第16話 親友の元カノの最近の行動はやはり母親の受け売り?

「ん――っ」


 バイトを終えて、喫茶店を後にしてから数分歩いて、俺は一旦足を止め両手を真っすぐ頭の上に伸ばした。土曜のバイトはやはりいつもよりヘクティクで大変体力を消耗したわ。


「あー、癒しが欲しい……」


 そんなくだらないことを呟いてから俺はまた歩みを再開する。時期はもうすぐ5月だから、冬の冷たい風がもう吹くことなく今夜吹いてる風が普通に涼しいと感じている。ちなみに、文香ふみかは無事バイトの面接に合格し、来週の土曜からバイトを始めることになった。そして店長曰く、その日の夜も文香の歓迎会と同時に小宮こみや先輩の送別会を行う予定だ。


「そいやあした日曜だし、用事は……なくて暇だから久々に奈々子ななこをどっかに連れて行こうか。あいつ何か欲しいものとかないかな……」


 我が妹の性格があれだけど、実はめっちゃ気遣い屋さんだ。欲しいものは俺と母さんが聞かなかったら全然教えてくれなかったし。あいつぐらい年頃の娘は欲しいものとか絶対多いだろうに。本人は自分がもらった小遣いで十分だといつも言ってたけど、果たしてそうだろうか?


「まぁ知らんけど、明日は久々に兄妹で仲良くショッピング巡りでもするかぁ」


 そう決意してから少し歩いて、ある角でふと視線を右側に向けると、何人かのスーツ姿の人がそこにいる。まぁ、ここからそっちに進めばホテルがたくさん並んでるしな。そこはビジネスホテルしかないから、ラブホがあると思ったら大間違いだ。


 何故知っているかって?それは一度行ったことがあるから知っているんだよ。まぁ、ビジネスホテルと言っても別にラブホみたいな使い方ができないと言い切れないけどな……


「あれ?」


 よく見ると、さっきからホテルの前でスーツ姿の男女が立ち止まってるけど、その腰まで伸びた黒髪の女性のこと、なんか見覚えが……


「よし、ちょい近づこうか……」


 そう決めて、俺は彼らの所に近づいている。見る限り男の人の様子が何か変だ。その女性に肩を貸して支えながらキョロキョロしてまるで入るか入らないかの慌てっぷり。一方、その女性がなんか眠っている、いや、酔っててフラフラしてるかな?って――美春みはるさん!?


 美春さんだと分かって、俺は速足で彼らの所に向かう。


「あの、すまんが、美春さんをどこに連れて行こうとするんだ?」


 ホテルの前だし質問は不要だが、初めてその男の人に声をかけた時、彼は露骨にピクッと肩を震わせた。あぁ、本当に要らない質問だったわこれ。美春さんは綺麗で魅力的な女性だって分かっているけど、こいうやり方はダメだろ。


「あ、えっと……」

「やはり無抵抗な美春さんをホテルに連れ込もうとするんだな?」

「違う!これは少し事情があってね!そもそも君は誰なんだ?」

「いや、どんな事情―」

「あれ、健二けんじどうしたの?」


 急に前方から女の人の声がしたので、思わず声の方向に目を移す。ホテルから出てこっちにやってくる高身長でショートボブヘアの女性がスーツを身に纏うから、美春さんとこの知らない男の人の知り合いだろ。さっきも男の人の名前を呼んだらしいし……いや、何故ほかの女性がいるんだ?


