第6話 昼2 学生祭の下調べ2

 二人はベンチに静かに居住まい、噴水を眺めつつ、歩きの疲れを癒している。


 木漏れ日の下で静かな風を感じつつ、マリエッタは黙ったまま思いに耽った。

 昔、マリエッタとユリウスの二人で過ごした幼い頃の思い出だった。


 小さな頃、マリエッタはユリウスと二人で、こうやって木下で静かに座っていただけのことを思い出した。

 あの頃はお互いの両親の交流もあり、ロードネスから遠出してグレイシア家まで馬車で赴き、ユリウスと良く一緒に遊んだ。


 マリエッタとユリウスの二人は幼馴染で、付き合いはとても長い。


 領家に生まれて気軽に外には出られず、同じ年の子供たちと交流がなかったマリエッタにとって、初めて友達と呼べる存在になったのもユリウスである。


 マリエッタはユリウスの両親のことも、もちろん知っている。


 赤ん坊だったころの妹のリアのことも知っている。

 肉親が父親しかいなかったマリエッタにとって、赤ん坊として生まれた時から成長を見守ってきたリアは、血は繋がっていないが実の妹のような存在だった。


 マリエッタがふと、左に座っているユリウスに振り返る。

 それほど長くない道のりを歩き、ユリウスは本当に疲れているのか、眠るように目を瞑って少し首をかしげていた。


 軽くため息を吐いて、マリエッタは視線をうなだれるユリウスから中央の噴水に戻した。


 ユリウスは爵位も何もない、ただの一般人であり妹に生活させてもらっていて、貴族のコスプレを好む変人であり引きこもりである。


 実はこのユリウスとリアの兄妹、とても長い歴史を持つ騎士の爵位を王国の国王から授かった、伝統ある貴族の家系の生まれだった。


 しかしある日、何者かが平和なグレイシア家を襲撃した。

 その時、ユリウスとリアは両親と家を失った。


 その両親が暗殺さた事件<グレイシア家襲撃事件>がきっかけで、ユリウスとリアは一夜にして両親を失い、家を失い、生活を失い、希望ある人生を失い、伝統あるロップスという先祖の騎士の爵位を失った。


 爵位は基本的には血縁者に受け継がれるが、条件があり、同じ爵位はそのまま受け継がれることはない。

 一族だけの権力の維持を排除する為、侯爵から伯爵へ、伯爵から子爵へ、と序列を一つ下に下げて受け継がれる。


 爵位の中でも騎士は特別で、序列が一番下である為、子にそのまま受け継がれることはない。

 だが、子が成長し、十分に資格があると親に認められることが出来れば、爵位を授ける王国の国王へ推薦し、直接その騎士の称号を国王から授かることが出来るのだ。


 ユリウスの場合、騎士の称号を持った父親が居ない為、爵位を授かることはできない。


 事件がきっかけで、ロップスという名のの称号は未来永劫、失われてしまったのだった。


 そんなことを、目を瞑り思いに耽るマリエッタの耳に、突如、ユリウスの優しい声が聞こえてきた。


「昔、母上がいつもの木の下でお茶会をしてくれたことを覚えているか?」


 ユリウスの悲しい思い出に耽っていたマリエッタは、はっと顔を上げて慌てて返事をした。


「えぇ、アゼリア様が入れていただいたお茶、美味しかったですわ」


 昔の記憶を思い出すように、顎に手を当てて、ユリウスが続ける。


「今朝、リアに言われて母上がヌワールのティーセットとゴゴノカーディンが好きだったことをふと思い出したわけだが……」


 マリエッタが口を開く。


「えぇそうね。わたくしもアザリア様の影響で、ヌワールのティーセットをお父様におねだりしたことがありましてよ。今でもヌワールのティーセットとゴゴノカーディンは取り寄せてますのよ」


 ユリウスが続ける。


「それであの時のことを思い出したんだ。サンハイトの学園寮に居た時にジャックスと喧嘩になって……」


 あぁ、とマリエッタがその時の、あまり気分の良いものではない、自身のヌワールのティーセットを用いたお茶会の記憶を思い出す。


 その日、その夜、事件が起こったのだ。


 当時、朝起きるとユリウスが夜間に帰宅したことを、マリエッタは寮長から突如告げられた。

 帰宅した原因でもある事件の概要も、一日、二日と日を追うごとに詳細に伝え聞かされた。


 そして、ユリウスは二度と学園には帰ってこなくなり、それから数年間、リアと共に行方不明になる。


 あの時、心に受けた衝撃が強烈過ぎて、マリエッタは事件当日の昼間、ジャックスとユリアンが喧嘩していた記憶をすっかり忘れていた。


 ジャックスというのは、マリエッタとユリウスの学園での悪友とでもいうべき存在で、ユリウスとジャックスは事あるごとに喧嘩をして騒ぎを起こしていた。


 あるとき、そんな二人を見かねたマリエッタは、二人に仲良くなってもらおうと考えた。

 そして、自分の誕生日のプレゼントでもらったヌワールのティーセットを用いて、ユリウス、ジャックスと三人でお茶会を開こうとした。

 しかし、そのお茶会は突然怒り出したジャックスと迎え撃ったユリウスによってめちゃくちゃにされ、ティーセットも二人に割られてしまった。


 その時、酷く悲しく泣き喚いたこともマリエッタは思い出す。


 あの日は生涯で一番最悪な日だったのかもしれない……、それからユリウスとは会えなくなってしまったから、とマリエッタは今の彼の成長した涼しげな横顔を眺めながら、少し苦しくなる胸を押さえた。


