第二章 興味

第八話

 4月下旬、とある土曜の朝。

 軽音楽サークルの新入生歓迎会から少し経った頃。

 けいは着信のバイブレーションで目覚めた。

 眠い目を擦りながら、枕元の携帯の画面を見る。


 表示されている名前は《一花いちはな 真咲まさき》だった。


「あぁもう……また母さんか」


 馨は嘆いてぐったりと脱力した。


 故郷を離れて一人暮らしを始めた息子の身を案じてくれるのは非常にありがたい。

 しかしだからと言って2日置きという短いスパンで電話して来られると、うんざりせずにはいられなかった。


「……はい。もしもし」


 渋々応答すると、母の暢気で明るい声が聞こえてきた。


『あ、馨おはよう! もう起きてた?』

「今起きました」

『あらそうなの? ちょっと遅いんじゃない?』

「別にいいだろ、土曜なんだから……。ていうか、用ないなら電話してこないで」

『ふふふ』


 切実に訴えたにもかかわらず、母は可笑おかしそうに笑った。


『あんたやっぱり、朝は機嫌悪いねぇ。低血圧なところ、お父さんにそっくりだわぁ』

「……。もう切ります」

『あ、ちょっと待って! あんたに大事な話があったから電話したのよ』

「大事な話……? なに?」

『うん、ほらアレよ。今年ののことで』

「……ああ」


 父の話をされた上にその単語を聞かされ、馨は顔をしかめた。

 「シラハオリ」というのは、毎年8月に北海道の田舎にある曽祖父の家ので行われる、謎の行事のことだ。


 隣家──と言っても所有している土地が互いに広いため少し距離がある──には、祁荅院けどういん家という、素性の分からない一族が住んでいる。

 その敷地内にある社殿のような場所に赴き、毎年ただただ不可解な儀式を行うのだ。

 参加する一花家も皆そろって堅苦しい袴や着物を着て、長時間正座しておきょうのような言葉を聴かなければならず、はっきり言って苦行以外の何物でもなかった。


『母さん達ね、シラハオリの前の日から一花のひいおじいちゃんの所に行くから。あんたもその日に来なさい。袴のサイズも合わせておかなきゃいけないし』


 そう言われて馨は深く溜め息をつく。


「今さら急成長するわけでもねえし、そんなのやんなくてもいいじゃん。ひいじいちゃんの家に泊まる日数増えるの嫌だわ」

『馨。そんな風に言っちゃ駄目。絶対にやらなきゃいけないことなんだから』

「なんで」

『な、なんでって……とにかく、きちんとしなきゃ駄目なの』

「……はあ。あっそ」


 馨はこの行事が嫌いだった。

 単純に大儀なだけでなく、からである。

 というのも、馨にはこの行事の目的が一切分からない。

 昔はよく親や親族に聞いて回ったが、誰一人として何も教えてくれなかった。


 口を揃えて「20歳になったらね」と言う以外は。


 隣家の祁荅院けどういん家が何者で、儀式中に唱えられている言葉はどんな意味を持ち、なぜ20歳になるまで何も教えてくれないのか。

 馨は何一つ知らない。

 ネットで調べるにも把握している情報や用語が少なく、思い浮かぶキーワードを入れてもそれらしいものはヒットしなかった。


 一時期は怪しい宗教かと疑ったこともあったが、馨自身洗脳をされた覚えはなく、親が献金をしたり高い壺やらを買ったりする場面も見たことがない。


 他に真相を知る手立てもなく、馨は高校生くらいの頃から疑問を持つのをやめていた。


「話ってそれだけ? もう切るよ」

『あ、待って! まだある。お姉ちゃんがね、今度あんたに会いに行くって言ってたよ』

「は……!?」

 

 予想外の言葉に、つい声を上げた。

 馨にはあやという、5歳年上の姉がいる。しっかり者で面倒見が良いと定評があるが、馨にとってはただの口煩くちうるさいお節介焼きだ。


「無理。来んなって言っといて」

『言ったよ、馨も年頃なんだからやめときなさいって。だけど抜き打ちだからって言って聞かなくて』

「いや意味分かんねえ。ふざけんなよ、あいつ……」

『そんな言葉使っちゃ駄目。とにかくそういうことだから頼んだよ。……それじゃあね、馨! 怪我とか事故に気をつけるんだよ』


 母は毎度、最後にそう言う。

 まだ離れて暮らし始めて一月も経っていないのに、話の流れが分かるようになってしまっていた。


「はいはい……。それじゃ」


 軽く返事をして通話を切る。

 嫌な話ばかりで馨は憂鬱になった。


 ◇◇


 月曜、朝8時30分。

 馨は大学の講義室でぐったりと机に突っ伏していた。

 目こそ閉じていないが、脳は半分寝ている。

 第一講から講義がある日はいつもこうだった。

 とにかく朝が苦手で、今朝も地下鉄で耐え切れずにもう一眠りしてしまった。


「お、馨じゃん。おはよう」


 ふとやってきた体格の良い学生が、隣の席に鞄を置いた。

 さっぱりとした短髪に優しげな笑顔。

 着ているシンプルなグレーのTシャツは、彼の筋肉質な腕や胸板をさり気なく強調している。

 馨は姿勢を正さず、目だけを彼に向けた。

 