「さ、幸子さちこ!丁度いいところに」

「ん?どした?ていうかその子誰?」

「えっと、この少年、朝倉あさくらさんのこと知っているらしいけど、なんかこの状況に誤解してるからちょっと誤解を解いてくれると助かる」

「いやアンタ大人だから少し落ち着いて一人で誤解解いてよ、と言いたいところだけど、これはなかなかおもし、じゃなかった、えっと…君は美春ちゃんの知り合いかな?」

「さっき面白いと言いかけませんでした?」

「きっと気のせいだよ。で、どうだった?」

「うん、まあ、知り合いというか、美春さんは俺のクラスメイトの母親なんですが」

「美春ちゃんの子って確か……あ、高校生か~そっかそっか~」


 そう言いながらその幸子さんという女性がなぜか何回も頷いた。一体なんでだろと俺は首を傾げるしかできなかったけど、数秒後彼女はゴホンと咳ばらいをして話しを進める。


「あー、まずは自己紹介かな?私は古村こむら幸子さちこという、美春ちゃんの同僚だ。で、こっちのヒョロヒョロそうな男は古村こむら健二けんじ、私の夫だ」

「え?」


 そう説明されたら俺は思わず間抜けな声を漏らして、二人の左薬指に視線を移す。そこに同じゴールドの指輪が見えたから、彼女の話が本当だったようだ。あ、でも俺さっき健二さんという人に失礼なことをしたよな。まぁ、間違いを認めるかと考えてから俺は健二さんに向けてお辞儀をしながら謝罪する。


「さっきは早とちりした挙句、あんな失礼な態度をとってしまい、大変申し訳ございませんでした」

「あ、あぁ、いいよいいよ、顔上げて。正直僕はあまり気にしてないからさ。なんか誤解を招いた僕も悪いと思ってるしね」

「そうそう、気にしなくていいよ少年。ていうか君も自己紹介してくれないかな?」

「分かりました。春川はるかわ政也まさやと申します」

「なんか堅苦しいなぁ政也くんは」

「普通いきなり下の名前か、幸子?」

「もーう、高校生相手にヤキモチを焼いちゃダメだよ?」


 このこの~と幸子さんが付け足して、人差指で健二さんの頬に突いた。やー、いちゃつくのはいいが、今健二さんが美春さんを支えながらいちゃつくとなんかめちゃくちゃ違和感を感じる。


 そして俺はゴホンと咳払いしてまた本題に戻せる。


「そいえばお二人は何故美春さんをここに連れてきたんですか?」


 あー、説明がまだだったなと前置きしてから幸子さんが話し始めた。どうやら久々に会社の人たちとの飲み会に参加してた美春さんがお酒を飲みすぎたせいで酔いつぶれた。美春さんが酒好きだと前から知っていたが、まさか酔いつぶれるまでとは。


そして美春さんの住所が知らないお二人は明日仕事休みだから近くのホテルで一泊しようとした。いや、住所知らないのかよ。


 それで、ホテルの前に着いてから幸子さんがちゃんと二部屋が空いてるかホテルに入って受付に聞いてみた。そしてその間、美春さんに肩を貸して支えてる健二さんがホテルの前で待機して今に至る。ツッコミたい所がありすぎたが、めんどさくなりそうから流しておこう。


「とまぁ、大体はそいうこと。ところで、君は美春ちゃんの家知っているかな?」

「え、知ってはいるんですが……あぁ、美春さんは俺が送りますよ」

「おー、お願いする前に話が分かるとは。実は美春ちゃんが帰宅する時いつも私と反対方向に向かってるから今回君がいて本当に助かったよ……でも本当にいいの?今は結構夜遅いよ?」

「はい、この時間ならまだ余裕がありますので平気です」

「そっかぁ。それなら私たちも安心して帰れるわね」

「え、ホテルで一泊するんじゃなかったんですか?」

「さっきは美春ちゃんを一人にしたくないから一泊しようとしたけど、今君がいるからうちに帰ったほうがいいかなと思ってね。まぁ、正直疲れてるけど、ホテル代がねぇ……やっぱり我が家が一番かなぁと」

「あぁなるほど」

「じゃ、美春ちゃんのことよろしくね。ほら健二、美春ちゃんを政也くんに渡して」

「渡してって、他の言い方あるだろう、幸子……」


 俺は泥酔して眠っている美春さんを受け止め、彼女の肩に腕を回して支える同時に彼女の鞄を持ち上げる。その途端、確かに少し酒の匂いがするけど、美春さんのいい香りの方が勝ったおかげで嫌にならないわ。


 そして視線を美春さんの方に向けたら、彼女のその綺麗な顔がすぐ視界に入った。うん、一年間以上見てないけど、アラフォーって言えないくらいマジで若々しい顔しているなこの人。20代後半だと言われたら信じる人がいっぱいいると思う。おっ、左目の下に小さなほくろもまだある……


