09-12:「手間が省けますな。ご主人様」

 コーヒーカップがソーサーに当り、かちゃかちゃと耳障りな音を立てていた。


 ファブリカント侯爵は朝食の時にその報告を聞き、見るも哀れに狼狽えていた。


「そ、それは本当か……。デルガドやビンガムはしくじったのか」


 朝食には一切手を付けていない。コーヒーを飲むのさえやっとの有様だ。


 前皇帝派の学園宇宙船襲撃は、最後の人質確保の段階で失敗。


 学園宇宙船はファブリカント侯爵家邸宅があるこの惑星ハウンへ向かって移動中。


 しかも学園宇宙船はミロ・シュライデン・ベンディットと名乗る皇子が指揮をしていると言うのだ。


 前王朝派が失敗しただけはない。学園宇宙船を指揮しているミロ皇子とやらにどう対処していいのか。


 ファブリカント侯爵は皆目見当がつかず、ただ周囲に当たり散らすだけだった。


「だから私は前王朝などに興味は無いと言っていただろう! 確かに父上は世話になったかも知れない。しかしもう時代はベンディット家だ。皇帝はグレゴール陛下なのだ」


 家臣たちはその言葉に顔を見合わせた。


 ファブリカント侯爵家現当主ヨハンは32歳。物心が付く頃には、すでに世はベンディット王朝グレゴールの治世になっていた。


 シュトラウス王朝最後の皇帝ヘルムートに仕えていた前当主ヨーゼフは、すぐれたバランス感覚で王朝交代の混乱を乗り切った。


 前王朝派を抱き込む事で、以前からの利権を確保。その一方で現皇帝グレゴールにも忠誠を誓った。


 皇帝グレゴールも領内に前王朝派を匿っているのを承知で、ファブリカント侯爵家の臣従を認めた。


 それは前王朝派をファブリカント侯爵が当面、押さえ込むのを期待しての事。


 そしてさらに戦乱こそが人類繁栄の切り札だという、皇帝グレゴールの狂気じみた信念によるものだ。


 戦乱の火種になりかねないからこそ、敢えて前王朝派を残す。いずれその火種が戦火をもたらし、戦乱となって人類社会を発展させる事を皇帝グレゴールは期待していたのである。


 皇帝グレゴールの真意をどこまでファブリカント侯爵家前当主ヨーゼフが理解していたのかは分からない。


 しかし皇帝グレゴールの権威が増し、皇位を奪回しようという前王朝派の望みが現実性を失い始めた頃、ヨーゼフも彼らを切り捨てようと画策したのは事実だ。


 それもまたヨーゼフの優れたバランス感覚によるものかも知れない。皇帝グレゴールに完全服従を誓うには今が好機と判断したのだろう。


 それが五年ほど前。


 しかしそれを実行する前にヨーゼフはあっけなく世を去り、ファブリカント侯爵家は息子のヨハンに引き継がれた。


 ヨハンはしかし父ほどの優れたバランス感覚、好機を読む嗅覚を持ち合わせておらず、いたずらに判断を引き延ばしてしまい、その結果デルガドの特権派やビンガムの神聖派など、前王朝派の暴走を招いてしまったのである。


 前王朝派の切り捨てを決断できずにいた自分を棚に上げるヨハンに、家臣たちが釈然としない思いを抱くのは当然だろう。


 その時だ。ヨハンと共に朝食のテーブルに着いていた老婦人が、部屋の隅にいた禿頭の小男に目配せをした。


 老婦人はヨハンの母であり、今は亡きヨーゼフの妻カトリーヌ。禿頭の小男はヨーゼフの頃からファブリカント家に仕えている家臣のジョセフ・カーンだ。


 カーンはヨハンの側に歩み寄ると一礼をしてからそっと囁いた。


「これは手間が省けますな。ご主人様」


 意外な言葉にファブリカント侯爵ヨハンは驚いてカーンを見た。


「何を言っている。これから面倒が……」


 声を潜めようとするが、うまくいかない。どうしても荒らげてしまう。しかしカーンはその興奮を収めるように、落ち着いた声で続けた。


「もともと前王朝派は切り捨てるおつもりだったのでしょう? これが好機ではありませんか」


「それはそうだが……。皇帝陛下が納得なされるかどうか。事が起きたから慌てて切り捨てたと思われても仕方ない。それに領内の前王朝派も黙ってはおるまい……」


 ファブリカント侯爵は頭を抱えた。しかしそれに構わずカーンは囁き続ける。


「ミロ皇子に与すれば良いのです。そしてその後ろ盾になりミロ皇子を皇位に就ければファブリカント家も安泰です。いずれ起こるであろう皇位継承権争いを考えるなら、支持者が多くて困る事はない。ミロ皇子もそうお考えのはずです」


「そ、そうか……。しかし……」


 カーンの言葉にファブリカント侯爵は希望を見いだしたように顔を上げた。しかしすぐにその表情は曇る。もっともカーンにはその原因も分かっていた。


「ミロ皇子ですがシュライデン家出身の側室が母のようです。ビンガムが狙っていたように、シュライデン家は前皇帝ヘルムート陛下の孫娘を手中にしているとの噂。つまりどちらに転んでも損は無い。ならばシュライデン家とも手を組めば宜しい。前王朝派も納得するでしょうし、結果的に彼らをシュトラウス家の血を引く方の臣下とする事になります。結果的に前皇帝派、特にやっかいな神聖派の動きを押さえ込めます」


「そうか、それもそうだな!」


 曇っていた表情がすぐに晴れやかになる。ファブリカント侯爵はすっかりぬるくなったコーヒーを一気に飲み干すと椅子から勢いよく立ち上がった。


「よし、それでは早速ミロ皇子を歓迎する準備だ。皆のもの、粗相の無いようにしろ。デルガドたちが襲撃を仕掛けたようだから怪我人もいるはずだ。医者と医療設備の準備も怠るな!」


 デルガドやビンガムの行動を黙認した事を棚に上げてファブリカント侯爵は家臣にそう命じた。


「ご主人様。その件で一つ、ケリを付けておかなければならない事が有ります」


 背中からそう囁くカーンに、ファブリカント侯爵は鷹揚に肯いた。


「分かっている。お前に任せる、カーン」


「仰せのままに」


 ファブリカント侯爵は先程とは打って変わった様子で意気揚々と部屋を出て行った。後に残ったファブリカント侯爵の母カトリーヌはカーンに声を掛けねぎらった。


「いつも迷惑を掛けます。カーン」


「いいえ、奥さま。これが私の仕事でございますから」


 そしてカーンは深々と頭を垂れた。

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