを見ている。

 馨は彼女の声を聞き漏らさないように、意識的に耳を傾けた。


「ん? 何?」

「あ、あの! 馨くん北海道の人なら……こっちの街のどこに何があるかとか、まだ知らなかったりする?」

「ああ、うん。大学と家の周りしかまだ分かんないかな」

「そっか! 実はね、私これから東大路通ひがしおおちどおりにお買い物に行くのっ。その……ま、街の中とか案内してあげるから、一緒に行かないっ?」

「えっ」


 馨は驚いて耳を疑った。

 彼女から何か誘いを受けるとは思ってもいなかったからだ。

 なぜ誘われたのか、考えようとしても嬉しさで思考がまとまらない。

 

「ほ、本当に言ってる?」

「うんっ……!」


 彼女は馨をまっすぐ見て頷いた。

 

 ◇


 やがて、地下鉄は東大路通で停まった。

 大勢の人がそこで降り、また同じだけ人が乗り込んでいく。

 馨はまだ呆然としたまま、寧々と共にホームに降りた。


 彼女が街案内をしてくれる。

 おそらく優しさゆえの行動なのだろうが、馨は「自分に気があるのではないか」という都合の良い勘違いをしそうになっていた。

 内心浮き足立ちつつ、人混みの間を縫って少し先を歩く彼女についていく。


 改札を抜け、長い階段を上ると地上に出た。

 どうやら駅前繁華街の中心部らしく、ビル群に入った企業やデパート、飲食店などの看板が一帯を煌々こうこうと照らしている。

 暗くなり始めている空も霞むようだった。

 

 馨はあまりきょろきょろと辺りを見回していると田舎者だと思われるような気がして、湧き上がる関心を殺して視線を下げた。


「この辺ってね、お洒落なカフェとかたくさんあるんだよっ」

「そうなんだ」

「たまに気分変えて家以外で勉強したくなったときに、この辺のカフェに来たりしてたの」


 どことなく照れ臭そうにしながらも、彼女は楽しげに話す。

 はにかむような笑顔が愛らしくて、ただひたすら見惚れてしまう。


「と、ところで、安心院さんは何を買いに来たの?」

「あのね、本が欲しいんだっ。好きな雑貨屋さんがあるんだけど、そこにならきっと置いてあるだろうから覗いてみようと思って!」

「雑貨屋?」

「そう! 色々置いてあるんだよっ。面白いところだから、馨くんにも見てもらいたいな!」


 人々の行き交う中、スクランブル交差点を渡る。

 似たような雰囲気の場所は馨の地元の繁華街にもあるが、ここはその比でなくきらびやかだった。


 交差点から少し行ったところにあるレストラン街の傍らに、地下へ続く階段があった。

 そこを降りるとすぐに、店の入り口が見える。

 看板の「URBANアーバン GARDEガルド」という店名に見覚えはない。


 店内に入って早々、馨は少し面食らった。

 狭い通路の片側にはキャラクターグッズが所狭しと置かれているが、かと思えば横に風変わりな菓子類のコーナーがある。

 一方もう片側はTシャツや帽子といった衣料があり、そのすぐそばにはパーティグッズや謎の置物が置かれている。

 乱雑だとしか言いようがなく、本も見当たらなかった。


「こっちだよっ」


 寧々に手招かれるまま、狭い通路を奥へと進む。

 ホラー映画のキャラクターのぬいぐるみや、シルクハットを被った巨大な老紳士の人形を横目に突き当たりまで行くと、唐突に書籍コーナーに出た。

 

「なんか色々売ってるんだね、この店」

「でしょっ。私の探してるものは、この辺りかなぁ」


 寧々は本棚を眺め始める。

 有名な書籍や漫画もあるにはあるが、表紙やタイトルがきわどいような見知らぬものも多かった。

 可愛らしい字体のPOPがあったので目を通す。


『最強逆ハーここにあり!!』

『しゅき。。。(昇天)』

『ド変態女子ホイホイ♡ぶっBLびーえる♡』


 謎の文章が書かれていた。

 思わず馨は隣の彼女を見やる。

 まさか彼女も、こういうものが好きなのだろうか。


「あっ! これかもっ」

 

 彼女が手に取ったサンプル本を横から盗み見る。

 淡いピンク色のカバーには金色の桜があしらわれている。

 タイトルは──「幸せのおまじない全集」だった。

 

 馨はほっと胸を撫で下ろした。

 当然、彼女がどんなものを好んでも構わないと思っている。

 だがもしあまりに過激な趣味嗜好だったら、きっとすぐには受け止めきれなかっただろう。


 彼女は真剣にページをめくっている。

 いつまで読むのかと思っていると、不意に彼女がはっとしたように顔を上げた。

 彼女の手元を覗き見ていたので慌てて目を逸らす。


「あ、ごめんね馨くん! つい読むのに集中しちゃってたっ」

「だ、大丈夫。気にしないで」

「……私、おまじないとか好きなんだっ。へ、変かなっ?」

「いや、別に、変とは思わないけど」


 馨はまじないに特段関心はなく、それらを好む人に対する明確な印象も持ち合わせていない。

 個人的に信じるだけなら、信じる人の自由だろうと思っていた。


 寧々は恥ずかしそうに微笑んで本に目を落とす。


「ダメ元だけど、効いたらいいなと思って……つい試してみちゃうんだ」

「ふうん。例えば、何のおまじない?」


 何気なく尋ねたつもりだった。


 しかし彼女はたちまち頬を赤らめて、本で口元を隠してしまった。

 デリカシーのない質問だったかと馨は慌てる。


「あ……ごめん、聞いちゃ駄目だった?」


 彼女はふるふると首を横に振った。


 丸い瞳を潤ませながら馨をじっと見つめる。

 そして少しの沈黙のあと、小さな声で言った。


「私が、試してるのは……恋のおまじない」

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