終戦


1943年 8月



イタリアでファシスト政権が倒れる。史実では独軍がムッソリーニを救出し、イタリアは分裂し内戦状態となったが、この世界ではそのような事は起きなかった。また同じ頃、日米ソ連合軍がポーランド内の強制収容所を次々に解放。その中で日本軍を筆頭に収容所のドイツ人看守達に対する虐殺行為も発生したが、現地ユダヤ系住民などが彼らの心情を慮ったのか、それは戦後しばらく経つまで表に出ることはなかった。また、西部戦線では連合軍がベルギー、オランダの解放を果たす。



10月



連合軍は改めて戦力の集中投入を図り、フランス首都パリの解放を達成。これによってヴィシー政権は倒れ、シャルル・ド・ゴール将軍率いるフランス共和国臨時政府がパリに置かれ、フランスの統治に当たる。



12月



嘗てドイツが占領した国や地域は既に連合軍の手に落ち、対独大包囲網が完成。これに間を置かずして、連合軍は一挙ドイツ本国領内に侵攻を開始。ベルギー方面から侵攻する部隊の中に田中とマイクの姿もあった。



「一緒にあの地獄のビーチから上陸した仲間達は殆ど生き残ってないが、俺達は悪運が強いみたいだな、ヤス」



「そうだなマイク、こうなったら何としても生きて帰りたくなるぜ」



「俺もだ」



若い兵士二人はそれぞれ故郷に残してきた家族やこれまでに散っていった仲間達の写真を見つめ、簡単に死んでたまるかと決意を新たにする。



翌1944年 2月



ドイツ本土重要拠点各地は既に連合軍が占領し、後は一気呵成にベルリンに攻め入るだけとなったが、ここへ来てもさすがと言うべきか、独軍はまだ激しい抵抗を見せていた。が、連合軍は圧倒的な戦力を用い一挙ベルリンに入城。ここへ来て地下壕に側近らと共にこもっていたヒトラーは史実同様に自決を図るが、すんでのところで踏み込んできた英軍の特殊部隊に発見され、逮捕された。そして、残された政権メンバーは降伏を表明。ここに第二次世界大戦の戦闘は終結したのであった。



数ヶ月後



10代後半から20代前半の連合軍若年兵の一部の帰還が本格化。彼らはそれぞれの祖国に帰っていき、共に戦った連合他国の戦友達に一時の別れを告げた。ちなみに日本軍は第一次大戦後の事もあってまた英米仏に下手に警戒されても嫌だからと、ドイツの占領統治などには加わらず、既に全ての部隊を引き揚げていた。しかし同じ頃に開廷されたニュルンベルク軍事裁判においては日本も判事を派遣、人種政策糾弾を主にナチ幹部らへ強硬な態度を取った。



12月



ドイツ占領統治に当たる連合軍、米英仏とソの間で意見の衝突が目立つようになる。この影響か、米英と友好を深めつつある日本のソ連との国境、樺太や朝鮮北部にも緊張が走る。だが、実際に欧州でも極東でも実際に戦が起きる事はなく睨み合いが続き、これが後に東西冷戦と呼ばれる事になる。




























































































































































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