第一章 邂逅

第四話

 2013年4月某日、関東地方の某県某所。


 とある居酒屋の店内。

 店の約半分を占める座敷席のエリアにぞろぞろと若者達が入ってきた。

 一つ一つのテーブルに、限界以上の人数が詰め込まれていく。

 このエリアを貸切にしたのは、星桜せいおう学院大学の軽音楽サークル「warehouseウェアハウス」だった。


 その新入生歓迎会にけいは幼馴染みの与那城よなしろ悠大ゆうだいと共に参加していた。

 元々このサークルへの加入を決めていたが、二人が参加した真の理由はもっと短絡的なものだった。

 先ほどまで近くのライブハウスで行われていた新入生歓迎ライブで「500円で打ち上げに参加できる」とアナウンスがあり、まんまと釣られたのだ。


「人多すぎね!? 50人くらいいるわ」


 がやがやした喧騒のせいで、隣の悠大の話し声も聞き取りづらい。

 思った以上の大所帯に、二人は圧倒されていた。

 各テーブルに恐らく2、3年の先輩方であろう人達が数人ずついるが、それ以外は全て新入生だった。

 

「どうせここにいる奴ら、安く飯食いてえだけだよな!」


 悠大の言う通りだ。

 皆同じ考えなのだろう。サークルに加入するかどうかも定かではない。

 何とか店に来た全員が座ったあと、強面こわもての部長が音頭を取って新歓が始まった。

 

「よっしゃ! 今日は絶対、可愛い子と仲良くなるぞ! 連絡先交換しまくる!」


 悠大は隣で節操のない意気込みを述べる。

 馨は呆れて彼を見た。


 ◇

 

 時間が経過して飲酒していた先輩方がよりになってくると、宴会は更に騒がしくなった。

 ライブハウスで味わった心地良い轟音と違って、大勢の人間による単なる馬鹿騒ぎは耳が痛い上に気分が萎える。


「いやぁ先輩マジぱねぇっす! マジリスペクトっす!」


 隣にいる悠大は、いつの間にか先輩とも打ち解けて共に騒いでいる。 

 飲酒しているのかと疑うくらいのテンションだったが、どれが彼のグラスかも分からない。

 最早店員の手が回らないくらい、テーブルはジョッキやグラスで溢れ返っていた。


「あれ? ねえ! 君は楽器経験者なんだっけ!?」


 ばしばしと肩を叩かれて馨は振り向く。

 先ほどどこかから席を移動してきた女の先輩が、目を輝かせて馨を見ていた。


「ああ、はい」

「じゃあもうwarehouse入ってよぉ! 知ってると思うけど、うちって軽音系サークルの中で一番初心者向けなんだ。でも毎年学祭でやるサークル対抗ライブで優勝できなくて、活動のための資金がカツカツなんだ! だから経験者ほしいってのが本音なのよ! かく言う私なんて歌だけで、楽器ぜーんぜん弾けないけど!」

「そうなんすね」


 確かに馨が記憶しているかぎりだと、先のライブで彼女は楽器を演奏していなかった。しかしその代わり、非常に力強くポップな歌声を披露していたのを覚えている。

 彼女は底抜けな明るい笑顔を馨に向けた。


「だけど、うちは部費取らないよ! あとオリジナルじゃなくてコピーバンドでOKだし! 君のスマイルさえあればそれでヨシ! よく見たら君とても可愛い顔してるし。ね! もし良かったら部長に言っとくよ!? 名前は!?」

「え、えと……一花いちはな馨です」

「オッケ! 一花くんね! 部長にめっちゃ良さげな子いるって言ってくるわ! 君、もう他の軽音系に行ったら部長に殺されるからね! それじゃ!」


 随分と物騒な脅しである。しかし、元々加入を決めていた馨は特に拒まず、一直線に部長のいるテーブルの方へ行く彼女を止めもしなかった。

 再び一人になって、一息つく。

 ジョッキ片手にテーブルを渡り歩いて席を移動する人間達を、ぼんやり眺めながらソフトドリンクを飲む。


「あっ。私、そこ座ろ~っと」


 ふと、嬉しそうに声を上げて、悠大を挟んで右隣にいた小柄な女子が立ち上がった。

 こういう飲み会では時々席を移動しないと死んでしまうのだろうか。

 内心そう思っている内に彼女はやってきて、


「よいしょっ」


 馨の左隣にぽすんと座った。

 その際彼女のふくよかな胸がテーブルに乗っかり、誰かが使っていたおしぼりが潰れる。

 しかし彼女は気づかない様子で、馨を見てひらひらと手を振った。


「や。私は百花ももか千恢ちひろだよ」


 彼女の派手な外見に、馨は思わず少し身構えてしまった。

 ミルクティーのような色のボブヘア、そこから覗く耳には煌めく幾つものピアス。

 笑みを浮かべた唇には淡い薔薇色。

 服装は、肩の部分がレースで透けているブラウスにショートパンツという出立いでたちで、4月に着るには些か寒そうだった。


「よろしくね? 一花馨くん」

「ああ、うん……って、え? なんで俺の名前」


 馨は一瞬遅れて驚き、彼女の方を見やった。


「ふふ。なんででしょーか?」


 初対面のはずの彼女は、思考の読めない微笑みを浮かべて小首を傾げる。

 無闇に含みのある問いかけに、馨は眉をひそめた。


「いや、こっちが聞いてんだけど」

「……も〜、つまんないなぁ。そこにいる君の友達、与那城よなしろくんに聞いただけだよっ」

「ああ、なんだ……」

 

 馨はちらりと、隣で背を向けて誰かと大笑いしている悠大ゆうだいを見て頷いた。

 百花ももかは持っていたジョッキに口をつけて微笑む。


「ところでね、一花くん。突然なんだけど……君の苗字って、数字の『一』に花屋の『花』って書く?」

「……そうだけど。それが何?」

「ふふん」


 彼女はつやのある唇をにやりと吊り上げる。


「私の苗字ねぇ、数字の『百』に『花』で百花ももかなの。すごくな〜い? 私達二人とも、数字とお花なんだよ?」

「ああ……なるほど」

「面白いでしょ〜。でもね、もし一花くんと結婚したら私、花が99本なくなっちゃうんだよ。何か損する感じだよねぇ」

「……」


 確かに発想は面白いと思ったが、どことなく不躾な言葉に感じて沈黙を返してしまった。

 しかし百花は気にせず、ジョッキを人差し指でゆっくり上下に擦りながら話を続けた。


「あとね、私の名前ってちょっと変わってるんだ。『ちひろ』の『ひろ』が、立心偏りっしんべんに灰色の『灰』みたいなのをくっつけた漢字なの。知ってるかな?」

「……いや。そんな字ある?」

「あるよ。ちょっと携帯開いてみて?」

「?」


 指示されるまま携帯のホーム画面を開くと、突然それを横からすっと百花に取り上げられた。

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