かつての反省を活かして



1947年1月



京城の朝鮮軍(日本の植民地朝鮮半島に駐留する軍隊)司令部より東京の中央司令部へ向け、以下の短い緊急電が発せられた。


第一報 キョウノテンキハクモリ ゴゴヨリアメノモヨウ


この緊急電を受け、元首の天皇から大日本帝国軍の指揮権を任される内閣総理大臣宇垣一成は緊急閣議を招集。無論、上の文にある「クモリ」「アメ」はただの天気予報なんかではなく、異常事態、それもかつて陸軍中央をさんざん悩ませてきた現地部隊の「叛乱」が起きた事を意味する文だからである。しかし、国民へは伏せられていたが、軍内部のそういった過激派な将校達はここ数年でほぼ「消した」はず・・・であった。しかし、日本の軍隊というのは平時においてもそれなりに大きい組織であり、日米和解からここ数年の急な国、軍の改革に不満を持つ者が全く居ないわけもなく、この事態が発生したわけだ。そして、その次に来た電文を読んだ閣僚達は、朝鮮軍の一部の部隊が既に司令部と連絡を絶って、独断専行で国境を越えて中国領内に侵攻した模様だと悟る。


「独断専行とはいえ、そんな事情を知らない中国軍は内戦の混乱に乗じてまた日本軍が中国に攻めてきたと・・・・・・」


そう、一番の懸念はそこだ。日本軍の中国撤退完了から未だ5年程・・・一応は和解したとはいえ、中国軍人達は「抗日戦」を経験したものばかり、心の奥底には日本軍へ明確に「勝った」とも実感がないままあの戦が終わって、心の奥底には、自国を蹂躙した、或いは戦闘の余波などで自身の家族を殺されたりして、日本軍やそもそも日本人自体への憎悪を捨てきれないものもいるはずなのだ。そして日本側としても、この事態はかつての支那事変に至った状況と同じ・・・中央が軍を統制できていないと諸外国にまた批難を受けるだろうと頭を抱えつつ、また、かつて満州事変や、盧溝橋での停戦後も結局の独断専行、事変拡大を追認してしまった事などの反省から少しでも早く事態収拾に当たるべきと閣僚全員の意見が一致、すぐに朝鮮軍司令部へ「叛乱部隊が命令を聞かぬなら国府軍(中国国民党の軍隊)に連絡を付け、しかる事情をきちんと説明したのち、対処をよく協議せよ」と命令を出し、朝鮮軍は即座に叛乱部隊が勝手に国境を越えた旨を国府軍へ通達。本国からの命令通り、協議のための特使をすぐに出す。して、すぐに叛乱部隊は国府軍に発見され身柄を拘束された後、短い協議だけで彼らは朝鮮へ連れ戻された。そして無論、軍法会議にかけられた結果、叛乱を指揮した将校数名、計画に乗って自主的に兵を集めた下士官らも合わせて叛乱の表に立った者達は全員極刑か懲戒免職となり、兵士の殆どはただ上官の口車に乗せられた、断りきれなかったとの事で情状酌量がついて原隊復帰、始末書のみの処置となった。かくして、「朝鮮軍一部叛乱事件」は大した影響も出る事もなく、蒋介石政府と日本の関係も悪化すること無く事態の収拾が図れて、日本政府、軍中央もホッと胸を撫で下ろすのであった。














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