「おや、美春ちゃんの顔をまじまじと見てどうしたの?」

「えっ?……あぁいや、綺麗だなと思って」

「……あぁ、君がどんな人なのか分かってきたよ」

「どういうことですか?」

「いや、気にしなくていいよ」

「そう、ですか?……あっ」


 その前に文香に連絡した方が良さそうだなと俺はふと思いついた。美春さんの帰りが遅くて心配になるかもしれないしな。そして幸子さんがなぜか首を傾げながら「どうしたの?」と聞いた。


「えっと、美春さんの娘、俺のクラスメイトに連絡しようかなと思いまして。こんな時間だし、母親である美春さんのことを心配しているかもしれないかと」

「なるほど。ならそうしてね」


 右手が美春さんの肩を支えてるので、俺は美春さんの鞄を自分の腕にかけてから空いてる左手で自分のスマホをポケットから取り出して、文香にLINE通話をかけた。


『もしもし、どうしたの政也くん?』

「あぁ、急にかけてすまん文香。俺今美春さんと一緒にいるんだけど、一応報告な」

「えっ?」

「美春さんは飲み会で酔いつぶれたとその同僚さんから聞いてた。そして美春さんが今眠っているんで、今からそっちに向かおうと思って」

『あぁ、確かにお母さんが飲み会で帰りが遅くなるって言ったけど、こんな時間じゃ流石に遅すぎるもんね。でもどうして政也くんがお母さんと一緒にいるの?』

「まぁ、バイト帰りで偶然な」

『そっかぁ……あれ?政也くん、さっきお母さんが眠っているって言ったよね?』

「え?あぁ、今美春さんが俺の傍に眠っているけどなんで?」

『ちなみに今どこに?』


 文香の声が急に低くなった。なんか怒ってるけど、一体なぜ?俺はありのままの状況を説明しただけなのに……


『政也くん?』

「あぁすまん。今ホテルにいるんだよ」

『はああ!?ど、どういうことなの!?』

「うおっ」

『どいう流れで政也くんがお母さんと一緒にホテルにいるの!?』


 文香が急に携帯越しに叫んだから俺はすぐスマホを耳から遠ざけた。文香の問いがはっきりと聞こえたぐらいに声が大きすぎるな。


 そして俺の様子を見ている古村夫婦、特に幸子さんがやれやれと言わんばかりに呆れている。


「まったく、ひょっとしてわざと誤解を招くようなことを言い出したのか君は?」

「え?」

「何がって顔しているわね。さっき自分が言っていたことをもう一度思い出してみて。ほら、美春ちゃんが君の傍に眠っているくだりから」


 そう指摘されて、俺は一度思い出してみてその数秒後、やっと自分が言っていたことに気づいた。


「すまん文香!さっき言葉が足りなかった。実は俺今美春さんとその同僚さんとホテルの前にいるんだよ」

『な、なんだよもーう……あんまり驚かないでよ……お母さんのことだから、信じっちゃうじゃない……』

「どいうことだ?」

『な、なんでもないから忘れて。それより、本当に今からうちに向かうつもりなの?もうこんな時間だけど……』

「ん、平気。泥酔状態の美春さんを一人で帰らせたら流石に危険だし。明日も日曜だから、遅くても全然大丈夫だ」

『そ、そう?それじゃお母さんのことよろしくね。私待ってるから……あっ』

「ん?どうした?」

『……無抵抗なお母さんに手を出さないでね?』

「しねーし!!」


 そんな大声でツッコンだら、文香がふふっと笑って通話を切った。や、笑ってる場合かよ!お前の母親だぞ!?