「あぁ、なたち。おっす……」


 彼の名前は鉈落なたおち宗一郎そういちろう

 馨と同じく英文学科の1年生。

 知り合ったのは軽音楽サークルwarehouseウェアハウスに見学に行ったときだった。

 彼はドラム経験者で、熟練度はかなり高い。

 一度部室で叩いているのを見たとき、その実力に馨は感極まって話しかけずにはいられなかった。


 鉈ちという愛称は、部室で話した同級生達の間で決めたものである。

 そんな鉈落は馨を見て苦笑した。


「馨めっちゃ眠そう」

「うん。朝は俺の活動時間じゃないから……」

「朝弱いんだ? でもサボらず来るの偉いね」

「でしょ。優等生なの」


 そう言いながらもこのままでは再び眠ってしまいそうだ。

 講義に参加しても、居眠りをしてしまったら優等生とは言えない。

 

「だったら、この話したら馨の眠気も覚めるかな」


 鉈落は体ごと馨の方を向き、たのしげな笑みを浮かべた。


「馨さ、warehouseに入部するって言ってたよね」

「うん。そのつもりだけど」

「だよね。俺もそうなんだけど……こないだ部長が『新入部員を6月末のライブに出させる』って言ってたんだよ」

「おー、そうなんだ」

「うん。それでさ、馨、俺とバンド組まない?」

「あー……え!?」


 馨はがばっと体を起こした。

 驚きを追って興奮がやってきて、瞬時に体が熱くなる。

 依然として微笑む鉈落を穴が開くほど見つめた。


「な、鉈ちそれ、本気で言ってる?」

「うん」

「うわっ……! え、マジ? やった! めっちゃ嬉しい。あ、でも俺バンド活動したことないからね。勿論ちゃんと頑張るけどさ、最初は世話かけるかも。それでも大丈夫? ていうか俺のパートは何になる予定? 言われたやつ何でもやるけど、できたらギターかベースが良いです!」

「急にすげえ喋るじゃん」


 鉈落は肩を震わせて笑う。


「勿論、馨はギターボーカルだよ。この前さ、部室で先輩に何かやってみろって言われて歌ってたでしょ。あれ見たときに決めてたんだよね。上手かったから」

「えぇ……!」


 馨は感動で言葉に詰まる。鉈落のような玄人に評価されたのが素直に嬉しかった。


 音楽を「下らない」と一蹴した父の元では、自分専用の楽器を買ってもらうことも、習い事として習うことも許されなかった。

 叔父がスタジオを持っていて、ただそこで楽しむだけのものだった。

 しかし今、その憧れが自分の手の届くところに来つつある。


「嬉しい、ありがとう鉈ち。俺頑張るわ!」

「よかった。喜んでくれて俺も嬉しい。ステージの真ん中に立つ人間には技術も華も必要だからさ。誰かに先越される前に誘いたかったんだ」

「な、何それ、そんな褒めたって何も出ねえよ」


 あまりのべた褒めに照れくさくなり、馨は服のポケットを弄るふりをしてみせた。


「いいよ、思ったこと言っただけだから」


 鉈落はそれを見て笑ってから、少し困ったような顔をする。


「ただね、残りのメンバーは……誘いたい人は決まってるんだけど、どっちも俺からはちょっと誘いづらいんだよね。馨にお願いしてもいい?」

「ん? うん。誰と誰?」

「ベースは与那城よなしろ。馨、仲良いでしょ? 幼馴染みだったっけ。それと、キーボードは安心院あじむさんがいいかなって」

「……!」


 安心院寧々の名前が出てきて、またしても馨は驚いた。

 寧々とは、あの新入生歓迎会のあとに一度だけ、部室で再会を果たしている。

 しかし彼女は恥ずかしそうにするばかりで、肝心の馨も終始どぎまぎしてしまい会話があまり進んでいなかったのだ。

 もしかしたらこれを機に、距離を縮められるかもしれない。

 そう思って馨が内心そわそわするのに気づかず、鉈落は話を続けた。


「安心院さんは女の子だし、単純にイケメンから声かけられた方がいいかなって思って。頼める?」

「いやイケメンて……まあ、声かけるのはいいけど!」


 むしろ声をかけさせてほしいというのが本音だった。

 寧々をバンドに誘う光景を想像して心を躍らせる。

 寧々が誘いを受けてくれたとしたら、馨の大学生活はより鮮やかに色づいていくだろう。


 そのきっかけを生み出してくれた鉈落には感謝しかない。

 残念ながら寧々の連絡先はまだ知らないが、部室で会えたらすぐにでも声をかけようと、馨は内心意気込んだ。

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