第9話  その者、自称見習い魔導師③

 熊面男の爪の先が鋼鉄の鎧と大盾に当たって表面を擦ると、不快な音が辺りに巻き散らかされた。


「中々いかつい爪をしているじゃないか。この分じゃ盾に大きな傷を付けられちゃったかもしれない。ほんと猫の気まぐれな爪研ぎほど迷惑なものはないよ」


「黙れ! 俺様のどこが猫だ!? あの様なか細きものと熊を一緒にするな!」


「ほぉ、熊の顔してちゃんと喋れるじゃないか。随分と賢い魔物だね」


「ぬぅぅぅ……、誇り高き魔族をただの魔物と見間違うとは!? その身体に不釣り合いな盾、貴様が報告にあった魔法を使う者だな? また結界を張られても厄介だ、貴様から始末してやる!!」


「君、負ける気満々だね?」


「何だと?」


「だって、このまま僕達を始末出来るなら結界の心配なんてもうする必要ないだろ? 今回は退いて。またここに来なければならないと心の底で思っているんじゃないかい?」


「黙れ! 黙れ!」


 バーディルが相手をしているのは熊面男。そうとわかった瞬間、闇夜の魔剣市を開いていた豚面男の一味なのだろうとの予感がした。戦いながら得た情報は仲間に流し続ける、挑発が効きそうな相手ならば自ら吐かせてしまうのはバーディルが得意とする事だった。


 バーディルが提供してくれる情報の1つ1つを飲み込みながら大きく迂回してその場を目指していた。相手が熊ならば異常に鼻が利く、風上は避けて風下から接近するのがセオリーだ。


 木の上に飛び乗って太い枝を足場に戦いの音がする位置に目をやる。


「くっ……。君、なかなかの馬鹿だね。ごめん、力をつけるのを忘れた。馬鹿力だね」


 大抵の事を読み切っていたバーディルだったがその計算が及ばない事もあった様だ。相手の腕力、それは実際に戦ってみるまで感じ取る事は出来ないだろう。


 バーディルは天恵の印【因果応報】を使った反撃を叩きこむつもりで熊面男の攻撃を受けていたのだろうが、防御力の限界を越えた重い攻撃を身に受けてしまっている様子だ。


 大盾に熊面男の爪が当たる度に不快な音が走る。バーディルの体力は次第に奪われてしまった様で大盾を爪の軌道に合わせる動きが間に合わず大盾の縁をかすめた爪を鎧で受け流す場面が多くなり始めた。


 天恵の印【因果応報】での反撃に乗せる威力を蓄積するならば相手の攻撃を身に受ける必要があったはずだが、バーディルはそれを半分諦めたかの様に熊面男の爪を時折回避する様にもなった。


 筋力上昇と速度上昇の補助魔法でも使っているのだろう、重装備の割には身軽に動く。バーディルにかわされた爪が大木に当たるとその太い幹を難なく切り裂いた。


「くくくっ! 最初の威勢の良さはどうした?」


 熊面男は次々と大木を切り倒しながらバーディルを追い詰めていた。熊らしい俊敏さを発揮しバーディルの後ろへ回り込んでは辺りの木を切って回った。もはや、獲物に止めを刺すのを残すのみと余裕でなぶっている様にも見える。


 パーティメンバーだった時と同じ様にバーディルは壁としての役目を充分に果たしてくれた。俺は双剣を構えて木の上から援護に入るつもりでバーディルの目を見てタイミングを合わせる合図をした、しかし、耐え忍んで歪んだ表情のまま首を横に振った。それは滅多に見せない顔だった。


 意図を計りかねて飛び出す機会を失った。その時、急に雨が降り始めた。恐らく、バーディルのが起こしたのだろう。それを行使した者がうっすらと笑ったのを見て確信する。


 この状況で雨を降らせる意味を考えた。戦いが始まる直前の事、バーディルは濡れると赤い光を放つ薬品を木々の葉っぱに仕込んでいた。それを使うつもり、だとしたら?