 てか、俺のことエロオヤジとでも思ってるのかあいつは。無抵抗な女性に手を出すとかないんだろ。それはちゃんと許可をもらってからするもんだからな。ってこれもなんか違うけど。


「もう終わった?」

「はい」

「そっか。しっかし君、なんか美春ちゃんの娘と結構仲がいいわね。もしかして彼女は君の恋人?」

「……いえ、ただの友達です」

「ふーん……そっか。ところで君はさっき通話してる時バイト帰りって言ったわね?バイト先はどこ?」

「えっと、ここから10分ぐらいの距離で『エンジョイ喫茶』という喫茶店です。GPS使えば見つかると思いますよ」

「安直だねその店名。でもそっか。今度少し寄ろうかな。ね、健二」

「うん、そうだね。いつもの居酒屋じゃ飽きるから、寄ってみる価値がありそう」

「それなら是非ご来店ください」

「はいよー。んじゃ私たちもそろそろ帰るけど、君はタクシーで帰るの?それとも電車?」

「美春さんを支えながらだとタクシーが最も最善な選択肢だと思うからそれで帰ります」

「そっかぁ。ちなみにタクシー代は平気?」

「大丈夫ですよ。金結構持ってるので」

「まったく頼もしい限りだ。私たちは電車で帰るからここで別れるね。それじゃ美春ちゃんをよろしくね」

「はい、お気を付けてください」

「……美春ちゃんに手を出すちゃダメだよ?」

「だからしねーし!!」


 ついさっき文香との通話してた時みたいにため口でツッコんじゃったが、幸子さんがケラケラ笑い声を出してから「そっちも気を付けてねー」と言ってくれた。そして彼女の夫である健二さんは自分の妻を見て苦笑いしかできなかった。彼はやたらと口数が少ないから、本当に変わった夫婦だなと思ってしまった。


「さてと、まずは大通りにタクシーを捕まえに行こうか」


 俺は美春さんを支えながら大通りに向かった。美春さんは完全に深く眠っているわけじゃないから、支える時はあんまり苦労を感じていない。そして大通りに着いてから数分後、やっと待ち望んでいるタクシーが来た。


 タクシーが完全に目の前に止まってから、まずは美春さんをタクシーに乗せて自分はその次に反対側の右ドアから入った。


 行き先をタクシー運転手さんに示した数分後、隣に眠っている美春さんの頭が急に俺の肩にもたれかかった。少しビクッと肩を震わせたが、あまり起こさないように俺は美春さんの頭をそのまま自分の肩に寝かせる。


 うん、酒の匂いがなぜかもうなくなったが、美春さんの文香より長い黒髪の香りが鼻孔をくすぐるから正直落ち着かない。しかし本当にいい香りだな。これって何の香りだろう……


「っんん…………うう……頭が……ん?」


 美春さんの髪をスンスンと嗅いでるせいか、彼女が起きてしまった。てか何嗅いでんだ俺は!?


 そして目を覚ました美春さんが二日酔い状態みたいに自分の頭を抱え俺の肩から離れて、首を傾げながら目の前にいる人である俺のことを認識しようとする。


「あ、あら?なんで政也くんがここに?そいえばここ……え、タクシー?」

「……お、お久しぶりです、美春さん……」

「えっと……久し、ぶり……?」


 だよなぁ。起きて早々久々に見なかった人物が目の前にいたら普通困惑してるよなぁ。


 それから俺はあらゆることを説明したつもりだけど、美春さんがなぜか顔を少し赤らめた。たぶんこれはカッコ悪いところを見られて恥ずかしがってると思う。


「ご、ごめんなさいね迷惑かけて。わざわざうちまで送ってもらっちゃうなんて……」

「いいんですよ。一人だと危ないと思いますし」

「……ふふっ。本当にありがとうね〜」

「えっ、あ、あぁ、いえ……」


 美春さんが微笑みながらお礼を言ってから、なぜか顔を俺の目の前に近づいている。て、近すぎるよ美春さん!もしタクシーが右か左に曲がれば確実に唇が触れ合うことになっちゃうんだろこんな距離じゃ!と思ってしまったから俺は素早く顔をそらした。


「あらっ、どうしたの?」

「い、いや……顔近くてつい…照れくさくなったというか……」

「ふふふ、おばさん相手に照れなくていいのに〜」

「いやそういう問題じゃ……」

「……でも政也くんって最後見た時よりすごく成長したわねぇ~。なんだか前よりもっと男らしくなったというかなんというか……」


 美春さんがそう言ってからなぜか自分の頭を俺の肩にもたれかかる。さっきは酔ってる状態だから少し平気だったけど、美春さんが今完全に目覚めたからこんなことされると俺は体を震わせるのを我慢するしかできなかった。


