第7話 ゆらゆら
ビジネスホテルのフロント係に転職してからゆうに十年が過ぎた。
二十代半ばだった俺は三十代半ばを超え、立派なおじさんへと進化していた。
立ってるだけ。
それが俺、山口虎太郎の仕事だ。
※
「山口さん。大丈夫ですか?」
朝、出勤するなり猿田ももにそう言われて少しドキッとする。
いや、まあ、そうだよな。
昨夜は年甲斐もなく張り切り過ぎた。
バーニングナイトと名付けたい。
「夏バテかもな。昨日遅くまで起きてて。もう若くないよなって思うよね」
「その割に、ご機嫌ですけど」
ももが訝しむような目で俺の顔を見上げている。
「気のせいじゃないか?」
「ちなみに、ワイシャツが昨日と同じですね」
「は、はは。案外鋭いよね、ももさんって」
「山口さん。今日は卵焼き抜きです」
「マジか、あれが一日の楽しみなのに!!」
ああ、そうだよ。張り切ったも張り切った。
ボーリングで朝までとか何年ぶりだ?
飯尾のおススメの店で美味い牛肉食って、「そっか。こいつと付き合ったらこんな感じか」って思って、悪くないな、なんて思ったりして。
んで、いつの間にか手を繋いでいて、キスをしていて、徹夜でボーリングだった。
子どもかお前らわってツッコミはなしだ。
でもそう言えば、ちゃんと付き合おうって言ってないな。
でもどうなんだ? あいつ今時の子だから、一回デートしたくらいで付き合うの? とか言われそうで怖い。
別に後悔してる訳じゃないが、次職場で会う時、あいつがどんな反応するのか予想がつかん。
普通なら大人の対応するんだが、あの飯尾だしな。
まあいいや。ここで悩んでも仕方ないので、仕事しよう。
ライトステップ、レフトステップ、エンドダウン。
レフトステップ、ライトステップ、エンドダウン。
心なしか、横で立っているももに見られているような気がして、俺は九九をランダムに答える方にシフトした。
だがしかし。
「ルンルンだった」
「え、なに?」
「ルンルンでやまぐステップしてた」
ももがロビーの方を見ながら声だけで話しかけてくる。
「いやまず、やまぐステップってなんだ?」
俺も前を向いたまま答える。
「この前井上さんから教わりました。フロントで一緒になった時、山口さんの足元を注意して見てごらんって。ご機嫌ステップですか?」
ご機嫌ステップとかやまぐステップって単語もまあムカつくが、井上さん喋ってくれるなよ、と心の中で思ってげんなりする。
「分かってないな。このやまぐステップは、悠久の時間を生きる一人のホテルマンが悟りの果てに行きつく最後の奥義なんだぞ」
「山口さん」
「なんだ?」
「仕事しろ」
「はい」
なんだよもお今日のももさん超怖えじゃんいやマジで。
俺は今日の昼休憩がももと重ならないように、ホテルの神に祈った。
※
結果、ホテルの神はいなかった。
フロントカウンターには井上さんと篠崎が出ていて、俺がコンビニ弁当を食っていると、ももがチンした弁当箱を持って隣に座った。
ううむ。威圧感ですな。
いつもならクソどうでもいい世間話をしながら飯食うのが楽しかったのだが、今日は二人とも黙々と箸を動かしている。
これは、パッと食って、さっさと喫煙室行って時間潰すか。
そう思ってペースを上げてかきこんでいく。
「店ですか?」
なんか聞こえた気がして、思考と箸が止まる。
ミセデスカ。ん、ああ、店ですか、か。
「な、なにが?」
「午前中ずっと考えてました。店じゃないですよね、きっと。普通の人と、盛り上がって一泊しちゃった感じですか?」
「いや、まあ、なんだ。違うけど、大人には色々あるんだよ」
そう言うと、ももは心底冷え切った目で俺をちらり、と見て箸を置いた。
「支配人と、そういうお店行ってるのは知ってます。家族いるのにそういうお店とか行く支配人もどうかと思うけど、今は山口さんです。山口さんって、お店でどうこうより、男仲間ではしゃいでるのが好きな人ですよね? そういう、遊び方だと思ってた。子どもみたいだなって思ってた。でも男性だから、まあ仕方ないのかなって思ってました」
大当たりだよバカ野郎。的確に俺の傾向分析してんじゃねーよ。
