第10話 夢境地①

 そこにいたのは恍惚の表情で軽快なスキップを踏みながら部屋の中を巡っているリデルだった。時折、部屋の調度品にぶつかりよろめいたが、がそれを気に留めるでもなく軽やかな足取りを続け表情も崩す事がなかった。


「リデル! どうした!?」


 明らかに様子がおかしい段階で期待はしていなかったが、やはり返事はない。その声は次第に高らかなものになっていく。そしてリデルの頭上に西瓜ほどの大きさをした桃色の球が現れた。


「あれは……、夢の門? かしら?」


「ヴァレット、知っているのか?」


「私が天恵の印【夢見る少女】で夢の中から弐式を取り出すときにもあれとそっくりな球が現れたの。夢の世界への出入り口のはず」


 桃色の球にリデルの頭が吸い込まれそうになった直前、ヴァレットが抱き着いて強引に引き留めようとする。桃色の球とヴァレットで綱引きをしている様な状態となり、リデルの身体が引きちぎれてしまうのではないかと思えた。


 同じ様に感じたヴァレットはすぐさま手の力を緩めた、その腕の中をするりするりとリデルの身体が抜け出して桃色の球へ吸い込まれていく。


「リデル!」


 俺は桃色の球の側に駆け寄り中に手を突っ込んでリデルを引き戻すつもりだった。しかし、突き出した手は球に弾かれてしまった。


「リデルの夢にはリデルしか入れない、か……」


「いや、ちょっと待って。もしかして弐式なら!」


 ヴァレットは目をつむって意識を集中させると弐式を走らせリデルの身体に寄り添う様に優しく抱き着かせた。そもそも夢の中から取り出した存在なのだから夢世界への出入りが自由かもしれない、そんなヴァレットの予測は正しかった。


 弐式はそのままリデルと一緒に球の中へ吸い込まれて行った。その足の先が見えなくなってから程なくして桃色の球は消えていた。


「ティルス、私の胸に手を当てて!」


 ヴァレットはベットの上に直立し背筋を伸ばした姿勢で胸を突き出している


「この状況で何を言っている!?」


「バカ! 弐式が見たり聞いたりしているものを共有する為よ。夢に一番近いのは頭じゃなくて胸の奥なんだから」


 ヴァレットが見聞きしたものを弐式を通して共有する術は既に経験している。その逆の場合はこうするのだろうとは思ったが、すぐに飲み込める様な方法でもなかった。手を伸ばし胸の膨らみに触れる直前で止めた。


 その行為自体の後ろめたさと共に、うら若きリデルの夢世界を勝手に覗き見する様でどこか気恥ずかしい思いが身体の中を駆け巡っていた。


「いた! リデル。それにしてもこれはどんな夢なんだい? 主役のティルスならわかる? 早く!」


 ヴァレットに何かを問われたのがきっかけになった。どうやらそこには俺の姿もあるらしく、なぜか主役になっている様だ。仕方ないという思いでリデルに謝りながら手の平を前に出した。



 そこは劇場、そう見える場所だった。そこが湖なのか海なのかわからないが縁が見えぬほど広がる水面、その一部が大きく盛り上がり形作られた水の舞台を形作っている。その上に青々とした木々が生えて、風に葉を大きく揺らしている様子は実に幻想的なものに見える。


 リデルは舞台の真ん中に腰を下ろしてチェロを構えていた。舞台から一段低い客席にはたった1人の客である俺の姿があった。


 少し離れた木の枝の上から見下ろす弐式の視点で覗いたのはその様な光景だった。


「主役はリデルじゃないのか?」


「夢の主役はそうかもしれないけど、ショーの主役はたった1人の客の方じゃない?」


 結局どういう状況で何が始まろうとしているのかわからないまま俺はヴァレットと目を合わせて首を傾げるだけだった。


 夢の中の俺が立ち上がると右手を左肩の辺り、左手を腰の右側に当てていた。よく考えると自身の動作をこうして客観的に観るのは初めてだがそれが双剣を同時に抜き放つものだとはすぐにわかった。


「あれは、キドラか」


 実際の俺は双剣の内の一振りであるキドラを喪ってしまっているので腰の右側にある鞘は空のままだ。しかし、そこにないはずの剣の柄があるのが夢の中の俺だった。


「そうか! リデルは言ってたね? ティルスの喪われた双剣を見つけるのが目的だって。他人の喜ばしい姿が自身の夢とはあの娘らしいかもしれない」


 そう微笑むヴァレットに俺は頷いた。


「探していたキドラがようやく見つかりましたね。おめでとうございます!」


「ありがとう、手伝ってくれたお陰だ」


 夢の中の俺がすこしはにかんだ顔を見せた。自身では見られない光景がが、確かに俺はああいう感じにする事がよくあった気がする。


「ティルス、その顔でそういう表情をするのは反則に近いからね」


「反則? なにがだ?」


「わかっていない感じはもはや罪に等しい」


 夢の外で見守る俺達にはその様な会話を交わす余裕すら出来ていた。もちろんリデルが夢の中に引きずり込まれた状況なのを忘れたわけではないが、あまりにもゆったりとした世界だったせいで安堵感の様な物が漂い始めたのは確かだった。


「君に伝えたい事がある」


 夢の中の舞台に俺が上がってリデルの前に立った時の事だった。


「ブフゥ~~。なんだ? おいらこんな娘に術なんかかけてねーーぞ」


 リデルの夢世界に新たな人物の声が響き渡った。弐式が辺りを見回すものの声の主がどこかに現れた形跡はない。


「しかも、しょっぼい夢だなぁ~~。いや……でもなんだべ? 夢の力が妙に強いな~~」


 相変わらず声の主は見当たらないが話しぶりからして一つはっきりと感じた事があった。


「こいつは夢の外から観察している、俺達と同じ様に」


 跳ね起きたヴァレットと目が合うと彼女はコクりと頷いた。

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