第6話 キュン


 ビジネスホテルのフロント係に転職してからゆうに十年が過ぎた。

 二十代半ばだった俺は三十代半ばを超え、立派なおじさんへと進化していた。


 立ってるだけ。


 それが俺、山口虎太郎の仕事だ。


   ※


 午前中のロビーで女の子が泣いている。

 しばらく放置プレイして様子を見ていたが、泣きやむ様子もないし、親が来そうな気配もない。

 そうか、世間は夏休みか、と思っていたがそんな場合じゃなさそうだったので俺はフロントカウンターから出て様子を見に行く。

「どうした? 迷子かな、お父さんかお母さんは?」

「びええええぇーーん!!」

 話しかけただけでギャン泣きである。


 ううむ。困ったな。とりあえずこのまま野放しにしとくのは他のお客さまに迷惑なので、ポケットからアメを出し女の子に渡す。

「アメをあげるから、名前を教えてくれないかな?」

 言いながら、ここがロビーじゃなかったら変質者だな自分、と思う。

 見た感じ風呂上りっぽいので、スパからの帰りにはぐれたとかそんな感じだろう。

 状況は分かるが、女の子は泣きやんでくれない。

 しばらくオロオロしていると、見かねたももがバックヤードから出て来て女の子の前で膝を折った。

「山口さんはフロントお願いできますか?」

「ああ。分かった」

 ももは女の子の手を握り、膝をついて女の子より下から顔を合わせて話しかけている。

 こういう時男は無力だな。

 女の子がロビーのソファに座って、ももが話しかけているみたいなので、俺は裏に戻ってリンゴジュースとオレンジジュースをグラスに入れ二人に持っていく。

「どっちがいい?」と、ももが言う。

 おお、もうため口か。子どもとの距離の詰め方が分からない俺としては素直に感心する。

「名前聞けたか?」

「さきちゃん、ってだけで名字の方は……」

「じゃあとりあえず、さきちゃんで名簿にないか検索かけてみるから」

「お願いします」



 ………………。

 …………

 ……


   ※


 結局、どうだったかと言うと、お母さんと隣接するスパに行き、入浴後に「入口で待っててね」と言われたさきちゃんは、スパの方ではなくホテルの方の入口で待っていた、という訳だった。

 たまにあるハプニングだ。

 それが今回、お母さんの方が浴場内を探し回っていて、こちらから掛けた電話に気付かなかったので、少し騒ぎになった。

 まあそれだけだ。

「無事に見つかって良かったですね」

 ももが、少し垂れ目な目を垂らして笑う。

「ああ。でも、ももさんさすがだな。俺はあーゆー時、未だにどうしていいか分からん」

「兄の子どもが今あのくらいで」

「いや、俺も妹の子があのくらいだが、全然だったな。泣く子と地頭には勝てんと言うがその通りだな。地頭って何の人か知らんが」

「おバカですね、山口さんは」

「いや、でもイヌとか子ネコは好きなんだぞ」

「なんのアピールですか、それ」


   ※


「っていう事が午前中あってな。お前子どもとか平気な口か?」

「どうだろう? その場はいいけど、ずっとは無理な感じです」


 チェックインのお客さまの波も落ち着いて、俺は帰る準備を、飯尾はこれからダラダラする準備をしていた。

「だよな。自分も子どもなのに、さらにちっさい子の面倒とか見れんよな」

「ももちゃんはそーゆーのでもさらっとこなしますよね」

「だな。息子の嫁に来て欲しいランキング一位だ」

「えー。じゃあわたしはなんのランキング一位ですか?」

 こっちをおちょくっているような、作った困り顔で飯尾がぶりっ子する。

「今度二人で飯に行きたいランキングだな」

 ああ。こんなバカを本気でカノジョにする気なのか、俺。

 でもまあいいや。飯食いに行くくらい問題ないだろ。

「おっ。ホントですか? ついに揺らぎましたか?」

「ああ。ちょっと揺らいでんな、俺。チャンスだから頑張れよ」

「それズルくないですか、ぐっさん」

「まあ、お互い一歩歩み寄ろう。それでお前の幻想も覚めるかも知れんしな」

「いつにしますか?」

「いつでもいいぞ。お前に合わせる」

「じゃあ行きたかったお店あるんで、予約取れたらラインします」

「分かった。ちなみに何の店だ?」

「ウシとイモの店です」

「牛肉のことウシって言うな!! まあいいや。あんま高い店は予約するなよ」

「あれ、驕ってくれるんですか?」

「俺から誘ったからな。驕るからって高いコース頼んだりするなよ」

「サーロインコーストかぁ、ローストビーフコースとかぁ」

「ウソだろお?」

「大丈夫です。お手頃価格で抑えときます」

 言っちゃったな、俺。

 まあいいや。晩飯一緒くらいなら、その辺の小学生でもやってるだろ。

 うむ、我ながらつまらんかったな。


 そういや、支配人からこの前の飯代、まだ返してもらってないなと思い出す。

 俺は何だかんだで少しテンションが上がっていて、ちょっと久々に、嬉しい気分だった。


   ※


 日勤が終わって、夕方。

 外に出ると、うむ、今日もクソ暑いな。

 車に乗ってエアコンを全開にする。

 西日が強かったのでサングラスをかけ、俺は待ち合わせの地下鉄出口に向かって車を走らせる。

 出る時に飯尾にラインしたら、暑いので着いたらライン下さいと言われ、そもそも待ち合わせ場所失敗したかなと思う。

 んで、地下鉄のエレベーター前に車を停めてラインすると、秒で飯尾が出てきた。


 おお、プライベートの飯尾か。

 肩の紐が細いノースリーブの上にシャツを羽織っていて、下は緩めのロングパンツ。

 スタイルがいいから、足長く見えるな。よく分からんがインスタとかで自分のファッション晒してる痛い女が着るようなカッコいい服だ。(悪気はない)


 降りて助手席のドアを開けようとしたら、飯尾は手で制して自分で乗り込んできた。

「お待たせしました。あれ、サングラス?」

「出る時眩しかったんだ。言っとくがカッコつけじゃないからな」

「ははっ、ぐっさんがカッコつけでサングラスしてたら笑います」

「まあいいけどな。あとお約束だからこれも言っておくが、綺麗だな、お前。いい感じだぞ」

「ありがと。でもぐっさんファッションとか分かるんですか?」

「いいや。まったく」

「だと思った」

 うん、ちょっといい感じだな、やっぱ。

 出会っていきなりため口の比率がちょっと多い。

「車内寒いか?」

「大丈夫。あ、次の信号左折です」

「了解」

 言われた通りに曲がる。

「飯尾、お前音楽とか聴くか? ミスチルとかって知ってるか?」

「ミスチルは誰でも知ってるでしょ」

「じゃあスピッツとかは?」

「まあ、名前くらいなら」

「マジか。スピッツ知らないやつと今から飯行くのか、俺。お前は何聴くんだ?」

「ちょっとストップ」

「あ?」

「今日は飯尾じゃないです。お前じゃないです。ジェシカです」

「え、俺がお前のことジェシカって呼ぶの?」

「そうです。お前じゃないです、ジェシカです」

 かたくなにお前呼ばわりを否定される。

 そうか、まあ、一応そうか。

 とりあえず言ってみよう。

「ジェシカは普段なに聴くんだ?」

 ちょっと照れるおじさん。

「ジェシカって、やっぱ照れますね」

「お前が言わせたんだろーが!!」

 なんかさあ、なんかさあ、キュンキュンしてんだけど、おじさん!!

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