第5話 職場のオアシス
ビジネスホテルのフロント係に転職してからゆうに十年が過ぎた。
二十代半ばだった俺は三十代半ばを超え、立派なおじさんへと進化していた。
立ってるだけ。
それが俺、山口虎太郎の仕事だ。
※
夕方。日勤と夜勤が交差する時間。
最近、年甲斐もなくムラムラするんだ。
大学の同期のアラカミに、今さら感満載の遅すぎるカミングアウトをされて。
最近急速に懐いてきた飯尾ジェシカの、日本人離れしたバディがよぎって。
ああ。下手に抱けそうなのが余計に辛い。
久々に夜の店でも行くかなんてぼんやり思っていると、バックヤードのパソコン前に並んで座っていたチーフの篠崎が声をかけてきた。
「山口さん」
「ん。ああ、はい。なんでしょう」
「最近夜勤のスタッフの、内職効率が落ちてるんですが」
「はあ」
「夜勤には夜勤の辛さがあることは僕も承知していますが、特に飯尾に、山口さん甘くしてませんか?」
「特別誰かを贔屓したり甘やかしている自覚はないですが」
「飯尾が不真面目とは言いませんが、ちょっとの馴れ合いで組織なんて簡単に揺らぐんですよ」
ああ。あーあーあー。あーあーあーあーあー。ちょおーーめんどくせえっ!!
お前は確かにやる気満々なのかも知れんが、全員が全員、いつも100パーセントじゃねーんだよ。
●
ましてや飯尾はお年頃で、俺の事好きだなんて言いながらマッチングアプリ使ったりで、結構危ういバランスで過ごしてるんだよ。
こんぴーたーじゃないの!! ましーんじゃないの!! ヒューマンなの!!
辛い時も泣きたい時も甘えたい時だってあるんだよ。
「飯尾には次言って聞かせます。私も気を引き締めて業務に当たるので」
「頼みますよ。なんで僕がいつまでも新人みたいな雑用を……」
「気をつけさせます」
俺は篠崎を頭の中でボコボコにしながら返事を返す。
ロボ篠崎。
感情をデリートした男、と言われている同い年の上司。
今度支配人と飲みに行ったら、それこそボコボコに悪口言ってやろうと思った。
まあ、思っただけで実際言わないでおいてあげるとこが俺の良いところだ。
※
「まあ、しのっちも最近イライラしとったからなぁ」
「しとったからなぁ、じゃないですよ。こういう時は堀さんが年上らしくガイーンと」
「言えん言えん。波風立てない、長いものにまかれるのがおじさんの生き方だ」
翌日の夜勤。
堀さんに愚痴る俺。
堀さんは50代のまごう事なきおじさんだが、醸し出す雰囲気が優しくて、何より人間が好きだ。
彼は派遣社員の扱いで、三年前くらいに入ってきたのだが、いい味出しているおじさんなので、俺はすぐに堀さんに懐いていた。
昔はトラック野郎一筋だと言っていたが、夜中の運転はやはりリスクがあって、家族や恋人に心配されるようになったので、いくつかの職を経て、うちのホテルに流れ着いてきたらしい。
「それにしても、夜勤で俺たち二人が被るって珍しいですね」
「そうやなぁ。他の子たちのシフトの関係と思うけどなぁ」
ちなみに、夜勤は暗黙の了解で、一人は男性スタッフが付く。
理由はまあ、悲しいけどそういう事だ。
いざとなった時、男の力に女は敵わないからな。
だから必然として、他の女の子よりも会う頻度の低い男性スタッフがいる。
堀さんもその一人だ。
俺と堀さんの夜勤。
確かに何で入れたんだって篠崎に聞きたいくらいだ。
●
「最近、ちょっと飯尾に懐かれてるんですよ」
「ジェシカちゃん?」
「ええ。ちょっと慰めてたら、まあ、そんな感じで」
「ええやないか。悩まんでも付き合えば」
「いや、俺もそう思ってたんですけどね。いざ付き合うかもってなったら割とリスクが……」
「まあ嫌なんやったら無理せんでもいいけど、堀さんだったらほっとかんけどなぁ」
堀さんはたまに自分の事を堀さんと呼ぶ。
俺はぶっちゃけそれ可愛いと思っているので、いつか堀さんが辞めたら俺も「山口さんはね」なんて言いたいと思っている。
「堀さん守備範囲広いですね」
「6番センター、堀さんや」
どうでもいい内容でドヤ顔すんな、可愛いな。
「そろそろタバコじゃんけんします?」
「ええよ」
「俺、チョキ出します」
「分かった。じゃあ堀さんはグーだ」
『最初はグー、ジャンケンポイ』
ああっ!!
「堀さんの勝ちや!!」
「また負けたか」
「こたろーの心理戦は下手くそやなぁ」
「くそ、何故勝てんのだ……」
「じゃあ先行くでな」
「ごゆっくり~~」
ああ。堀さんホント和むわ。
※
お互い喫煙者なので一息入れてまた顔を合わせる。
俺が戻ってくるや早々、堀さんが口を開く。
「なあ。さっきの話やないけどな、スタッフで一番可愛い子は誰やと思う?」
「修学旅行の夜か!! ヒマですね、お互い。堀さんは?」
「ジェシカちゃんやなぁ、やっぱり」
「それはどこが?」
「バインバインやろ」
「好きだなジジイ」
俺は容赦なくツッコむ。
「ジジイ言うなや。それに裏表ないしなぁ。堀さん一押しや。コタローはどうや?」
「一番って言われたら、井上さんですかね」
「いきなりそんなラスボス出したらいかんやろ。常識の範囲で考えないかんぞ」
「えー、じゃあ猿田もも」
「そやな。ももちゃんもええな」
「なんて言わせたいんですか?」
「家長さん、よおないか?」
堀さんがじわっと笑う。
●
「ニッチな趣味してますね」
「ニッチって何や?」
「マニアックって意味です」
「そうか。家長さんはマニアックかぁ」
「どこら辺が良いんですか?」
「まず私服がダサいやろ。そんで隠れバインバインや」
「お前の頭の中それだけか」
もうなんか、一生ここに居たい。
堀さんとの夜勤、ぶっちゃけ楽しすぎる。
ああ。飢えてたんだな、俺。男に。
ホテル業界は何だかんだで女社会だしな。
堀さんが寝だした。
ぶっちゃけ仮眠の時間以外に寝るなとも思うが、堀さんなのでもう何かどうでもよくなってくる自分がいる。
長年の手慣れで、もはや作業ですらないネット予約の個人データの処理をしながらブラックの缶コーヒーを飲む。
支配人が買ってきたやつだ。
俺が堀さんと同じ50代になった時、どんなおっさんになってるのかなとふと思う。
堀さんみたいに、愛されるおっさんになっていたらいいと思う。
学歴で言ったら、正直ホテルマンなんて大したことない。
堀さんなんて高卒からのトラック野郎だ。
でも、結局人間って、人間らしさが一番大事だと思う。
それぞれの味で、それぞれのホテルマンやればいい。
篠崎は一律を求めるけど、そんなもん、俺のように、いつかは勝手に備わる。
そこで気付く。
俺、頭の中で、いつの間にか飯尾を擁護してるな。
なんなんだこれ、いっそもう付き合うか、俺?
とりあえず、今度飯誘ってみるか。
そう自覚したら、ちょっとウキウキしてる自分がいた。
なんだ、まだまだいけるな、俺。
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