「ふふ、あなたがこんな立派な男の子に成長したから文香ちゃんと文乃ふみのちゃんには少し羨ましいわ~。私、政也くんと年が近かったら間違いなくぐいぐいアタック(?)しちゃうのにね~」

「す、すみせん。美春さんが何を言っているのか分かりません……」

「あら、そう来るわね〜」


 ほれ、うりうりうりと美春さんが急に俺を見上げて自分の人差し指で俺のほっぺたに突いた。


「かっ、からかわないでくださいよ、美春さん……」

「ふふっ、ごめんね〜。相変わらず反応が可愛いかったからつい〜」

「いや、可愛いって……」


 あぁ、そうだった。実は美春さんは俺の数少ない弱点だった。苦手とかじゃないが、何故かよくからかわれる。最近文香にやたらとぐいぐい来られるのもやっぱり美春さんの受け売り?知らんけど、知らない方が良さそうだなと俺は考えることにした。

 

「そいえば政也くんってバイト帰りだったのね?もしかしてバイト先はその辺りなの?」

「そうなんですよ」

「そっか~。文香ちゃんが政也くんと同じバイト先で働くことにしたのはいいけど、正直帰宅時の夜道が少し心配になっちゃうわぁ」

「それは大丈夫だと思いますよ。文香の安全のため来月のスケジュールは文香と一緒にしてほしいとちゃんと店長と話し合ったので、せめてバイト先から駅までは俺がついてきますよ。それに、降りた駅からご自宅までの距離も近いしね。ちなみに、夜11時ぐらいでも電車を利用する人がまだ結構多いのでそこも安心してください」

「あらあら、あの子のためにそこまでしてくれるなんて。確かにそれなら安心できるわぁ。本当にありがとうね〜」


 美春さんが自分の頭を俺の肩から起こして、いきなりよしよしと俺の頭を撫でてくる。なんか撫でられるのめっちゃ久しぶりだな。しかし、頭撫でられるのってこんなに気持ちいいものなのか……って、そうじゃない!


「あの……子供扱いしないでくれると嬉しいんですけど……」

「あらっ。ふふ、ごめんなさい。そいえばそうわよね。政也くんって大人扱いされたいお年頃の男の子だものね~」


 ニヤリと歯を見せて笑った美春さんになんか嫌な予感がしてきたと思いきや、美春さんが急に「うっ」と頭痛に襲われるかのように頭を抱える。


「ど、どうしたんですか美春さん!?」

「……なんか急に頭が……」


 酔った後のせいだろと思って、俺はすぐ自分の鞄からペットボトルを取り出した。この場合は水分補給が最適だろ。


「俺の飲みかけでわるいんですが、とりあえず水飲んでください美春さん」

「これ、間接キスになっちゃうわね~」

「あーもう、それでいいからはやく飲んでください」

「ふふ、それじゃもらうね」


 それから美春さんはゴクゴクと喉を鳴らしてペットボトルが空まで飲み干した。俺は無事に美春さんを送った後で一応また飲みたかったけど、よっぽど喉が乾いただろうから後で自販機かコンビニを探してまた買えばばいい。


「あら?ごめんなさいね気づかずに全部飲んじゃった……」

「いえ、大丈夫ですよ。それより具合はどうですか?」

「おかげで少し楽になったわ~」


 ありがとうね~と美春さんが付け足した。まぁ、もう大丈夫そうだし、よしとするか。


「でもなんだか頭痛が少し残っているわ……あ、そうだ。政也くん、膝を借りて枕にしてもいいかな~?」

「え?」


 美春さんのお願いに俺は間抜けな声でしか反応できなかった。いきなりとんでもないこと言い出したな美春さん……


 でも美春さんを少しでも安静させたいから、これは仕方なく受け入れた方がいい、よな……うん、そうしよ。


「えっと……そ、それじゃ、どうぞ……」

「わ~、ありがとう~。それじゃ失礼するわね」


 両足が地面を踏んだまま、上半身だけ眠らせ美春さんは自分の頭を俺の膝の上に置いた。うわなんだこれ、奈々子の時と比べたら全然違うわと思いつつ俺はふと視線を下ろした。正確には美春さんの胸の辺りに。


