第15話 死地を生み育みし者④

「雨、か……」


「植物に雨を贈ってあげるなんて、これがうちの主人の秘策……」



 キラビが再生の為に根を大地に突き刺す直前、バーディルは何かの魔法の詠唱を終えていた。それを放った直後から静かな雨が降り始めたのだ。


 根から土中の養分を吸い上げたキラビの身体は完全に元に戻っていた。そして、俺達に向かって触手と根の先端を向けて蠢かせている。1人1人に狙いをつけて今にも放とうというべく身構え始めた。


「ぐっ…………。ズェェェーーーーーー!!」


 その時、キラビは口から緑色の液体を噴き出させていた。それに少し遅れて腹の辺りが破裂するとそこからも緑色の物が流れ出る。キラビの身体のあちこちで小さな破裂が起こっては体液が漏れ出した。


「恵みの雨の効果が現れ始めた様だね」


「ただの雨ではなかったか。バーディル、一体何をした?」


「あの娘が魔族だとは気付かなかった時、ベルデさんが気功術で癒そうとしたよね? ところがそれはあの娘にとっては猛毒だった。だから、癒しの効果がある神聖魔法入りの雨を降らせてやったのさ。もちろん、僕が使えるのはほんの少々疲れを取る程度の初級だけどね」


【因果応報】でその威力を最大限にまで高めた初級の神聖癒し魔法。それが染み込んだ土中の養分を吸い上げてしまったキラビは身体の内側から傷付けられていたのだ。


「さて、花のお嬢さん! ここら一帯の土には君を傷付ける癒しの魔法効果が充分に染み渡った。もう再生する事は叶わないだろうけど、まだ戦うかい?」


「ぐっ……。や、は、り……、人間は卑怯な手を使う。母様を殺した時と同じだっ!!」


「卑怯? その言葉は癒しの力を持つものだって知っているかい?」


「ぐぅっ……。何をわけのわからぬ事を言う!!」


「油断も不運も実力の内。敗れた時に相手が凝らした工夫を卑怯と断じれば自身が相手に劣っていたわけではない、との慰みになる。それが『卑怯』と言う言葉の持つ癒しだ」


「っ、うぅぅぅ……。己が卑怯な手を使った事への言い訳をよくもぬけぬけと正しいかの様に……言う。ぐばっっーーーー!!」


 キラビの口から再び大量の体液が溢れていた。金色に輝いていたはずの身体はもはや緑色にまみれ、僅かな隙間に元々の色が覗ける程度だった。


「魔族に卑怯うんぬんを諭されるとは、ね。どんな事情があるか知らないけど……、追放者の楽園があるとの噂で多くの追放者達に夢を見させてを釣り出し一挙に天恵の印を掠め取る。それもかなりの卑怯な手だと思うけど?」


「母様を甦らせる為だ!! 私は魔幻の印の実を得て魔王即位を目指し、『魔王誕生の奇蹟』で母様の復活を願うのだ。お前らに邪魔はさせぬ!!」


 身体中に神聖魔法が巡り渡り狂ってしまったのか?まだ朽ちずに残っていたキラビの触手の数本が宙に躍り上がる。その内の1本は途中で折れてしまったが、無事だった物があらぬ方向に走って行った。そして、程なくして戻って来たそれらは何かを絡め取っていた。


「うぅぅっ……」


 締め上げられていたのはキラビに操られていた剣士ブラデ、魔導師スコーチ、回復術師ティキラの3人だった。キラビはその者達の身体に根の先端を向けようとしていた。


「いけない! 彼らを養分にして再生する気だ」


 すぐさま、バーディルは根本に向けて火属性魔法を撃ち込んでいた。しかし、初級の威力しか持たないそれはキラビが振り上げた根に弾かれて闇夜の奥へ消えて行った。


 その時、リデルが俺の真横に立って囁くと大きく前へ進み出てチェロを構えた。


「キラビ! これを受け取って!!」


 俺はキラビの頭上に向かって『魔幻の印の実』と呼ぶらしい金色のリンゴの実を放り上げた。上を見上げたキラビは残った触手を果実に向かわせてそれを掴むと愛おしそうな表情でそれを眺めていた。それが【心気楼】で現した紛い物に過ぎない事に気付かずに……。


 瞬間的に俺が踏み出すとそれにナリスも続いた。ナリスの脚の剣と俺のヴュジュラは養分にされようとしていた3人に絡みついていた触手を切り落とした。


 リデルの魔奏が響き渡る。【覆地翻天】と合わさった『カメの円舞曲』の効果がキラビの身体に染み込んでいくと、全身から一気に緑色の体液が噴き出した。キラビの速度が大幅に上がった事で、体内に取り込まれた神聖魔法の巡りも速くなったのだ。


「あぶっっ……」


 背中から生えていた赤色と黒色の花びらから急速にその色が失われ始めていた。赤茶けてしまった花びらは、元の色がどちらの物だったのか既にわからなくなってしまっている。蠢いていた触手も根も枯れ木の様に途中から折れて辺りに四散し始めた。


 キラビは今まさに枯れて朽ちようとしていた。その身にリデルが近づいていく、ナリスはそれを制止しようとしたが、俺がナリスを制止した。おそらくキラビにはもう何も残されていない、意識が消えるのを静かに待つのみなのは明らかだった。


「キラビ。ちゃん?」


「くぅっ……。リデル」


「カモミ村でどうして私と仲良くしてくれたの?」


「リデルも仲間から追放された……、私も魔界を追われた……。そして、リデルも母様を殺された……、私も同じ。リデ……」


 赤色と黒色の花びらを持つ、怪し気ではあるが美しさも併せ持つ花の姿は既にそこになかった。あるのは茶色く朽ちた、元は草花であった物の姿だった。



 キャンプ地ではいつになく静かな朝を迎えようとしていた。俺とバーディル、そして伴った者は撤収の準備に取り掛かっている王国軍本営の前にいた。一応は王国軍の求めに応じた身、カモミ村を襲撃した魔族の討伐報告くらいは出さねばならなかった。


「ほとんどが帰って来れなかった様だな……」


「向こうの狙いは天恵の印、悪いが彼らはわざわざお土産をぶらさげてのこのこと出かけてしまった様なものだからね」


 約1万人の王国軍はほぼ壊滅状態、主だった傭兵団も多くが深く傷ついていた。キャンプ地を周って噂をかき集めた結果をまとめるとそういう事になるのが、その様な話を本営にいる者から出される事は無かった。


 ただ、数少ない生還者が多くの者達が木の根の様な物に襲われて命を落としたのを目撃していたお陰で俺達の報告は割とすんなり受け容れられる事になった。枯れたキラビの身体、そしてそこに遺されていた人間の頭大ほどある種を本営に差し出して事のあらましを告げた。


「この者達の話に偽りはございません。『鷲ノ双爪』傭兵団、副団長のロメリエの名において証言させて頂きますわ」


 王国軍にも一目置かれた団の副団長、同行したロメリエの言で本営の者達の態度は決していた。



 持ちきれない程の褒美を携えて店に戻るとベルデさん達は既に店じまいを終えていた。俺とリデル、ナリス、バーディルにベルデさんは皆それぞれの進む道に戻る事になる。そう思ったのだが……


「ティルスさん、今までありがとうございました。ここでお別れです!」


 チェロを背負ったリデルはバーディル夫妻の傍らに立つと俺に向かってお辞儀をしていた。

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