第3話 ハーフアンドハート
ビジネスホテルのフロント係に転職してからゆうに十年が過ぎた。
二十代半ばだった俺は三十代半ばを超え、立派なおじさんへと進化していた。
立ってるだけ。
それが俺、山口虎太郎の仕事だ。
※
今日は夜勤だ。
夕方に出社して、チェックインのお客さまを迎え、日勤のスタッフを送り出す。
うん。もう今日の仕事は終わったな。
俺は夜勤好きだ。
日勤以上にヒマだし、夜間はフロントに立っていなくていいので、バックヤードでダラダラしてられる。
監視カメラがフロントとレストラン入口と他数か所にあり、バックヤードのモニターで観れるのでスマホゲームに熱中でもしない限り、ぶっちゃけ何をやっていてもいい。
夜勤が続くと体力的にキツイという話もあるが、俺は別に気にならない性質なので、チーフがシフト組む時も「俺に入れていいですよ」なんて言ったりしている。
夜勤は翌早朝に終わって、しかも次の日一日は確定で休みになるので、休日の予定が立てやすい。
基本的に夜中は誰も通らないし、ましてやフロントに用がある人などまずいない。
※
今日は俺と飯尾ジェシカの担当だ。
飯尾はハーフだが、びっくりするほどの美人ではないし、おまけにおしゃべりがすごい好きだ。
うちの夜勤エースは五年目のこの飯尾だが、朝に夜勤が空けて、昼前まで喋って帰っていくくらいのアホである。
職場に遊びに来ているのは、こいつと俺くらいだと前に支配人に言われたが、俺は遊びに来ているという自覚はない。飯尾は遊びに来ているが。
「ぐっさん。缶コーヒーいります?」
「何、くれんの?」
「ブブーです。前夜勤のみんなにって、支配人が箱で買って来てくれたんだけど、全部無糖なんですよね。結局買ってきた本人が一番飲んでるっていうね」
「ああ、あの人女心とは無縁の世界で生きてきたからな」
「気は遣うんですけどね」
「ね。でもわりと無意味っていうか」
飯尾は楽だ。
仕事は一通り覚えているし、何より人間関係に後ろ暗さがない。
まあまあの美人なのに、そんなあっけらかんとしてていいの、とも思うが、その気安さみたいなものが飯尾の良さだとも思う。
「夜勤のシフト、いつもぐっさんだったらいいのに」
「あ?」
「ぐっさんって、ネットの予約票の整理とか、口コミの返ししなくても一切怒らないじゃないですか。最近いつもチーフが夜勤で被ってて」
●
「ああ。篠崎さんは夜勤でもわりときっちりだもんな」
「仕事きっちりなのはいいですよ? でも夜勤のルール分かってないっていうか」
「燃えてんだよ。俺が入った頃から熱意マシマシで働いてたしな。仕事に疑問持たないところが、あの男の良いところだ」
「あれ、ぐっさんの方が後輩さんなんだっけ?」
「そうだよ。俺、二十七で配属されたんだけど、篠崎さんは同い年でも生え抜きのホテルマンでな。前のチーフが油さんっていうんだけど……」
「アブラさん?」
「そ。珍しい苗字の油さん。その人に、女性なんだけど、目をかけられててな。その人が転勤した時に、後任のチーフに指名されたのが篠崎さん。お前が入る前だな」
「一ホテルに歴史あり、ですね」
そう言って飯尾は頬をぷくっと膨らます。
「リスみたいな顔すんな。ちょっと可愛いやないか」
「あれ? 可愛いですか、わたし?」
「子どもに言う可愛さだ、お前は」
「もしかして幼女、好きな人ですか?」
「お前とはもう話さん」
「えぇー、喋ってえーー」
やかましい。やかましいが、これがこいつのストレス発散方法なんだよな。
篠崎が負荷かけてる分、俺が少しは軽くしてやるか。それくらいの連携は、いくら篠崎嫌いの俺でも持っている。
●
