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皇后ジョセフィーヌへ
妻よ。君は先日、力のない様子だった。無理もないが、それにしても度が過ぎてはいないか。おまえはこれまで勇気を示してきた。私が戦地へ赴いているときも、離れて暮らしているときも。だから、自分を支えるために勇気を見つけなければならない。私を愛しているならば、どうか元気を出しておくれ――。
物は書きようだ。例え本心がどうであれ、文字は多くを語らない。ナポレオンはペンを置き、妻に宛てて手紙を送った。
友人の言った通り、彼はフランス皇帝になった。それは、あのおかしな夢を見てから、ほんの三年も経たない頃だった。彼は「将軍」から「陛下」になり、妻も「皇后」の位を授かった。
「ナポレオン陛下!」
彼の呼び方も、「ボナパルト将軍」から「ナポレオン陛下」へと変わった。何度聞いても、心地の良い響き。自己戴冠をした聖別式の様子が、頭の中で蘇るようだ。
「ナポレオン陛下、万歳!」
フランス皇帝を歓迎する者は、この世に大勢いた。実際は、気に食わない者もいただろう。だが、それら全てが小さく思えるほどに、彼は最盛期を迎えていた。戦争をする。すればするだけ、勝利する。
彼の手に入らない物など、一体どこにあっただろう。読みたい書物は、読みつくす。食べたい物は、口に運ぶ。形の見えない「愛」さえも、すでに彼の手元にあった。
ヴァレフスカ伯爵夫人へ
マリアよ、私の美しいマリアよ。私は何よりも、君のことを思っている。早くおまえに会いたい。それが一番の願いだ。また私の下へ来てくれるだろうね? おまえはそれを約束した。でなければ、私がおまえのところへ飛んでゆくよ!
マリア・ヴァレフスカ伯爵夫人。穏やかで慎ましい、ナポレオンの愛人。ポーランドのワルシャワで出会い、互いに愛し合うようになった。ポーランドの人々は、その愛を歓迎した。二人の深い愛情が、ポーランドの発展を支えてくれると思ったからだ。
最早、誰を愛する、愛さないも、ナポレオン皇帝の支配下に置かれた。ジョセフィーヌは皇后だが、そろそろ離婚を考えている。フランス帝国のためには、後継ぎが必要なのだ。二人の間には子どもができない。ならば、別れるしかないではないか。
手紙を全て書き終えると、ナポレオンは読書を始めた。例のごとく、『オシアン』だ。オスカルという人物が、姦計によって殺害される。彼はフィンガル王の孫であり、詩人オシアンの息子であった……。
「……全く。いつになっても、私はこの本を読んでいる」
ナポレオンは苦笑した。『オシアン』に書かれた物語など、とうの昔に覚えてしまった。だから、内容を読んでいるのではない。もっと曖昧で抽象的な何かを、ページの中から掬おうとしている。
それは何か。いつも分からなかった。
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