火種




1948年 4月



英国がインドを含むアジアの一大植民地を独立させる旨を発表するなど、植民地解放、現地現民自決の原則を掲げる日本政府としてもその平和的解決、英国と本格的に事を構えずに済んだ事にまず胸をなで下ろし、中国内戦も結局、最終手段のあの恐るべき兵器も使わずに国民党優勢で最終的な勝利が見えて、ソ連も動かずにとりあえず日本周辺の外交情勢は安心できそうにあったが、この国の問題はこのところ、外より内側の方が深刻化しつつあった。日本は第二次大戦時に戦場にはならず、ちょっとした特需とその後も緩やかな経済成長を続けていた事もあって、工業化は加速。交易も増え、景気は確かに良くなっているもののその反面、各地で工業煤煙や排水の処理技術が追いつかず、そのススによる喘息や川の汚染などの被害が表面化しつつあった。特にこの九州の漁師町では・・・・・・



「またや?」


「おん、猫の狂ったごつ踊って海面に飛び込んで死んだち」


「また猫おどり病ね」


「猫だけじゃなか、豚もカラスも・・・こん前亡くなった市川のばあちゃんもそん奇病だったんじゃなかかて話ばい」


「人もか・・・」


原因不明の"奇病"としか現時点では言えない病。共産党支持の中国人が毒ガスを撒いたとか、軍の秘密研究施設から何かのウイルスか菌が漏れたのではとか様々な憶測が出る中で、漁師達は水面に浮かぶ異様な魚の死骸や岩ガキの放つ異様な匂いに、それが何かは分からないが、奇病はおそらくそれが原因だろうと判断。この海域、水俣湾からひいては不知火海全域で魚がとれなくなれば生活に直結するため、彼らはこの事象がなぜ起きているかを必死に考えた。考えた結果、というかどう考えても、水俣湾に流れ込む水俣川に、この町を"城下"とするほどの大企業の工場が流す排水が原因だろうとの結論に至った。そこで彼らは、役場の衛生局にその工場への調査を依頼したが・・・・・・


「排水処理に問題なし?!ちゃんと検査したんか!」


「もちろんです、水俣湾の異変は生活排水の影響も・・・」


「ふざくんな!チッソが税金ばいっぱいはろとるけんてあんたら役人も贔屓しとっとじゃろ!」


「そうじゃ!どしこ探してん毒ガス持った支那人なんかおらん!軍の施設もこん周辺にはなか!今、水俣のもんが苦しんどる奇病な絶対、あのチッソの排水で汚染された魚が原因なんじゃ!」


「ばってんですな、生活排水の影響も・・・」


「生活排水言うならもっとはよから影響出っぞ!明らかに2、3年前からのチッソの排水がおかしい事なっとるけんだろも」


議論を交わすうち、チッソの息がかかった地元の役人じゃ話にならんとなった住民達は国、つまり厚生省に調査を依頼したが、国側の回答も芳しいものではなかった。しかし、各メディアがこれを大々的に、この地の奇病は"公害"、つまり人災であると報道。これがこの後何十年にも渡って続く日本の公害問題の火種となっていった。











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