康行の覚悟
1947年 3月
インドネシア独立成る。そのニュースは数百年続いた主に西欧諸国を中心とした列強国家による植民地支配の終わりの始まりを告げるものであった。新生インドネシアは、戦時中既に公布はされていた憲法もすぐに施行され、国号は仮としていた「インドネシア国」から「インドネシア連邦共和国」と改め、共和制連邦国家として正式に発足、連邦政府初代大統領には勿論独立のための戦いを先頭で指導したスカルノ氏が国民の絶大な支持を受けて就任した。そして、スカルノらにとって喜ばしい事は更に続く。旧宗主国オランダのみならず英国も承認、国交を結んでくれたのみならず、国連加盟まで後押しすると言ってきたのだ。まあこれに関しては、いわゆる「これはこれ、それはそれ」論で、すぐ側にある英領海峡植民地からひいてはビルマやインドでの独立運動が激化するのを抑えたい目的と、今回の戦での立場の関係で少し緊張が走る米との関係修復を図る目的もイングランド中央としてはあったわけだが、どんな腹があるにせよ、インドネシアも同盟国日本も「現時点では」という注釈は付くものの、また矢継ぎ早に英国と本格的に事を構える事態は避けたかったので、ひとまず安心というわけだ。
翌4月
インドネシア独立戦争の完遂を祝して、日本の首都東京でも「インドネシア解放記念」のパレードが大々的に行われていた。インドネシア民族旗がはためき、現地から招待された歌手がインドネシアの国歌となったインドネシア・ラヤを歌い、それを聞いた群衆達もインドネシア万歳!と口々に叫ぶ。その中には、松井康行氏と、彼の元に疎開していたインドネシアの少年の姿もあった。
「レノ、もうすぐお別れだな」
パレードを見終わって帰宅した後、カレンダーの丸のついた日、レノがインドネシアへ帰る日付を見て、寂しくなるなと零す康行。
「・・・・・・」
「どうした?」
「・・・ヤスおじさん、僕のパパになってくれる?お店のお仕事も手伝うから、メイワクかけないから・・・・・・」
「レノ・・・・・・」
そもそも康行としては、孤児のレノを預かった時点である程度、覚悟は決まっていた。この少年が帰る家はジャワにもスマトラにも、もうどこにもない、今はここだけなのである。
「・・・・・・じゃあ、これから俺の事はおじさんじゃなくてパパって呼ぶ事、それとお店を手伝う暇があったら元気いっぱい遊んでくる事、パパとの約束な?」
「・・・おじさんありがとう!」
「こら、パパだろ・・・まあ、いっかぁ」
両親からは反対されながらも、正式にレノを養子として迎え入れることにした康行は、この時にまたもう一つ、腹に決めた事があった・・・・・・
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