参戦


昭和十七年 七月初頭



初めての改正普通選挙法に基づく帝国国民議会総選挙が行われ、社会保障法案を軸に様々な改革を訴えた東條首相率いる民政党が単独過半数を得て大勝を収める。この選挙は国民の関心も高く、とある新聞社の調査によれば投票率は全有権者の内、87%にまで登った。



「これで私もやっと、国民の皆様の代表たる政治家としてのスタートラインに立つ事ができました」



自身も初めて投票で議員当選した選挙後の記者会見の冒頭、東條首相の発したこのセリフの中の「スタートライン」は急速な民主化改革を推し進める帝国の象徴のような言葉となり、この年の流行語大賞にもノミネートされる事となった。ちなみに新憲法では内閣人事も原則的に国会議員から選ばれる事となったため、東條内閣の顔ぶれは既に当初とは様変わりしている。



九月



陸海両軍省統廃合、国防省誕生。初代大臣には海軍出身で政治家に転身した堀悌吉氏が就任。各国との自由貿易再開が本格化、国内の物資不足解消の目処がたち始める。



十月



東條首相を乗せた車が暴徒に襲われる事件が発生。幸い、東條の身に大事はなかったものの、この事件は大々的に報じられ、急な民主化転換で未だ政情不安も残る帝国の現状が浮き彫りとなった。同時期、既に各地で敗退を続けていたナチス・ドイツから日本へ同盟復活、日本軍によるアジアの英植民地に対する攻撃の要請があったが、東條内閣は彼らの人種思想、日米交渉妥結時の約束事項などを理由にこれを断固拒否。これを受け、在ベルリン日本大使館職員らがナチス親衛隊によって強制逮捕され、帝国政府は猛抗議。これは不当な権力の濫用だとして連合国のみならず、ナチス・ドイツ最大の同盟国であるイタリアからも批判を受ける。




十一月



先般の大使館職員不当逮捕事件を契機とし、英仏をはじめとする連合国の理解を得て、帝国政府はもはや大戦不介入の意義はなくなったとし、対独宣戦布告。戦後の勢力図も見据え、日本との協力関係強化を図る米国も同日対独宣戦布告。両国はすぐに各戦場への軍隊派遣を開始した。



十二月



日本の皇太子誕生日の少し前、日本海軍援欧派遣艦隊と米海軍大西洋艦隊の一部が英本土に到着。日本は軍縮を進めていたとはいえやはり島国の列強、その海軍力は未だ米英に次ぐものであり、世界のトップ3ネイビーの集結との見出しで第二次大戦中の一大ニュースとなった。ちなみにこの時、海軍出身の英チャーチル首相は大和の派遣を日本に申し入れたが、装備の更新が間に合わないとして派遣される事はなかった。










































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