第2話  闇夜の狂夢

 闇夜の魔剣市は基本的に不定期で開かれるものらしく俺達は暫くナリスの酒場を仮の宿とさせてもらっていた。そして、ある日の事。


「今夜、ここに来て。私は先に行ってチケットの手配をするから」


 ナリスはそう言うとどこかへ出かけて行った。



 夜の深みが増した頃、リデルを伴いナリスから指示された町の外れにある屋敷を目指した。その途中にあるという大きな噴水の前でナリスと待ち合わせしていたはずなのだが姿は見えなかった。ただ、そこには奇怪な姿の者が1人いただけだ。


「まさかとは思ったが、……ナリスか?」


「随分と頭のおかしな恰好だと思ったろ?」


 肌も露わというほどの際どいビスチェを着ているのに頭には鉄の騎士兜をすっぽりと被っている者の声は確かにナリスのものだった。友人のリデルはその恰好を食い入る様に見つめていた。


「待ち合わせしたんだからきっとナリスだとは思ったけど……、友人のはずだけど……声をかけていいか迷ったわ……。いつからそんな変な趣味になったの?」


「私が好き好んでこんな格好するわけないだろ! 闇夜の魔剣市はイカれたやつらの集まり、そこで変な目立ち方をしたくなければイカれた格好になるしかない。行けばわかるがこれでも控えめな方だからね」



 会場となっている屋敷の奥で俺とリデルはナリスの言葉を思い出しながら大きく頷く事になった。ナリスが俺に用意してくれた町娘服にゴブリンの顔を模した面も、顔を包帯でぐるぐる巻きにしてミイラの様になって虎柄のビキニを着たリデルもその場にいる者達の異様さに比べれば霞んで見えるほどだ。


 壇上に豚顔の面をしたた男が立った、それを合図にざわついていた会場が静かになった。あの男が主催者なのだろう、俺はその者が声を発する前に男だとわかっていた。身に着けた物と言えば面のみで身体には何もまとっていなかったからだ。


 豚面男の足下には首から下の様子で女とわかる牛面と馬面がいて豚面男の股の辺りをまさぐっている。リデルは顔に巻いた包帯の隙間から覗く瞳を両手で覆っていた。


「皆様、闇夜の魔剣市にようこそおいで下さいました! 今宵は剣から放たれる禍々しい気をたっぷりと吸って悦楽をお楽しみ下さいませ」


 豚面の男が開会の宣言をすると会場にいる者達から歓声が上がった。ひとしきりの盛り上がりを見せたところでそれが自然と治まる。すると、豚面男は一振りの剣を鞘ごと左手で掲げて右手で柄を掴んで抜いた。


 それは、まるで鍛える際に血でも染み込ませたのかと思えるほど赤々とした刀身だった。


「今宵、最初の品は『生命』と名付けられた魔剣です。例によって鍛えた刀匠の名は闇夜の陰にございますが、剣に込められた魔性の力は確かなものです」


 豚面男はそう言うと剣の先をそのまま自身の足下の辺りに落とし、そこにいた牛面女の首筋を貫いていた。


「ぐっ、ぎゃぁぁぁぁーー!!」


 喉元から剣が現れ鮮血が噴き出すと牛面女はのたうちまわって悶え始めた。しかしそのまま絶命する事はなかった。剣の赤みが徐々に薄れていくと牛面女の傷口はふさがり、噴き出していた血も収まっていた。


 牛面女は立ち上がって前かがみになると自身の股の内に豚面男のそれを掴んで挟み込んだ。腰を大きく揺らし始めると、剣で喉を貫かれたとは全く違う、随分と艶めかしい色が乗った声で悶え始めていた。会場の至る所から唾を飲み込む音が聞こえる。


「これぞ、まさしく『生命』という名に相応しい効果でございます。まず、この刃で私の身体を傷付けて血を吸わせておきました。その状態で他の者を切れば自身への強い欲情が噴き出て、この様に命の営みを始めてしまうのでございます!」


「おぉぉぉぉ!」


 客の間から野太い声が上がり下卑た笑い声が続く。豚面男はそれに合わせて値付けを始めた。客達が自身に割り振られた番号の書かれた札を上げて金額を告げるとその値はみるみる吊り上がっていった。


