第2話
浪漫がいつもの様に散歩から帰ってくると、カウンター内で佐助が何やら細々と手を動かしているのが見えた。
「佐助、お主今回は何をしておるのだ?」
佐助は顔を上げる、げっそりとした表情で肩をぐるぐると回す。
「おかえり浪漫さん、足ちゃんと洗ったかい?」
「お主が口うるさく言うのでな、吾輩もいい加減綺麗に洗う事にした。だから晩飯にはマグロを要求する」
浪漫は前足を上げて佐助に見せつける。
「マグロは約束しないが、まあ守ってくれているようで何より」
「話を戻すが、佐助よ何をいじっておったのだ?」
浪漫の問いかけに、佐助は先ほどまで弄っていた物を手に取って見せた。それは古い懐中時計だった。
「ほう、年代物だな。古臭いが、装飾も細工も実に丁寧で見事な物だ。動いておらぬのが残念だが」
浪漫が褒めるように、その懐中時計は古くても、とても見事な物だった。綺麗な細工が施されており、その古さでくすんではいるが、その鈍色の銀がまた高級感を感じさせる。しかし、その懐中時計の針は動いていなかった。
「パーツがもう古くてさ、何とか手入れしてみるんだけど、やっぱりちょっと無理かもしれないな、発条が上手く回らない」
佐助は疲れた目をほぐすために目頭を強く揉む、首も肩も動かす度にバキバキと音を立てて如何にも固くなっている。
「それで、これが今回の品物か?」
「そうみたいだね、どんな人が来るのかな」
そんな話をしていると、玄関が開く音がした。
「いらっしゃいませ、月来香へようこそ」
訪れた客は若い女性だった。楚々とした人で、上品な見た目をしている。女性は戸惑いながらも店内の席に着いた。
「あの、こちらはどんなお店なんですか?」
この店に訪れる人の最初の疑問は大体これである、そもそも月来香には看板がない、訪れる人は何故自分がここへ足を運ぶのかさえ、何となくだけしか分からない。
「このお店の説明は私にも難しいんです。守っていただくルールが一つだけ、この店は一見さん以外お断りのお店。ご来店できるのは一度のみとなっています」
説明を聞いて驚くのもいつも通り、そして極めつけには喋る猫がいる。
「吾輩は猫又の浪漫である。女子よ、貴様の名前を聞こうか」
ただの猫だと思っていた女性は目をまんまるにして驚いた。
「失礼、この猫は喋る置物だと思ってください、よく出来るでしょう?おもちゃ屋で投げ売りされてまして、口が悪いからでしょうね」
「僻むな僻むな小童が、貴様では女子に名も聞けぬ奥手だから吾輩が聞いてやっておるのだ」
佐助の突っつきと浪漫の猫パンチの応酬を見て、女性はくすりと笑った。
「私、
佐助と浪漫はみっともない喧嘩を止めて、白石に自己紹介する。
「吾輩は誇り高き妖怪、猫又の浪漫である。長い時を経た賢猫であるから、敬うように」
「私はこの店のマスターで、名前は佐助と言います。ここを訪れるお客様に今一番必要な物を提供しております」
佐助の言葉に白石は首を傾げた。今自分に一番必要な物、抽象的すぎてイメージも浮かばない、必要な物はいくらでもある。その中で一番と言われれば一体何だろうか、そんな事を白石が考えていると、佐助が目の前に懐中時計を差し出した。
「これは…」
白石にはこの懐中時計に確かに見覚えがあった。その様子を見て佐助が言う。
「この懐中時計がお客様の品物です。いただくお代何ですが、この品物にまつわるお客様のお話を聞かせていただきます」
白石はその懐中時計を受け取って胸に抱きしめると、ぽつりぽつりと、少しずつ話し始めた。
「この懐中時計は祖父の物でした。亡くなる前、私にと言ってくれたんです。祖父は私がまだ小さい頃にした約束をずっと覚えていました」
「約束とな?」
浪漫が聞くと白石が答える。
「祖父はあまり物を持たない人でした。その中でこの懐中時計だけはとても大切にしていました。私はそれが、きらきらとした宝物のように見えて、祖父にそれをおねだりしたんです」
浪漫はなるほどと頷く、小さな子供が大人の持ち物に憧れるのは自然な事だ。
「祖父はその時、今はあげる事が出来ないけど、いつか必ず私にあげるよ、そう約束しました。だけど私は子供でしたから、そんな約束は祖父が実際に時計を渡してくれた時まで忘れていました」
「それはそうでしょうね、子供は気まぐれで移り気ですから」
佐助の言葉に白石も同意した。
