第3話
佐助は今日の客がどんな人なのか、実に不思議に思っていた。それは普段から思っている事ではあるのだが、今回は殊更に気になっている。
「おい佐助、吾輩の水はどうした?」
日向ぼっこを終えてあくびと伸びをしながら浪漫が佐助の元へ来る。いつも水を入れる皿に水が入っていないのに文句をつけて、浪漫はぴょんとテーブルに上った。
「浪漫さん、テーブル拭いたばかりなんだけど?」
「それが何か?吾輩の手足はこんなにも綺麗だと言うのに、小うるさい男だな」
浪漫の猫パンチを佐助は手で払いのけて、皿に水を入れて浪漫の前に差し出す。
「そうそう、昼寝の後は一杯やらんとな」
浪漫は美味しそうに水を飲み始める、そんな様子を横目に、佐助は今一度品物を見つめる。頑丈なスーツケースだが、これ自体は何処にでもありそうな普通な物、問題は中に詰まっている物だった。
「佐助、それが今回の品物か?中身は何だ?」
浪漫に見せるため、スーツケースを開けようとしたその時、店の扉が乱暴に開かれて、拳銃を持った男が入ってきた。
「おい!そこのお前!金だ、金をよこせ!」
男は緊張しているのか、拳銃を持つ手がぶるぶると震えている。呼吸は荒く、如何にも興奮状態と言った感じだ。
「ほう、こりゃまた珍しい事もあるもんだ。小僧、入る店を間違えたな」
浪漫が全身の毛を逆立て、今にも飛び掛かろうとするのを佐助は急いで止めた。
「待った浪漫さん!彼は今回のお客さまだ。ようこそ月来香へ、取りあえずこっちに来て、座って水でも飲んで落ち着きましょう」
男は佐助の思いもよらぬ言葉に一気に力が抜けてしまった。言葉もなく立ち尽くしていると、先程まで激高していた浪漫がその足元に来て言った。
「何だお前客だったのか、ならこっちへ来い。吾輩がもてなしてやる」
男は猫に言われるがままついていき、そのまま椅子に座った。
「落ち着きましたか?」
本当に水を出されるとは思っていなかった男は、勧められるがままに水を飲んで、すっかり落ち着いてしまった。強盗に入った筈なのに、一体何故こんな事になっているのか、今だ理解が及ばず混乱はしていた。
「あ、あの、俺拳銃持って強盗に入ったんだけど…」
「そうですね、私も今日来るお客様がどんな方か気になっていましたが、貴方の行動と言動でぴんと来ました。確かにこの品物をお求めの方は貴方です」
そう言って佐助はスーツケースを開けて中身を男に見せた。中にぎっしりと札束が詰まっていて、男にはこれがいくら入っているのか見当もつかなかった。
「ほう、品物は現金か、成程これは確かにお前が今必要な物であるな」
浪漫は中身を興味なさそうに見つめて、面白くなさそうにしっぽをだらんと下げた。
「な、な、こ、これは何だ?」
「見て分からんか小僧、お前がそのおもちゃを持って脅し取ろうとした物だ。それが欲しかったのだろう、とっととお代を置いて持っていけ、まったく面白くない物を望みおって」
浪漫はケースを閉じると、そのまま机の上を滑らせて男の前に出した。
「お代?金を取るってのか!?お、俺が持っているもんが見えないのか!?」
男は震える手を必死に抑えながら、拳銃を佐助達に向ける。しかし、佐助は動じず、浪漫に至っては興味もなさげに顔を洗っている。
「まあまあ落ち着いてください、お代はお金を頂くのではありません。あなたが何故この現金が必要なのか、そのお話を伺いたいのです。そもそも、それ撃たない方がいいですよ」
「は?」
「どこで手に入れたのか分かりませんが、碌に手入れされていない粗悪品です。大枚はたいて押し付けられましたね」
男は拳銃を慌てて見る、見た所で触った事もない物の良し悪しなど分かる訳がない、そもそも男は撃つつもりはなかった。脅せればそれでよかったのに、肝心な相手が怯えないのであれば無駄な事だった。
「そのおもちゃを置いて、取りあえず何故大金が必要なのか教えていただけませんか?そうしたらこの現金は持って行ってください」
佐助のニコニコとした顔を見ていたら、男ももう力が抜けてしまい、喋る猫に現金を差し出す店主、訳の分からない状況を脱したい一心だった。
「俺は
山根が問うと、佐助は黙って頷く。
「実は妹が病気なんだ。その治療費がどうしても必要で、これが最悪な方法だって分かっていたんだけど、どうしてもすぐに金が必要で」
浪漫は呆れた様子で山根に話しかける。
「お主、真っ当に作った金でなく薄汚い金で妹を救って、それで胸を張れるのか?」
山根は浪漫の言葉にカッとなって、机を拳で強く叩いた。
「うるさい!事情も知らないくせに偉そうに言うな!」
その凄まじい剣幕にもどこ吹く風で、浪漫は言う。
「そういきり立つ前にその事情を申せと言っておるのだ。そうすれば金は手に入る」
激情もするりと流され、山根肩を落とした。暴力沙汰は自分には向いていない、そう感じた山根はすらすらと事情を話し始めた。
