第88話 「なら、何が不安なんだ?」

「つまり、俺の代わりにレリアがバルニエ侯爵家に引き取られた、というわけか」


 エリアスはベッドに腰かけたまま、思案するように呟いた。けれど言い終わると、私に視線を向けて、答えを求める。


「うん、そうみたい。孤児院にエリアスがいないから、そのまま後継者となる人物を引き取らないって思ったんだけど。そういうわけにはいかなかったんだね」


 さすがに、エリアスの前でストーリー補正が働いた、とまでは言い辛かった。


「本当なら、エリアスがバルニエ侯爵になるはずだったんだけど。私のせいで……その、伯爵に……」

「爵位なんか関係ない。それこそ、リュカみたいに駆け落ちしたって構わないんだから」

「ダ、タメだよ。本当はエリアスが享受きょうじゅすべき地位なんだよ。爵位は下がるけど」

「……さっきの話だと、俺は侯爵になって、マリアンヌと結婚するんだろう?」

「う、うん」


 改めて言われると、ちょっと恥ずかしい。


「一年後、俺たちはどうなっている?」

「どうって、結婚してエリアスは伯爵に……」

「マリアンヌは伯爵夫人だ。それこそ侯爵夫人じゃなくて悪いんだが。まぁ、結果としては大して変わらない。そうじゃないのか?」


 結果論としてはそう、なんだけど……。


「四年前。ううん、二年前、エリアスの気持ちを受け入れるまで、私は諦めなかったんだよ。エリアスをバルニエ侯爵に会わせることを!」

「……だから、すぐに返事をしなかったってことか?」


 あれ? 何だろう……怒っている……? というより、地雷を踏んじゃった?


「だって、エリアスの未来を変えたのは私なんだよ。それなのに受け入れたら、エリアスをカルヴェ伯爵家に縛ることになる。だけど私だけじゃ、バルニエ侯爵を探すことはできなくて……」


 何の接点もないのに、邸宅の使用人を使って、バルニエ侯爵の情報を探るのは難しい。下手をすると、お父様の耳に入ってしまうことだってあり得る。


「それに当時は、本物のマリアンヌと入れ替わったことを悟られないようにしたり、貴族令嬢の生活に慣れるようにしたり、と一杯一杯だったから」

「……マリアンヌが器用な人間じゃなくて助かったよ」

「ううっ」


 反論できない。


「仮に、リュカに頼んでいたら、バルニエ侯爵を探し出せていたかもしれない」

「え?」

「でも、バルニエ侯爵はどんな反応を示す? マリアンヌを好意的に受け入れるか?」

「そこはさりげなくお近づきになって……」

「ニナさんが許すと思うか?」


 私は首を横に振った。


 叔父様やポールの件が片づいていない状況で、見ず知らずの男性に会うのは危険だ、とニナは思うだろう。隙を作ることにもなるし、何が起こるのかも分からない。

 私がニナの立場だったら、同じ判断をすると思う。


 それに、周りに心配をかけてまで会いたい人物、かと問われれば、違うと答えるだろう。エリアスはその未来を知らないから、結局のところ、私の自己満足でしかないのだ。


 今なら、それが分かる。


「第一、俺が望んでいない。別の家に養子に入ったら、何のためにカルヴェ伯爵家に来たのか分からないだろう」


 途端、顔が一気に熱くなり、両手でおおった。


「それに旦那様との取引も危うくなる」

「取引?」


 指の隙間からエリアスを覗き見る。


「何かしらの成果を果たせたら、マリアンヌと結婚させてほしい、と伯爵邸に来てすぐにしたんだ」


 そういえばお父様からそんな話を聞いたような……じゃなくて、すぐ!?


「まぁ、図らずとも俺は、マリアンヌの望み通りに動いていたってわけだ。それなのにマリアンヌは、まだグダグダ言うのか?」

「っ……エリアスの努力にケチなんてつけないわ。つける資格だってない。エリアスのお陰でお父様は健在だし、私だって……」


 ゲームのエンディングのような未来が待っている。


「なら、何が不安なんだ?」

「不安……乙女ゲームに出てこなかったレリアの人生を変えてしまった、ことよ」

「乙女ゲーム……確か『アルメリアに囲まれて』だったか?」

「うん」


 タイトルになっているアルメリアとは、花の名前だ。小さな花が集まって、まるで花のかんざしに見える、丸い可愛らしい花。


 ゲームのパッケージイラストでも、白いワンピースを着たマリアンヌが、ピンク色のアルメリアを持っていた。

 キャラクターたちの行動原理が、花言葉とリンクするようになっているのだ。


 王子フィルマンの『同情』

 侯爵エリアス従兄弟ユーグの『共感』

 使用人リュカ商人ケヴィンの『思いやり』

 ヒロインマリアンヌの『心づかい』


 といった感じに。


「王太子……王子ルートは、彼の婚約者が主催するお茶会で、マリアンヌと出会う。王子の婚約者から嫌がらせを受けたマリアンヌは、お茶会から退出せざるを得ない状況になって。その時、王子から声をかけられるの」


 陰湿ないじめがあったことなど知らない王子は、泣きながら退出するマリアンヌに『同情』して、


『どうしたんだい? そんなに泣いて』『こっちで少し休むといい』


 優しく声をかける。そこで王子の申し出を受けると王子ルートに入り、断ると侯爵ルートに入るのだ。


 そんな場面で優しく接せられたら、「ありがとうございます」を選んでしまうのは仕方がないと思う。不可抗力がなくても。

 これが侯爵ルートを、うっかり見逃してしまう原因だった。


 ちなみにここで「大丈夫です」と断った後、王宮の廊下で侯爵に出くわすイベントが発生する。人気のないところで、侯爵の胸を借りて泣くマリアンヌのスチル付きのイベントが。


 侯爵も貴族社会で嫌がらせを受けていたことから、マリアンヌに『共感』して二人は――……。


「待て、何で王子の婚約者から嫌がらせを受けるんだ」

「……彼女の取り巻きにオレリアがいたのよ。マリアンヌがお茶会に呼ばれる前から、カルヴェ伯爵令嬢という立場で、王宮に出入りして、その座を得たらしいわ」


 オレリアは裏で、王子の婚約者をそそのかして、マリアンヌをいじめていた。だからそのお茶会も、始めからマリアンヌをおとしいれるために用意されたものだったのだ。


 しかし、それを今、エリアスに言うのははばかられた。何故なら、すでに青筋が立っているのが見えたからだ。


「やっぱりオレリアの処遇は甘かったんじゃないか」

「エリアス。これはあくまで、ゲームの中の、それも王子ルートの話なんだよ。現実で起こった話じゃないんだから」

「当たり前だ! そんなことがあったら――……」

「あったら?」

「……何でもない」


 多分、物騒なことを想像していることだけは分かった。


「それよりも気になることがあるの」

「……マリアンヌ」


 そんな捨てられた子犬みたいな顔をしないで。

 起きてもいない事象に対して、勝手に怒っている方が悪いんだから。


「レリアが王子……じゃなかった王太子の婚約者になったこと。さっきも言ったけど、王太子には婚約者がいた。……それによってゲームと同じように断罪イベントを起こしていたのか、それが気になるの」


 穏便に婚約者の座を得たとは思えない。恐らくレリアは、私の代わりにゲームを進めていたのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る