「私は素直に言いました。おじいちゃん、そんな約束守らなくてもいいよって。大切な物なのは亡くなる前でもよく手入れされている事から見てとれましたから」
浪漫は白石に聞いた。
「その時、この時計は時を刻んでいたか?」
「はい、祖父はこの時計の発条を回すのが好きでした。私もよく祖父と一緒に時計が鳴らすカチカチという音に耳を澄ませていました」
佐助はそれを聞いて、この時計が長く手入れされていなかったんじゃあないかと思った。見た目こそ綺麗だが、言ってしまえばそれだけだ。
「祖父はこの時計をくれる時に教えてくれました。時計はアメリカ人の友人がくれた物だったそうです。祖父は英語に堪能でした。意国語に興味があったそうで覚えたようです。そうして仲良くなった友人から送られた物だと言っていました」
「お二人の強い絆の証でもあったんですね」
「はい、自分が持っている唯一貴重で高価な物だと祖父は笑って言いました。そして約束だからと言って、私の手の中に懐中時計をしっかりと握らせました」
しかしそうなると気になる事が佐助にはあった。そんな大事な物なのに、この懐中時計は一度手放されたという事になる。その理由が知りたかった。
「何故白石さんはこの懐中時計を手放したんですか?」
佐助の質問に白石の肩が小さく震える。白石は大きくため息をついた後、ゆっくりと語り始めた。
「私、結婚詐欺の被害にあったんです」
「結婚詐欺?」
浪漫が訝しげに聞く、その答えは佐助にも予想外だった。
「馬鹿でしたよ、結婚を前提に付き合っていた彼氏が、あらゆる理由をつけて金銭を要求してきても、私はそれに応えました。稼ぎ以上に求められた時には借金をして、身の回りのお金になりそうな物はすべてお金に変えて、彼氏の為にせっせとお金を運んだんです。懐中時計はその時に売り払った物の一つです」
浪漫はやれやれと言いたげに首を振る。
「そうして貢ぎきった後男は蒸発か」
浪漫の言葉に白石は黙って頷いた。がっくりと肩を落とし、その様子は悲痛なものだった。
「大切な物をすべて失って、結局私に残ったのは身の丈に合わない借金と、形見も大切にすることが出来ない愚か者という証だけです。正直この懐中時計を見た時に、祖父に強く叱られている気がしました。私はこの時計を持つのに相応しくありません。どうしてここにあるのかは分かりませんが、これは受け取れません」
そう言って白石は懐中時計を佐助に返そうと机の上に置く、しかし佐助はきっぱりとそれを断った。
「いえ、その品物はすでに白石さんの物です。私はもうお代をいただきましたから、あなたがこの時計を持つべきなのです」
「でも…」
「白石さん、どんな恋愛をしたとしても、最後は結局自己責任です。しかし、詐欺は犯罪行為、その男どこに逃げたか知りませんがしっかりと罪を追求してください。あなた以外の女性もその男の毒牙にかかっているやもしれません」
佐助はもう一度懐中時計を白石の手にしっかりと握らせた。
「白石さん、おじい様はあなたの事を愚か者と笑う人でしたか?叱りつけ、委縮させる人でしたか?私は違うと思います。この時計が今あなたに必要な物なのは、あなたが一人ではないと信じさせてくれる物だからです」
白石は握った時計を見る、懐かしい綺麗な懐中時計、祖父との大切で楽しい思い出が頭の中で思い起こされていく、目からは自然と涙が零れ落ちていた。
「おや?おい佐助、見ろ」
「これは…」
二人の驚いた声を聞いて白石は顔を上げる、そしていつか祖父と一緒に聞いていた懐かしい音が手から響いているのが聞こえた。懐中時計を見ると、零れた涙で濡れた時計が再び動き始めている。
「白石よ、止まっていた時が再び動きだした事、吾輩には意味があると思えるぞ。何が大切な物なのか、今一度よくよく見直してみるがよい」
浪漫がそう言うと、白石はもう一度懐中時計を胸に抱きしめて、強くゆっくりと頷いた。
帰っていく白石の背中を見送った。
「しかし、何だって時計が動き出したんだろうな」
「無粋だな佐助、そんな些末な事どうでもいいのだ。どうであろうと、白石の背を押した事に変わりはあるまい」
浪漫はそれだけ言うと優雅に尻尾を振りながら歩いて行った。佐助もそれもそうかと納得して、次に来る客はどんな人だろうか、そんな事を思いながら店内の清掃をしようと準備を始めた。
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