「俺の親父もお袋も若くに死んだ。残された妹と俺は二人でお互いを励まし合いながら生きてきた。しかし、妹が大病に侵されていると分かって、その治療の為に金が必要になった。親族は、皆俺達から距離を置いた。俺が何とかするしかない、その一心で俺は雇ってくれる所を見つけて、工場で働き始めた。休まず、残業もして、一心不乱に働いた。しかし、もらえた給料は雀の涙だった」
山根は話しながら落とした肩が怒りに震えていた。拳は強く握りしめられて、爪が掌に食い込んでいた。
「給料が少ないのではないかと直訴しても、嫌ならやめればいいと言われ、取りつく島もなかった。俺には学歴がない、再就職は難しい、しかし妹の病状は悪くなっていく一方だ。俺は何とか金を稼ごうと働いたが、妹に満足な治療を受けさせてやれる纏まった金は手に入らなかった」
山根の目からは涙が零れ始めた。どうしようもない現実に打ちのめされて、それでもあがいて考えた作戦が押し入り強盗という最低な手段だった。それだけまとまった金が必要な理由があった。
「妹の病気を治す手段が見つかったんだ。だけどその治療を受けさせてやるには金が要る、でも俺の稼ぎじゃどうしても目標の金額まで届かないんだ。だから俺は、拳銃を売っているという人物を見つけ出して、なけなしの金で一丁買ってこの強盗を実行に移したんだ」
そんな事情があったのかと佐助が思っていると、浪漫がすらりと山根の所へ歩いていき、頭に手を置いて言った。
「助かったな、お前は他の店に入る前にここを訪れる事ができた。そのお陰で金も手に入るし、穏便に事を済ましてやれる。お前の妹君は家族を失う事はない、お前はこの店に訪れるべくして訪れたのだ」
山根は思った。強盗に入るならもっと金のありそうな店を選ぶつもりだった。それが何故か、見た目も豪華ではない、如何にも金なんてなさそうな店に導かれるように入った。何の店かも分からない、そんな所を選ぶ訳がなかった。
「俺はこの店を選ばされたのか?」
山根の問いに佐助は困ったような笑顔を浮かべ答える。
「そこまでは分かりません。しかしこの現金は、私は便宜上商品と申しましたが、本当に山根さんが稼がれたお金ですよ」
どういう事か飲み込めない様子の山根に説明を続ける。
「山根さんが働いていた工場の経営者達は、従業員から不当に賃金を搾取して、満足な給与も与えずに、その分を自分たちの懐に隠していました。あそこで雇われていたのは全員社会的弱者であったり、何かしらの弱みを持った人々だけでした。徹底的に文句を排除しようとしていたんですね、そうして浮かせた人件費で私腹を肥やした」
佐助の説明に、山根は訳が分からないという表情だった。
「話は変わりますが、山根さんのお父様とお母様は大変優秀な検事と弁護士だったようですね」
「あ、ああ、優秀かまでは覚えていないが、確かに両親は父が検事で母が弁護士をしていたよ」
「賃金の未払いも違法行為、労働時間の超過も、上限破りの残業も、その会社は煤だらけでした。まあそれで山根さんのお金はしっかり取り戻せましたから、そのお金で妹さんを救ってあげてください、そして自分のやりたい事を探してみてください、何かを始める事に遅いも早いもありませんから。好きな事を見つけてください」
何が何だか山根には状況が理解できなかったが、一つ明確に聞きたい事があった。
「あんた俺の死んだ両親に会ったのか?話したのか?」
自分の両親の職業を始めて会った人間が知っている筈がない、知っているなら何か理由があると山根が問い詰めようとすると、佐助は黙って人差し指を口に当てた。
「さあもう用はないでしょう、この店のルールは一見さん以外お断り、もうお会いする事はありませんがお元気で」
「小僧、その
山根はもう喋る事はないという態度の佐助達に黙って深々と頭を下げた。そして大金の入ったスーツケースを手に、店を後にするのであった。
後日、佐助は新聞紙を広げて記事を読んでいた。
「おい佐助、珍しく新聞なぞ読んでどうした?」
「珍しくって何だよ浪漫さん、俺だって新聞くらい読むさ。それより気になる記事を見つけてね」
そう言って指さしたのは、ある工場を経営していた会社が、労働者を不当に扱い、数々の違法行為を繰り返し、それを隠蔽していたというニュースで、社長や役員は逮捕された。
「ふうん、馬鹿な事だ。こんな泥船に乗り続けていた人間がいたとはな」
「それが泥で出来ていようと、頼りない紙で出来ていようと、船は船なのさ。しがみ付いてでも乗らなきゃいけない人はいる、次の船長はまともな人だといいね」
そう言って佐助はまた新聞に目を戻す。ふと目に入った端の記事にはとある指定暴力団の事務所で、拳銃の暴発により怪我人が出たと書かれていた。佐助が新聞から顔を上げて浪漫を見ると、すでに優雅に尻尾を振って散歩に出かけていく所だった。
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