独立ラッシュ
1949年(昭和24)年 晩春
20年以上の長きに渡った中国における内乱はついに終結し、蒋介石率いる国民党政府が改めて新生中華民国の設立を宣言した。また、これに前後して台湾地域及び日中和解後、帰属未定となっていたいわゆる旧満州国についても日中間での協議が妥結。日本人、中国人、韓国人、ロシア人など多民族が共存する特別自治区として独自の政体を取る半独立状態となり、日本の租借期間が残っていた遼東半島や天津、上海などの租界についても返還が決まった。それと昔からややこしいところではあったが、日露戦争の結果、ロシアから割譲されてさすがに日本固有の領土とは言い難い南樺太について、政府はソ連へ返還とそれに伴う住民の国籍問題や漁業水域の境界問題などの協議を打診して交渉が進められており、この頃やっと話がまとまって、樺太・千島交換条約が結ばれた当時の国境線に戻る事となった。まあ、国境線は戻ったが、島内の民間日本人とロシア人は上手く共存できており、日ソ間で日本人を無理に引き揚げさせたりしない、余計な緊張を防ぐためソ連軍も島内には警備部隊しか置かない、日本軍も宗谷海峡周辺や千島に大規模な基地を置かないと取り決めが交わされたので、驚くほどあっさりと国境線の変更が行われた。ちなみに日本が持っていた大陸権益は日中共同経営となり、北樺太の油田についても日ソで共同経営の形に戻され、日ソ間の緊張も緩和しつつあり、ユーラシア大陸の極東地域における安定は保たれそうであった。
翌1950年 5月
日本の自治領となり半独立状態にあったカロリン諸島の島々のうち、西カロリンの島々がパラオ共和国として完全独立。独立後即時に日中を中心とするアジア共栄圏へ加盟。なお、その東側のカロリン諸島、マーシャル諸島及びマリアナの自治領についても独立へ向け住民の意見が伺われていたが、こちらではそういった意識が薄く、そのまま日本の自治領に留まることとなった。なお、安全保障に不安があるというパラオ共和国政府から東京の共栄圏本部への要望があり、日本海軍はもちろん、近郊のインドネシア海軍、フィリピン海軍からなる小規模な警備部隊が首都のあるコロール島を中心として各地に駐留する事となった。また、この頃のアジアは独立ラッシュでこれに前後して独立していた旧英領マレー、国名で言うとマレーシア連邦とそこからタイ王国を挟んで北側に位置するビルマも、更にその先のインドまで英連邦に加盟しつつ、アジア共栄圏にも加盟。フランス領インドシナも分離独立した三国が同時に加盟してくれた。マレーやビルマ、そして何よりインドが英の連邦加盟国のまま共栄圏に加わった事で、インドネシア独立戦争以来緊張が続いていた日英関係も、昨今は英国と近い関係のフランスとの関係も緩和しつつあった。
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