 今それらの木々があるのは俺の背の方向になる。振り返って見回すと最初に使った辺りには赤い光が点在していた。その横の辺りにも赤い光が浮かび上がっていたのだがそれは点在したただの光ではなく、なっきりと文字を形作っていた。それは『リデル』と読める。


 この文字を形作るには実に繊細なコントロールが必要なはずだ。1枚1枚の葉を正確に狙って適量の滴だけを落とさなければならない、熊面男と戦いながらそこまでの芸当をやってのけるとは、だ。


 俺はリデルの下を目指す事にした。木の上から身を躍らせ一気にバーディルの側まで駆ける。足音に気付いた熊面男がこちらに向き直った瞬間、【心気楼】キドラを現して熊面男の目に向けて放った。


 熊面男は両腕をクロスさせて作った爪の壁で弾いた。同時に自ら視界を遮ってくれた隙に脇を駆け抜けるた。熊面男の舌打ちを背で聞きながら一気に進む、バーディルの背後にリデルがいるはずだ。


「リデルちゃん、魔奏を頼む! ただし、僕を狙ってだ」


 俺がリデルと合流した途端に後ろからバーディルの声が届いた。リデルはその指示に困惑した様子だ。無理もない、動きを遅くする魔奏を味方に放てと言うのだから。


「リデル、大丈夫だ。あいつの言う通りに頼む」


 魔奏が始まると同時に金属の擦れる様な音が絶え間なく聞こえる様になった。動きの鈍ったバーディルを熊面男の爪が確実に捉えているのだろう。それからほどなくして合図が来た。


「ティルス! 上からいくぞ。王都でのオペラ観劇の時を思い出してうまく弾いてくれ」


 空気の塊の様なものが降ってきた。風の魔法、それには妙に太く重く感じる様になったチェロの音がのっていた。天恵の印【因果応報】で威力を増された魔奏の音がリデルへの応報として押し寄せてきたのだ。


 その圧力を感じた瞬間、俺は【心気楼】を使って記憶の中にある壁を取り出してリデルの頭上に掲げた。それはパーティメンバーだった頃のクエストで一緒に訪れた劇場内にあった物だった。音を響かせる特別な設えの壁、それを現してバーディルのいる方向目掛けて魔奏を跳ね返す。


「グォォォーーーー!」


 一度は魔奏を咆哮で打ち消している熊面男、それが迫っている事に気付いて再び同じ様に声を上げた。しかし、今度の魔奏は【因果応報】の効果で遥かに強化され風魔法に乗って送り届けられている。咆哮は魔奏の渦に飲み込まれた。


 その後どうするかはバーディルのみぞ知る。急いでその場を目指した俺とリデルが目にしたのは爪を繰り出そうとしているものの随分とその動きがのろまになってしまった熊面男の姿だった。


 通常の魔奏を受けているバーディルも鈍っていたが威力の増されたものを食らった熊面男はそれ以上だ。


「熊はデカい図体の割にすばしっこいから、うまく当てる自信がなかったのだけどこれならいけそうだ!」


 バーディルの頭上に黒雲が現れると稲光が闇夜の中で煌めいた。普通の雷ではない、熊面男がバーディルをなぶった分が因果応報の効果で威力としてのっかっている。闇夜を駆け降りる稲妻は熊面男の脳天を撃ち抜いていた。


「僕は迅雷亭のマスターだ。丹精込めた、淹れたての雷はさぞかし美味しかったろう?」


「ぐっ……。おのれ、この俺様がこの様なふざけたヤツに敗れるとは」


 熊面男の身体から煙が上がり、辺りに肉の焼け焦げる臭いが漂い始めるとそのまま仰向けに倒れ始めた。リデルの魔奏の効果でその動きも遅い。真夜中の激闘の静かな幕切れだった。

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