第6話 天上茶楼
パーティメンバーだった頃にバーディルから聞かされた将来の夢とは『竜の押し出し』に茶楼を開く。それは王国領の西の端にそびえ立つ霊峰、一帯を治める領主がいなけば王家の直轄領でもない荒れに荒れ空白地帯にあり、魔物が自由に行き交う様な地にある。
「こんな所に茶楼を……。客なんて来るわけないだろ」
麓から山頂を見上げた時にまずそう思った。そして麓をうろつく魔物の姿を何体も見て取り敢えず夜を待つ事にした。
「リデル、出来るだけ大きな音で演奏してくれ!」
「はい!」
リデルの魔奏『カメの円舞曲』のお陰で魔物を一掃するのは容易だった。ただ、暗がりの中で安全に登れそうな山ではない為、山頂を目指すのは翌朝にする事にした。
「それにしてもバーディルのやつ。夜にあれだけ大きな音を立ててやれば異変が起きている事くらいわかるだろうに、様子を見に来ようともしなかった」
「なるほど。山頂まで聞こえる様にする為でしたか!」
それから8時間ほどかかってようやく山頂へ辿り着くと木造りの建物が見えた。『天上茶楼 迅雷亭』との看板が掲げられそこには何やら一言添えられている様だ。
「『ようこそ、この山の様に高く積もる思いでお客様のご来店を心よりお待ちしておりました!』ですって。苦労して登って来たところでこれを見ると疲れも吹っ飛びますね」
「そうか? 魔物の中を突っ切って8時間も登山しなければ辿り着けない様なところに店を構える時点で客を待つ気なんて更々ないだろう。それなのに、高く積もる思いとは白々しい」
木造りの扉を開けて中に入る。4席あるテーブルには1つ1つに野花が活けてあり質素な模様だが清潔感のあるクロスが敷かれていた。横に並んで5人座れるカウンター席には客の邪魔にならぬ様に両端に花瓶が置かれる気配りが見られた。
正直意外だった。カウンターの奥で黙々と器を拭く男がここまでまともな茶楼の内装を設えているとは。
「よく冷えた水と珈琲を2つずつくれ」
バーディルはこちらを見向く様子もなく手を動かしていた。既に綺麗に水気が拭き取れている皿をひたすら拭いている様に見える。
「席をよくご覧ください。本日は満席となっておりますので、どうぞお帰り下さい」
確かに全ての席に予約と書かれた木札が置かれていた。
「こんな店が満席になるわけないだろ! バーディル、昨夜の物音を聞いて万が一客が来てしまった場合の用心でこんなものを置いたな!?」
「こんな店、ですか。気に入らないのでしたら今すぐどうぞお帰り下さい」
「8時間も山登りさせられたのだぞ、見ろこの汚れた格好を? 仮に今すぐ下山したくともそんな体力は残っていないぞ」
陽刻の印【昼行燈】が効いている俺は道中で何回も転ぶ羽目になり酷い有様だった。それよりはかなりマシだが激しく汚れているには違いないリデルが身を寄せて耳打ちしてきた。
「ティルスさん。この人、本当に頼るに値する人なんでしょうか?」
この感じはどこかであった気がする。
「あぁ、その点に関しては大丈夫だ。ただ、久し振りに会うので接し方を忘れていた……」
その時、背後の方から人の気配がした。まさか、俺達以外にも客が来たのだろうか?
「あっ……。うそ、お客さんなの?」
振り返った先にいたのは女性だった。随分と軽装で手籠には摘んだばかりと見える野草がぎっしりと詰まっていた。
「いらっしゃいませ! 迅雷亭へようこそ」
にっこりと微笑むとテーブル席に駆け寄り椅子を後ろに引いてくれた。てっきりバーディル1人だけのやる気のない店だと思ってしまったので従業員まで雇っていたのは意外だった。意外にも行き届いていた内装は彼女の功績なのだろう。
「せっかく、こんな山の上までお越し頂いたのにお水も出ていなくてごめんなさいね。夫は客商売が初めてなもので」
「ん? お嬢さん、今バーディルの事を何と呼びました?」
「夫ですが……。あれ? なんで夫の名前を知っているので?」
「ちょっと昔馴染みでして」
「あっ! でしたらお友達ですか。夫いわく、この世にたった1人だけの親友がいるとか」
「ゴホンっ! ベルデさん、接客は僕に任せて珈琲を淹れてくれないか。僕には珈琲豆と黒コショウの区別もつかないんだから」
咳払いは明らかに何かを誤魔化そうとしたものだ。それより、こんなに腰の低いバーディルの姿を見るのは初めてだった。
「自慢げに言う事じゃないでしょ! それにあなたには接客も満足に任せられないじゃない。今日はお休みでいいからお友達とお話でもしてなさい」
暫く抵抗していたバーディルだったが半ば追い出される様にカウンターの奥から出てきた。そして俺達の席に座ったところを見ると逆らえる立場ではないのだろう。
「バーディル、お前よく結婚出来たな? しかもあんな美人さんと」
「国法で男は16歳から女は15歳から結婚出来ると定まっているだろう、僕たちはその条件をとっくにクリアしているから結婚出来て当然だ。君はそんな法も知らずにいたのか?」
「そんな話をしているんじゃない。お前の様な極め切った変人を受け入れてくれる女性がよくもいたものと思ったんだ」
「魚の臓物を塩漬けにして、そこに魚を漬けて腐った様になった物を好んで食べるやつだっているだろ? そういう事なのだよ」
「どういう事かわからんぞ! まあ、お前が奥さんの尻に敷かれているのを俺に知られたくなくて追い返そうとしたのはわかったが」
バーディルは辺りをキョロキョロと見回し最終的に花を活けてある花瓶で目線がとまった。それを手に取ると水を一気にあおってから俺の隣にいる者に視線を移した。
「ところでティルス。この妙に可愛い顔をした連れはお前の何なのだ? まさかお前も妻を?」
リデルが顔を真っ赤にして否定し自身の説明を始めたところで奥さんが飲み物を運んできた。ガラス製のポットに入った水の中にはレモンが浮いている、登山で疲れている俺達を気遣ってのものだろう。
後は冷たいコーヒーが2つオレンジジュースが1つだった。そして、水のない花瓶に目をやるとバーディルの頭にげんこつを落としてから再びカウンターへ戻っていった。
「バーディル、苦いから珈琲が飲めないと言うヤツが茶楼を開くとはおかしな話だな」
「君だって一振りしか剣を持たぬのに双剣士なのだろう」
そう言えば、どこか皮肉めいた物言いは彼が持つ天恵の印から影響を受ける部分があったはずだ。
「そんな事よりだ。ティルス、こんな狭い店に団体で来られちゃ困るんだよ。今度は本当に帰ってもらわないといけないね」
ゆっくり立ち上がったバーディルはエプロンを外して置いた。そして、懐に手を入れると眼鏡を取り出しゆっくりとかけた。俺が知っている頃の彼のままであれば、それは戦闘態勢に入った事を意味する。
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