 マリエッタがユリウスの涼しげな横顔を眺めながら言った。


「結局、あの後はジャックスがティーセットを自分で買い直してくださいましたわ。もちろん、謝罪つきでしたわ」


 マリエッタは続けて言った。


「余程堪えたのか、彼自身もそれから些細なことでの暴力的な騒動はあまり起こさなくなりましたわ。あなたが居なくなって喧嘩相手がいなくなったことも原因だと思いますの」


「そう、それなんだが……」


 頷き、ユリウスが口を開いた。


「ジャックスはなんであの時あんなに怒っていたのだろう?」


 マリエッタが左手で右ひじを抑え、右手を顎において首を傾げた。


「さぁ、なぜかしらね……」


 ユリウスもマリエッタと同じように左手で右ひじを抑え、右手の拳で口元を押さえて、首を傾げる。


 二人は共鳴するように唸り、暫く同じ方向に首を傾げる。


 暫く考え込んでも答えが見つからなかったマリエッタとユリウスの二人は、結局分からない、という事にしておいて、その話題をやめたのだった。




 ベンチに座るユリウスとマリエッタの二人の視界の片隅に、数名の学生が弧になって男女の生徒を囲み、何かをやっている光景が見えた。


 ブレザーの制服を着た生徒たちは、身振り手振りを交えて声を張り上げる男子生徒と女子生徒を見守っている。


「おぉ、姫よ! この縄を婚約の証として受け取っていただけないだろうか!」


 ひざまずく男子学生とその前に立ち、左腕を出し屈もうとする女子生徒。

 学生たちは公園の片隅で演劇の稽古をしているようだった。


 マリエッタが学生たちの演技を見ながら言った。


「あれは学生祭で演じる舞台の稽古のようですわね」


 左腕に男子生徒から縄を巻かれる女子生徒を見つつ、マリエッタは続けた。


「そういえばわたくしもあの舞台観劇に招かれていましてよ。学校校舎前の大型ステージで彼らがあの舞台をやるみたいですの」


 腕に縄を巻かれた女子生徒が、今度は自分の髪を結んでいたリボンを外して、それを男子生徒の左腕に巻きつける。


 マリエッタが続けた。


「お話は良くある騎士とお姫様の叶わぬ恋のお話ですわ。おとぎ話みたいに古くから伝わっているお話ですのよ。あと、あの場面は拾った縄を婚約指輪の代わりにして、それを受けた姫が代わりに自分のリボンを騎士にさせている場面ですわ」


 どこか言葉に引っかかりを感じ、ユリウスが首を傾げた。


「……装備?」


「えぇ、この後、二人は目の前のドラゴンに姿を変えた神と対峙し、玉砕しますわ」


「一文の情報量が多いな……」


 目を瞑り腕を組み、悩むユリウス。


 でも……、とマリエッタが手のひらを上に向けて続けた。


「指輪も用意せず死に際に婚約を成立させようなんて陳腐で浅いですわ。もっと平時に、綿密に落ち着いて計画を練って婚約の申し込みをしてこそ、誇り高い騎士も格好がつきましてよ。もっと男らしく、早く決断すべきでしたわ。あんな窮地の場面ですることではありませんわ。わたくしならあんな女々しいプロポーズなんて断じて認めませんわ」


 息巻いて腕を組んで胸を張り、マリエッタが自身ありげにそういった。


 そんな彼女の姿を見て、ユリウスがははっ、と手のひらを返して鼻で笑った。


「でも意外とありかもしれないだろ」


「断じてありませんわ。却下ですのよ」


 マリエッタは気が変わらないようで、笑みさえ漏れたその表情から確固たる信念を感じさせる。


 ユリウスが演劇の練習をしている学生たちに目を向けると、彼らは今まさに激闘を繰り広げているところだった。

 木剣を持った騎士役の男子学生が、数珠繋ぎに手を組んだ他の生徒たちに切りかかったり、翼っぽい役の生徒に煽られて吹き飛ばされる演技をしていた。


 ユリウスとマリエッタの二人は、その学生たちの稽古姿を見守る。


 時々吹く木々を煽る風の音と、神々の戦いを演じる生徒たちの声がよく響く、静かで穏やかで良く分からない時間が、ユリウスとマリエッタの二人の微妙な距離の間を通り過ぎていった。

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