「でもお前、美人なのに今まで浮いた噂一つないな」
「あっれえ、美人ですかわたし?」
「それもういらんから」
そう言うと飯尾は茶色がかった前髪を両手でわさわさして、少し俯いた。
「マッチングアプリとかでね、ハーフですって書くと、モテるんですよわたし」
「まあ、そいつらの気持ちは分かるな」
「でもね。そんな『記号』が、嫌なんです」
「それもまあ、分かる」
「出会い系に、偏見ないですよ、みんな寂しいし。でもわたしの場合、ハーフだから、選ばれてるんです。そんな理由で会いたくなくて、なんで続けてるんだろうって……」
バカはバカなりに、バカじゃない事で悩んでる。
何とかしてやりてえけど、俺は所詮ただの同僚で、慰め以外の言葉をかけてはやれない。
「軽蔑しますか、わたし」
「いや。普通だろ。俺みたいなおじさんは、可愛い後輩のお前が笑顔で出社してくれたらそれ以上は求めん。年取れば、寂しさに慣れる。でも慣れていいかは別問題だ。寂しい寂しいって、目え潤ませながら求め合って、それがたまに恋とか愛になる。それでいいだろ」
「優しすぎます」
俺は飯尾の頭を撫でる。
「先輩命令だ。今からコンビニでなにか甘い物と飲み物買って来い。お前も好きなもん買ってきていいぞ」
そう言って財布を飯尾の手に押し込める。
「でも……」
「今日だけだ。辛い時はな、つらいですって素直に言えばいいんだよ。大人のマナーだか何だか知らんが、やせ我慢なんかするから余計辛いんだ」
「うん。じゃあケーキ買って、あたりめしゃぶって、それでそれで、きっとわたし、心の中でいっぱい先輩にキスします」
泣くなよ、バカ。
財布持って、制服で駆けていく飯尾の後姿。
あいつはあいつで、自分なりに大人やろうと必死だったんだな。
人間って、実は色んなものを、ため込んで生きている。
大人だって支え合って生きてんだよって、誰にともなく叫びたかった。
※
「酔った」
「ああ、酔ってるな。だから水を飲もう。人間酔っぱらっても水飲めば何とかなるようにできてるんだ。おい、吐くなお前!! バカかお前!! お慈悲で飲ませた俺に遠慮とかないのか?」
「見てください、先輩。ちょっとケーキが混じっています」
「死ねお前!! どけ、寝ろ、あと水を飲め!!」
最悪だ。
こんなに忙しかった夜勤の午前四時はない。
もう少ししたら朝のビュッフェの料理長も来るし、軽い気持ちで「一杯だけなら」と甘やかした三時間前の俺を恨みたい気分だ。
「のどが臭いです、ぐっさん」
「お前ほんとに、その臭いゲロの後始末俺がしてんだぞ!! もういい。休憩室で好きなだけ寝ろ。日勤のスタッフにはうまく言っておくから。あと帰りはタクシーで帰れ。分かったか?」
「えっと、ちょっと難しくてちょっと分かんなかったです」
こ、コノヤロォ~~!!
「ぐっさん先輩」
「なんだよ」
「とってもとっても、大好きです」
「寝言は寝て言え。そういうのは自分のゲロを自分で始末できるやつが言うんだ」
冗談なのかマジなのか分からないやり取りが途切れて、ふっと顔をあげると、赤く染まった飯尾の目尻からすっと涙が落ちた。
「寝るね、先輩」
「ああ、寝ろ」
「寝て起きたら、わたしいつものバカな後輩ですよ?」
「ああ、寝ろ」
「分かりました。おやすみ、こたろーさん」
「おやすみ、飯尾」
おっさんに、メロドラマやらせるなよな。
言わねーけど、ありがと、飯尾。
ヒねもせず真っ直ぐ育ったな、お前。
言わねーけど、俺もどっかで、好きだった。
でもたぶん、後輩として。
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