第5話  深森の闘技場②

 上空より迫るワイバーンの巨躯が両脚でナリスとベルデさんを踏み潰そうとしていた。2人はその直前に左右に散ってかわすと上へ跳び上がった。それぞれワイバーンの左右の腕の上に降りるとそれを伝って胴体の方へ駆け上がった。右の翼の付け根をナリスの剣が打ち、左の方をベルデさんの爪が突いていた。


 剣で岩を打ち付けてしまった時の様な乾いた音が鳴り響いた。攻撃が通用しないのを悟った2人はすぐさまその場から跳び退って地に足を着けると顔をしかめていた。


「ちっ! ちょっと右脚が痺れたじゃない」


「あの鱗、まるで鋼の様だったわね……」


 勝ち誇った様に悠然と構えているワイバーンが身体を素早く捻ると凄まじい勢いで巨木ほどの太さの尾が鞭の様にしなって辺りを薙いでいた。大きく後ろへ飛んで回避する事になった2人は明らかに分が悪そうな様子だ。


「ベルデさん、そろそろ僕達の出番じゃないかと思うのだけど?」


 バーディルは大盾を構えて前へ出る姿勢を見せた。しかし、2人は無視したままワイバーンに向かって踏み込んだ。しかし、相手が並の魔物であれば絶命に至らしめたであろう剣の煌めきと爪の唸りはやはり鱗に阻まれてしまっていた。


「巨大な杭でも打ち込まない限りその鱗は破れない。2人とも意地を張らずに僕らの加勢を受け容れてくれ!」


 2人はまたしても返事をしなかったが身を寄せて何やら小声で手短に話し合っていた。


「やっぱりこいつは私達だけで倒す! ただ、ティルスさんの印の力だけ貸してもらう事にしたわ」


「俺の【心気楼】を?」


「ベルデさん! 何だいそのよくわからない物言いは? 素直に僕達の加勢を受ければいいじゃないか」


「あなたは少し黙ってなさい!」


 そう言うとベルデさんはワイバーンに突進を始めていた。そして、ナリスは森の奥へと消えた。


 ベルデさんはワイバーンに向かって効かぬとわかっている攻撃を仕掛けては退くのを繰り返していた。それは敵の注意を自身に引き付けている様に見えた。


 俺はナリスが消えた森の奥の方へを目をやった。丁度その時、ナリスが姿を現して俺に手招きをし始めた。どういうつもりなのかわからない、が恐らく俺の【心気楼】の出番なのだろう。



 ナリスと一緒に元の場所へ戻ると相変わらずワイバーンの前で派手に跳び回っているベルデさんの姿が見えた。そこへ助走をつけたナリスが駆け寄るとベルデさんはしゃがんだ。その肩にナリスが足をかけると跳び上がり、少し遅れてナリスも跳ぶ。ナリスの身体はワイバーンの肩口辺りの高さにまで達していた。


 ナリスはワイバーンの背に乗り一気に首筋を駆け上がって頭の上に躍り出る。右目の辺りを狙って右脚の剣を突き出した。しかし、そのまぶたは素早く閉じられ、やはり鱗にはじかれてしまった。


 ナリスがワイバーンの注意を引き付けている間に巨躯を駆け上がったベルデさんは反対側の左目を狙ったもののこれも同じ様に防がれていた。


 しかし、それを煩わしく感じたらしいワイバーンが大きく頭を揺さぶり始めた。2人は振り落とされまいと鱗と鱗の継ぎ目に各々の武器の先を食い込ませながら耐えている。


「ナリス! ベルデさん!」


 強い風に吹かれた木の葉の様に揺れる2人の姿に慌てたリデルが咄嗟に『カメの円舞曲』の魔奏を始めようとしていた。俺はリデルの方を向くと首を横に振った。森の奥で2人の秘策を理解した俺にはわかっていた、魔奏を放っては作戦に支障が出るかもしれない。


 ワイバーンは翼を羽ばたかせると上空へと舞い上がる。そして、頭から真っ逆さまに落ちて来た。2人を地面に叩き付けるつもりなのだろう。


 うなりをあげて落ちる巨躯と地表との距離が50mほどに迫った時、ベルデさんが懐から何かを取り出して森の木々に向かって放り投げた。


「あれは、流星錘りゅうせいすいか!」


 バーディルはそれが武闘家の武器の1つであるのを説明してくれた。普通は紐の先端に付いた鏃を放おって攻撃するものなのだという。今、ベルデさんは木の枝にその先端を巻き付けていた。


 そして、ベルデさんがワイバーンの身体を蹴って跳ぶとナリスもそれに続いた。ナリスが手を伸ばしそれをベルデさんが掴む、2人は振り子の様に弧を描いて宙を駆けた。これで地上に着地する際の衝撃を相殺するのだろう。


「ティルス! あれをお願い」


 ナリスの声を合図に俺は【心気楼】を使い記憶の中にあるそれを現した。ほんの少し前、森の中で見せられた物だ。


 脱出した2人を見据えながら降下を続け着地寸前だったワイバーンが突如空中で止まった。その巨躯の至る処には樹木の先端を切り落として作られた巨大な槍の様な物が下から突き刺さっている。


 首筋の辺りに1本、胸に3本、腹に2本。突き破られて剥げ落ちた鱗が散らばるとワイバーンの激しい咆哮が辺りに渦巻いていた。俺が【心気楼】で現した樹木の槍衾に自ら飛び込んだのだ。



 俺達は既に動かなくなったワイバーンを見上げていた。


「2人とも、よくあんな手を思いついたものだな?」


「ナリスちゃんと私の合作みたいなものよ。ねえ?」


「うん、間違いなく1人じゃ思いつかなかった」


 話を聞いてみると樹木の槍に突き刺そうと考えたのはベルデさんだった。しかし、そこへ飛び込む様に誘導しても気付かれてしまうだろうというのが問題だったらしい。


 そこでナリスがその解決方法に気づいた様だ。無い所に急に現せば絶対に気付かれない、【心気楼】ならそれが出来るのだと。その話に耳を傾けながらバーディルは眉間に皺を寄せていた。


「いずれにせよ、2人だけで仕留めると言ったのに3人目の手を借りてしまったのではないかい?」


「あなた。よくやった、おめでとう、でいいじゃない? それを細かいところをいちいちつついて私達の友情にケチでも付ける気なの?」


「いや、そうは言っていない。ただ、事実は正確に捉えないとだね」


 ワイバーンとの戦いを終えたばかりだがベルデさんは夫婦喧嘩という連戦に見舞われていた。それをよそにナリスはワイバーンの亡骸に跳び乗ると頭部の辺りでしゃがみ込み何かをしている。そして手に何かを握って戻って来た。


「あいつの頭の上に花が咲いていたんだ」


 戦いの中で幾度かワイバーンに近寄った時、妙な所に妙なものがあると思って気になっていたらしい。赤い花びらと黒い花びらが3枚ずつ、それが交互に折り重なる様になって花を形作っている。俺はその様な花の名を知らなかった。隣で見てたリデルも首を横に振っていた。



 夫婦喧嘩を終えた2人も同様だった。


 そして、俺には1つ気になる事があった。ナリスとベルデさんの動きを目で追っていたはずのワイバーンだったが、樹木の槍を現した瞬間に俺の方へ急激に首を振って視線を移した様に見えた事だ。

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