第99話 「どこまで知っているんだ」
「そもそもマリアンヌは、俺のことをどこまで知っているんだ」
言葉だけ聞けば、凄い発言だと思うだろう。けれどこの場合は、乙女ゲームの知識を私に聞いているのだ。
だからエリアスに、他意はない、と思う。多分。
「えっと、孤児院にいた時の話だよね」
「……具体的には」
どういう意味なんだろう。
「実を言うと、あまり知らないの。ゲーム内のエリアスは、自分の過去を話したがらないのか、話題にすらあげなかったから」
レリアだってフィルマンに話したがらないんだから、おかしなことではない。
「だから私が知っているのは、公式のファンブックに載っていた情報くらいかな。エリアスが孤児院に入った経緯とか、そういうの」
「公式?」
「えっと、ゲームを作った人が開示している情報のことよ。エリアスたち攻略対象者のことを、遊ぶ側に分かり易く説明をしてくれるの」
私は私で、プレイヤーを遊ぶ側とか、言葉を選んで説明するのが辛い。
「遊ぶ側……」
「あ、あくまでゲームの話だからっ! その、小説でいうと登場人物の説明だよ。読み手に対して、必要な場合があるでしょう」
「……そこに書かれていたんだ。俺が孤児院に入った理由が」
あっ、と私は手で口を隠した。
その理由があまり良い話ではないからだ。
始まりは、エリアスの父親が殺人を犯したという、
突然夫を亡くした母親は、ショックのあまり寝込んでしまう。幼いエリアスがいるにも関わらず。あまり強い女性ではなかったのだろう。
日に日に弱っていく母親に寄り添うエリアス。けれど、
甘えたい盛りなのに、エリアスは母親を懸命に支えた。が、それも空しく、母親はある男性に依存するようになる。エリアスの父親の友人でもあった男に。
しかし、男の目的は母親ではなく、金だった。
財産を狙ってエリアスの父親に罪を着せ、その後母親も殺害した。
次は自分だと思ったエリアスは、孤児院に逃げ込んだのだ。
幸いにも、男と母親は婚姻を結んでいなかったから、できたことだった。お金はそのまま男に持ち逃げされたらしいが。
マリアンヌと境遇が少しだけ似ているのは、エリアスがお父様を殺害した真犯人を見つけるための動機だと思っていた。
ファンブックを読んだ時は。
けれどここは現実だ。無闇に踏み込んでいい内容ではない。
「ごめんなさい」
「いや、いいんだ。孤児院に入った後は、そんなに悪くなかったから」
「そう、なの?」
「あぁ。フィルマンにも言ったが、レリアがボスのように君臨してくれていたお陰でな」
「く、君臨!?」
それはフィルマンに言っていいことなの?
「レリアは一番の古株なんだよ。赤ん坊の時からいる、と聞いた」
捨て子だったってことだよね、それは。
「だから院長に代わって仕切ることも多い。元々、面倒見がいいのも相まって、そうなったんだ。言っておくが、下町で威張り散らしている連中とは違うからな」
「そうなんだ。じゃなくて、今のもフィルマンに伝えたの?」
「……古株で面倒見がいい、とだけ言った」
嘘だ。絶対にそのまま話したに違いない。その先の話も。
「大丈夫だ。思ったほど、フィルマンの反応は悪くなかったから」
「そういう問題じゃないよ。同じことをレリアがしたら、エリアスはどう思う? 嫌じゃないの?」
「嫌だろうな。でも、それを知っても尚、受け入れるかどうか。俺たちには確かめる権利がある」
俺たち、か。エリアスは否定したけど、それは家族の領域だよ。
だから私は、言葉を変えて聞いた。
「幼なじみ……だから?」
「そうかもな。俺も世話になったし」
ふ~ん。
「……どんな風に?」
「孤児院に馴染むきっかけを作ってもらったんだ。他の連中と違って、何も知らずに孤児院に入ったわけじゃないし。俺もまた馴れ合うつもりはなかったから」
「……それはすぐに、孤児院から出るつもりでいたってこと?」
「始めは、一時避難場所と考えていたからな」
つまり、エリアスがバルニエ侯爵に引き取られる未来にも、レリアは必要不可欠だった、ということだ。
「四年前にエリアスと出会えたのは、レリアのお陰なんだね」
そうでなかったらあの日、エリアスに会うことができなかった筈だ。
嬉しいことなのに、この釈然としない感情はなんだろう。
「まぁ、それは一理あるな。でも――……」
向かい側に座っていたエリアスが立ち上がった。
「俺は嫌だな。それならまだ、攻略対象者っていう立場でマリアンヌと会えたことにしたい」
「……なん、で?」
意味が分からずに聞くと、エリアスは私の隣に腰を下ろした。
「マリアンヌがこの世界に来て、初めて会った攻略対象者が俺なんだろう。そこに他の誰かを入れさせたくない」
そう言って、私の肩に頭を乗せた。
「不純な動機、だったとしても?」
「助けを求めることが、不純なのか?」
「そういうわけじゃ――……」
ないよ、と思わず顔を下げた。途端、私の上半身が傾いたせいで、頭を乗せていたエリアスがバランスを崩した。
そのまま長椅子に横たわる形になったエリアスの体。頭は私の膝に、仰向けになって乗っていた。
「ご、ごめんなさい。どこかぶつけなかった?」
「いや、俺よりもマリアンヌは痛くなかったか。その、膝とか」
痛くなかったわけじゃない。けど、そう言ったらエリアスは、私を優先してしまう。
そっと、エリアスの頭に手を伸ばした。ゆっくり、ゆっくりと撫でる。
すると、まるで受け入れるように、柔かな茶色い髪が私の指に馴染んでいくのを感じた。
目を細めるエリアスを見て、私も口角を上げる。
「エリアス」
「ん?」
もう退く意思はないようだ。
「ありがとう」
「うん」
「それから、孤児院にいた時の話は、無理しないでいいよ。私自身、そんなに聞きたいことじゃないから」
寂しそうな緑色の瞳が私を映す。
「……気を遣う必要はない」
「ううん。私が嫌なの。始めは聞きたかったけど、私が知らないエリアスの話には、必ずレリアが出てくるから」
嫌。エリアスのことを一番知っているのは、レリアだと感じるのが嫌だった。
「私も、他の誰かを入れたくない」
エリアスとの出会いはゲーム補正があったとしても、私たちだけのものにしたかった。
「動機はなんだっていいんだ。きっかけがなかったら、今の俺たちはないだろう」
「うん。そうだね」
エリアスの手が頬に触れてくる。引き寄せられたのか、近づいてきたのかは分からない。
ただ気がついたら、唇が重なっていた。
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