「…………!」


 タクシーの中のわずかな光ではっきりと見えないが、美春さんのスーツの下にある白いシャツの上のボタンがなぜか閉まってない状態で、その隙間から少し谷間が覗いてる。大人の女性って服が乱れるとなぜこんなにエロエロしいだろうか?てかよく見ると美春さんのってエマ先輩と同レベルかな……


「ねえ、政也くん」

「は、はい!」

「ん?どうしたの?」

「いえ、それよりさっき俺を呼んでるけど、どうしたんですか?」

「うーん……なんか言い出しにくくなったわね……」

「ん?……」

「その、頭……」

「頭?」

「頭を……ううん、なんでもないわ。ふふっ……」


 最初は首を傾げながらなんだろと思っていたが、「を」の助詞が出てきたからすぐ美春さんの言いたいことが分かった。頭、撫でて欲しいだろう。うん、自分が何言おうとするか分からないかな、美春さんは……


 友達の母親に膝枕してあげるだけでもう十分アウトなのに、頭を撫でてあげるとか流石にダメだろと思ってるけど、ふとわずかな光に照らされている美春さんの顔を見ると俺は思わず自分の右手でそっと優しく彼女の頭を撫で始める。美春さんの髪サラサラでいつも触りたいほど本当に触り心地いい。て、ほかの女性にもこの感想を述べる気が……


 でも、こればかりは仕方ないのだ。そんな苦笑いを見せられたらこっちが慰めたくなる。どうしてそんな顔したか分からんが、とりあえず慰めてあげたほうが良さそうかなと思った。そいえばよく思い出すとこの人、10年間以上一人で娘を二人育てるよな。本当頑丈というかなんというか、尊敬しているわ。

 まぁ、今美春さんが自分を甘やかしたくてこうされたいと解釈していいかな。


「ふふっ、あんまり人の思うことを鋭く察すと逆に引かれちゃうのよ?」

「じゃ、これやめます?」

「あら、意地悪こと言う。まぁ、これは特別だからやめないでね~」

「お、おう……」


 な、なんだこんな甘々な空気は。こんなの想定しなかったぞ。てかなんで美春さんがこんな素直に甘えてくるんだよ?もしかして美春さん俺のことを……


 うん、ないか。年の差がありすぎるし、俺と同い年の娘もいる。薄い本の中の世界ならともかく、ここは現実だから流石にあり得ない。美春さんは前からよくからかってくるから、どいう感情を抱いてるか読めなくて、からかうだけが目的だろと今でも思ってる。よし、好きという感情はまずないだろから今までのように普通に接していこうと思いつつ俺は美春さんの頭をやすやすと撫で続ける。


「ふふ、気持ちいい。撫でられるのいつぶりかしら……」

「…………」

「今日はいろいろと迷惑かけてごめんね、政也くん」

「いえ、これぐらいは大丈夫ですよ」

「…………」


 美春さんが急に黙り込んでるから俺は首を貸しげながら「ん?」と不思議そうに彼女を見ている。そして数秒後、美春さんが沈黙を破った。


「正直、私凄く嬉しいわ。文香ちゃんがバイトを始めたいと言い出した時……」

「……うん」

「あの子、人生経験を増やしたくてバイトを始めるなんてねぇ。政也くんの知っての通り、前の文香ちゃんにとっては苦手なことだもの」

「うん、そうですね」


 確かに、無口でコミュ力が低い前の文香ならバイトとか考えられないよな。しかも、接客の仕事なんて。あいつ、ここ一年間で本当に苦手なことをほぼ全部克服したな。


「まぁ、あの子が私の負担を減らしたいというのもよく分かったわぁ。きっと私に気遣って言わないけど、私は負担だなんて全然思っていないのにね。でも、あの子がそんなこと考えてくれるの正直嬉しいわ……」


 あぁ、さすが母親ってことか。娘のことをよく知ってらっしゃる。そうだ、文香は美春さんの負担を減らしたくてバイトがしたいと確かに前に言った。まぁ、俺もそんな理由でバイト始めるしな。だから文香の気持ちはすごくわかる。