でも行ってるのはそういう店じゃなくて、ただのイタリアンバルだけどな。
まあ、あっこちゃんは美人だが。
「とりあえずだな、俺たちは大人の店とか行ってないぞ。その見方は支配人にも俺にも失礼だぞ。お前の言う通り、あの人にも家庭がある訳だし」
「じゃあ、それはとりあえず信じておきます」
「ああ」
「………………」
無言で俺を見つめるもも。
俺もさすがに飯食いながら話すのも違う気がして、箸を置く。
●
「ど~~しても、言わせたいって顔だな」
無言でうなずくもも。
「仕事帰りに、飯尾と飯食ってたんだよ。んで、朝までボーリングしてた。そんだけだ」
「ウソだ」
「ウソじゃねーよ。晩飯食って、これからどうするって話になって、んでボーリングだよ。我ながらガキみたいなデートコースだが、マジでそれだけだ」
あとついでに言うなら、ボーリングのあと、ラーメン食ったけどこれは言わんでいいだろ。
「なんで食事?」
「そこまでいわにゃいかんのか?」
「はい」
「はい、じゃねーわ。まあいいや。あいつちょっと悩んでてな。気晴らしに飯誘った。ついでに言うなら、飯尾の内心は知らんが、俺は楽しかった」
ウソは付いてないぞ、うん。
しばらく考える表情をしていたももは、卵焼きをつまみ、ゆっくりと俺の弁当に乗せた。
「とりあえず、信じます。たぶん全部の本音言ってないんだろうけど、とりあえず」
俺は卵焼きを食う。食ったけど、何味か分からなかった。
「思ったんだけどさ、ももさん」
「…………はい」
「なんで俺、こんなにキレられてるの?」
「分かんないですか?」
「いや、そりゃももさんは可愛い後輩だが、飯尾だってそうなんだよ。悩んでりゃそりゃ、話聞くだろ」
そうですね。呟いて、ももは弁当箱を見つめた。
「山口さんは優しいですもんね」
「あ?」
「優しい先輩の山口さんは、可愛い後輩の悩みを聞いて、そして付き合っちゃうんですね」
「おい。別にまだ付き合ってないぞ、俺たち」
ももは静かに俺を見ていた。
草食動物が、遠くからライオンを見るような、どこか悲しげな眼で。
「わたしも悩んでますっていったら、食事に誘ってくれますか? わたしが仕事休んだら、家まで迎えに来てくれますか? 私が作った卵焼きを、毎日笑顔で食べてくれる山口さんは、何なんですか?」
俺は黙ってしまった。
正直に言えば、俺は男だ。恥も外聞もなく言えば、飯尾と付き合って、ももとも付き合いたい。
でもそれは無理だろ。
どちらかを選べと言われたら、俺は飯尾を選ぶ。
でももしも先に飯に行ったのがももだったなら。
そんな些細な理由で、付き合う相手なんて簡単に変わってしまう。
「ももさ……」
「好きですっ!!」
ギリギリの声だった。
もう少し大きかったら、フロントまで届く、そんな声量だった。
それはまるで、大人と子どもの境界線だった。
大人のももが子どものももを必死に押さえつけている、そんな感じだった。
「ももさん。ここは職場だ。頭冷やせ。で、俺も頭冷やすから、タバコ行くな?」
「はい……」
※
喫煙室で、膝にコンビニ弁当乗せながら灰を叩く。
今年の春、緊張しまくって職場に来たお前を、リラックスさせたくて、笑わせたくて、始めた卵焼きタカリだった。
いつの間にか、仕事の中でふっと一息つける、二人のジョークみたいになっていた。
俺が教育係で、なんか気がつけば信頼されてるっぽくて、そんなやつじゃないのにな俺、って思いながら、やっぱ嬉しかった。
シーソーが、今、揺らいでいる。
緊張しいのももを知っている。
努力家のももを知っている。
嫌な顔しないで、自分から動けるももを知っている。
そんで。
あいつの笑顔が見たくて、いつの間にか笑いをとりに行っている俺を、俺は知っているんだ。
おじさんってポジションが、心地よかった。
俺はきっと、飯尾と付き合う。あいつが拒絶しない限り。
飯に誘った時からその覚悟はできていた。
デートして、はい、おしまいは、俺の中で通用しない。
だから飯尾だけ見ていればいい。
でも。
猿田ももは、そうできないから、やっかいなんだ。
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