「これ以上いらっしゃいませんか? それでは1番様、落札おめでとうございます。『生命』で夜毎の夢をお楽しみ下さいませ」


 1番の札を上げている下腹がでっぷりと出た男がこれ以上はないというほど下品さに満ち溢れた笑い声をあげていた。



 それからいくつものろくでもないと言うしかない魔剣の競りが続いた。そして、豚面の男が改まった様子で新たな品の準備を部下らしき者達に命じた。


「今宵、最後の品はこちらにございます! 皆さまお望みの最高の一品、とくとご覧下さいませ」


 豚面男が掲げた剣に目をやり一瞬目を疑った。それは……まさしく喪われた双剣の一振り『キドラ』だった。俺は腰の右側にある空の鞘、本来なら『キドラ』が収まっているはずの処に目をやっていた。


「やっぱり、いつも売れ残るあれが今夜も出たか。なんであれがとって置きになるんだろうな……」


 値付けが始まるもののこれまでの競りと一変して誰の手も挙がらない。辺りから落胆の声すら聞こえ、中には帰り支度を始めた様子の者さえいる。今なら取り戻せる、うっすらとそんな思いが頭の中を駆けた時、俺は札を上げていた。


「ほぅ、これはお目が高いですな91番様。この市も永い事開いておりますが、ようやくこの価値がわかる方が現れましたか」


 豚面男の声色にはどこか好奇を覚えている様な上擦ったものがあった。客達がどよめき始めると無数の視線が俺に向けられた。


 ずっと誰も欲しがらなかった品なのだからこの競りはすぐに終わる、そう思った瞬間に前方の客席から64番の札を持つ手が上り、俺がつけた値を簡単に飛び越えていった。


 誰も欲しがらない品を欲しがる物珍しい客に興味を覚えたか?それともただの嫌がらせか?俺とその者の札上げは続いた。


 そして、俺が出せる額の限度を越えていた……。札を上げる事が出来ずにいる時が流れると64番の者が振り返って不敵な笑みを浮かべた。


「さて、現在最高額をつけておられるのは64番の札を持つお客様です。もう一声ございませぬか? …………ないようですね。では64番様、おめでとうございます」


 豚面男が言い終える直前、右手を掲げていた俺がいた。咄嗟にナリスが袖を掴んで止めようとしたのはわかったが、それを振り切った。もちろんそんな大金を持ち合わせてはいない、身体中から妙な汗が噴き出ていた。


「91番様の落札でよろしいでしょうか?」


 すぐさま64番の者が札を上げた。それに続こうとした俺の右手だったが、今度は体重を乗せて全力で抑えに来たリデルとナリスに阻止されていた。


「64番様、おめでとうございます! それではこれにて闇夜の魔剣市は閉幕させて頂きます。皆さま、またのご来場をお待ち申しております」



 来場者たちがぞろぞろと出て来る屋敷の前で俺はリデルとナリスを仮面越しに睨みつけていた。


「どうして止めた?」


「それはティルスさんの様子が明らかにおかしかったからです!」


 ナリスはリデルの言葉に続く様に頷くだけだった。その時、背後に気配を感じて振り返ると豚面男が立っていた。黒い布切れをまとい身体を隠してはいたがやはり異様さまでは消し去れていない。


「91番様でしたな。ずっと興味なさげにしていた方がどうして最後の品だけ強烈に興味を示されたので?」


「俺はあの剣を探していたんだ。あれは俺が喪った物だ、落札した人と交渉する機会を作ってはくれないだろうか?」


「ほぅ、あなた様のものでございましたか。しかし、残念ながら当方が商品として仕入れた物を欲しい方に譲った取引にございます。既に決したものを覆しては信用に関わりますのでなにとぞご容赦を」


「そこを何とか!」


「それほど熱意を傾ける品であれば、いずれその手に戻る機会もございましょう。急がずとも剣はこの世の中から逃げていく事はございますます。夜風が冷とうございますな。お気をつけてお帰り下さいませ」


 そう言うと豚面男はすぐさま踵を返して立ち去って行った。追いかけて肩に手をかける、それが許されぬほどの冷たさを感じさせる背中だった。


 この夜、俺はキドラを掴み損ねた。

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