「私、最初は一人で二人育児が正直きつかったわ。離婚するんじゃなかったなとあの頃少し後悔してたけど、文香ちゃんと文乃ちゃんの顔を見たらその気持ちが消えた。あの子たちだって自分の父親のことがどうも苦手でね、とりあえず一人で精一杯頑張ろうと思っていたわ。結果はいい子たちに育ったから、母親としてとても喜ばしいことなのよ」

「……そうなんですか……失礼だと思っていますが、再婚とか考えていないんですか?」

「あら、政也くんがもらってくれるの?」

「……違いますよ。聞きたいだけですよ」

「ふふっ、冗談だけど、そのに気になるわねぇ……」

「いやそれは……」


 確かに魅力的な話だが、やっぱり年の差がありすぎてその話に乗りたくても乗れねぇ。さっきギクッと肩を震わせなくてよかったわ。


「まぁ、真面目な話、あの子たちが父親の存在を欲しがらない時点からでは再婚する気がなかったわ。そもそも一度離婚したら、再婚するとかなんか嫌かな。離婚後間もなく頃はよく殿方にプロポーズされたけど、全部断ったわ~」

「そう、なんですか……」


 そうか。こんなに美人で若々しいのに、再婚しない理由はやっと分かった。まずは子供たちのことを考え、自分のことはあとからにする。うん、親が持つべき考え方だけど、やっぱり美春さんは凄いだ。


 そいえば今更だけど、こんなプライベートな話を俺に聞かせていいのかよ。てかここタクシーの中だし、運転手さんに聞こえちゃっていいのかと思っていたが、美春さんの声が運転手さんに届かないと信じたい。


「私政也くんにすごく感謝しているのよ。あなたがいるから文香ちゃんが自分を変え、もっといろんなことに頑張ろうとしているわ。だから、ありがとうね〜」

「……いえ、俺は本当に何もしてないんですが……」


 努力をするからこそ文香はここまで自分を変えられたと思う。てか一年間彼女を避けてたし、感謝されてもどう受け取ればいいかわからん。


「ふふっ、そうかな~。まぁ、政也くんがどう思っているか分からないけど、文香の母親として言わせて欲しいからちゃんと受け取ってね〜」

「えっと……まぁ、どういたしまして」

「うん、よくできました〜」

「また子供扱いを……あ、もうちょっと着くんですよ美春さん」

「あら、残念。この枕と別れるなんて名残惜しいわ〜」

「こんな硬めのやつで喜んでくれてなによりです」

「ふふ、なら次はいっそ私の膝枕試してみない?」

「……魅力的な話ですが、遠慮しときます…」

「あら、残念〜」


 ふふと美春さんが笑い出して、自分の上半身を起こした。そして数分後私たちが乗ってるタクシーが朝倉家自宅の前に到着した。もう完全に起きたから美春さんが早速クレジットカードでタクシーの支払いを行う。まぁ、俺が迷惑される側だからタクシー代くらいは自分が払うなんて思っているだろ美春さんは。


「そいえば政也くん、どうやって帰るつもり?」

「まぁ、普通に電車で帰りますよ。駅までは歩くつもりなんですが」

「こんな時間だと危ないと思うから、またこのタクシーで駅まで行けば?」

「いえ、今は歩きたい気分ですし、身の回りの安全ぐらいは大丈夫ですから、心配は無用です」

「あら、逞しいわねぇ。まぁ、政也くんがそうしたいならこれ以上言う必要がないわ」


 タクシーの支払いを済ませた後、俺はちっと待ってくださいと美春さんに言って、先にタクシーから降りた。美春さんは酔いから覚めたばっかりだしふらつくと危ないから、俺はタクシーの左側に行って、美春さんの肩に腕を回して支える。


 そして俺たちが乗っていたタクシーはもちろんすぐここから去っていた。


「お疲れ様、政也くん。お母さんを送ってくれてありがとうね」


 そう微笑みながら文香が俺たちの出迎えしてくれた。や、目を見たら全然微笑んでねぇじゃん!


「お、おう、どういたしまして」

「……ところでいつまでお母さんとくっついてるの?そんなにお母さんと密着したかったの?」

「え?いやいや、美春さんは酔いから覚めたばかりだから、転ばないように支えてるだけなんだよ」

「ふーん。まぁ、ここから私が支えるからお母さんを――」

「えぇ―私、政也くんがいいわ~」

「政也くんに迷惑かけるし、酔ってる人が文句を言う権利もありませーん」

「もーう、仕方ないな……」


 そんなわけで、俺は美春さんを離して文香に任せた。さっきから近くに感じていた良い香りが段々消えて、名残惜しく思ってるのは気のせいだろうか?


 そして俺は朝倉家自宅に目を移したらなんか急に懐かしく感じた。まぁ、一年間以上ここに来なかったからそうならざるを得ないか。

 

「ん?」


 ポケットにしまってあったスマホが急に震えて、取り出したら奈々子からのコールが来た。俺は二人に「ちょっと失礼」と言って、電話に出た。


『兄ちゃんまだ帰ってこないの?はやくいつものやつやろうよ~』


 あぁ、なんだ、そんなことか。いつものやつ、つまり土曜日の夜ごとにいつも妹と夜更かししてMMORPG三昧してる。ちなみに俺は結構そのゲームを高1からやり込んで自分のだけじゃなく、パーティのレベルまでかなり高い方だ。まぁ、単独冒険をする時間の方が長かったけど。


「すまん、いろいろあって寄り道してた」

『そっかー。ちなみにシズちゃん久々にログインしてるよ?さっきも兄ちゃんどこって聞かれた』

「え、シズが?」

『そうだよー』


シズは俺がそのゲームを始めたばかり頃からの冒険仲間だ。その縁でいつもあいつと仲良くゲームの中で冒険している。名前から見ると女子だと思ってるけど、中の人の性別にはどうしても信用できないから、シズの性別は未定ということにした。ゲームをやってる時俺とほかのパーティーメンバーはいつもDiscordのボイスチャットをオンにしているけど、シズだけはなぜかボイスチャットを使ってないから性別が知りたくても知れないわ。


 ちなみにさっき奈々子の言った通り、シズは久々にゲームにログインしている。確かもう二ヶ月ぐらいあいつはログインしてなかったな。理由は知らんが、あとで聞いてみようか。


「分かった。30分くらい待ってろって伝えろ、今うちに向かってるから」

『はーい待ってまーす』


 というわけで、俺はそろそろ二人に別れ挨拶をしようとするのだが、なぜか文香にじっと見られた。


「じゃ、俺はこれで」


当然俺は何も見なかったことにして、文香の痛い視線を見事にスルーした……


「政也くん、シズって誰?」


 と思いつつ、俺は文香の問いかけに足を止まらせた。


「ゲームの仲間だよ」

「ふーん、そう……」

「あぁ。じゃ、俺はこれで」

「ちょっと待って。もう少しゆっくりしたら?お母さんを支えて疲れたでしょう?用意するからせめて何か飲み物を」

「そうよ。いっそ我が家に泊まったら?」

「ちょ、お母さん!?私そこまで言ってない!」

「いや、魅力的な話だけど―」

「魅力的なの!?」

「奈々子が呼んでるから俺はそろそろ帰らないと」

「奈々子ちゃんが呼ばなかったら泊まる気満々だったの!?」

「……お前、今更だけど夜のテンションが上がりやすいタイプだろ。近所迷惑だ」

「うっ」

「ふふ、また今度にするってことわよね。それじゃ気を付けて帰ってね~」


 「はい、それじゃ」と返事してから俺は二人に背を向けて駅に向かう。後ろから文香が何か言ってるけど無視しよう。


しかし今夜いろいろありすぎたなぁ。まさか美春さんみたいな美人女性に膝枕してあげるだけでなく、彼女の頭をなでなでまでしてたとは。あんな体験、きっと記憶の中には消えることができないだろう。


 まぁ、でもこれで少し確信できた。文香の最近の行動はやっぱ美春さんの受け売りだろうなと俺はこの日からそう思い始めた。

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