第67話 「それでは行って参ります」

 邸宅を出られたのは、お昼をだいぶ過ぎた頃だった。

 準備に手間取ったのもあるが、邪魔されたのだ。約二名によって……。


 まず手間取ったのは、お父様の寝室に再び訪れた時のこと。

 本当に具合が悪いのか疑わしいほど、会話したのが原因だった。

 話題がお母様のことだったから仕方がないと言えば、仕方がないんだけど……。


「すまなかったね。本来ならキトリーではなく、私から言うべきことだったのに」

「いいえ。お父様の気持ちは分かっています。分かっているつもりです。私の反応が怖かったんですよね。お母様が平民であることを知った時の私の反応が」


 図星だったのか、黙ってしまった。


「その、キトリーさんからお母様の話を聞きました。お父様と出会う前の話を。ですからその後の話を今度、聞かせてもらえませんか?」


 シュンとするお父様の姿を見て、思わずフォローしたのがいけなかったらしい。

 いや、私はちゃんと『今度』と言ったよ。言ったけど、お父様には聞こえなかったみたい。


「あぁ、構わないよ。どこから話そうか」

「えっ、お父様?」

「何が聞きたい? イレーヌと出会った頃の話でもしようか」

「お父様、あの……」

「それとも初デートをした時の話はどうだ?」


 どうしよう。聞きたいけど、それは今じゃないんだよ、お父様。


 戸惑う私の反応などお構い無しに、お母様の話をし出した。


「やはり出会った頃の話をした方が、マリアンヌも想像し易いだろう」

「はぁ」

「そうだなぁ、あれは――……」


 顎に手を当て、紫色の瞳が閉じられる。


 こ、これは不味い。語り始めようとしている仕草……!


 私はお父様の視線がないのをいいことに、ニナとテス卿に助けを求めた。


「確か、珍しく馬車に乗らず、出かけた日のことだったな。ちょっと疲れたから――……」

「旦那様」

「カフェに入ったんだ。そこでイレーヌに――……」

「旦那様。そろそろお時間なので……」


 ニナが私の横にそっとやって来た。強引に割り込む形になったが、それでも穏やかに語りかける。


「時間?」

「はい。お父様の手紙をキトリーさんに届けに行くんです」


 惚けるお父様に、私は念を押すようにして言う。さらにニナも加勢してくれた。


「治安隊が来る前に、邸宅を離れた方がよろしいかと思います」

「別に治安隊がいても問題はないだろう。私の用事で行くんだ。それよりも、しばらくマリアンヌに会っていなかったのだから、親子の時間くらいもう少しあってもいいのではないか」


 確かに、お父様とこうしてお話しするのは久しぶりだ。一カ月以上も会えなかったから、お父様の言い分も分かる。


 こんな状況じゃなかったら、私も同じ気持ちになっていたと思う。

 でも考えて、お父様。今、その話をする場合なのかどうかを。


 私がどうお父様に説明しようか考えていると、ニナが前に出た。


「問題はあります。カルヴェ伯爵家で起きた出来事、しかも旦那様が被害に遇われたというのに、娘であるお嬢様が平然と外出したら、治安隊でなくとも怪しいと感じます」

「それを回避するために、私の用事ということにしたのではないか」

「旦那様が仰っているのは、邸宅にいる使用人たちへの方便ほうべんです。事情を知らない者たちからしたら、十分怪しい行動に見えます。旦那様はお嬢様に嫌疑がかけられてもよろしいのですか?」


 凄い剣幕でまくし立てて言うニナの姿に、私は唖然あぜんとした。


 けれど、こういうニナの姿を見たのは初めてじゃない。エリアスが護衛をしていた頃は、よく見ていたからだ。

 私の行動に制限をかけるため、ニナが見かねて注意という名の叱咤しったをしてくれたのだ。


 最近はケヴィンに似たようなことをしていたわね。


 けれどそれは相手が同等の存在だったからだ。

 まさかお父様にまで言うとは思わなかったけど。


 怒った顔のニナと、苦虫を噛み潰したような顔をするお父様を交互に見る。


「……そうは言っていない」

「ご理解いただきありがとうございます。時間も差し迫っていますので、参りましょう。お嬢様」

「えっ、あ、うん」


 唖然としている間に、決着はついたらしい。差し出されたニナの手を取って、私は立ち上がった。


「それでは行って参ります」

「……あぁ、気をつけるんだよ」

「はい。お父様も、お体を大事になさってください」


 いつもならここで、お別れの抱擁をするんだけど、お父様の体に負担がかかってはいけない。

 だから、私はそっと顔を近づけて、頬にキスをした。

 すると、寂しそうな顔が、少しだけ和らぐのが見えた。



 ***



「お嬢様!」


 玄関先にいると、後ろから呼び止められた。勿論、こんなことをするのは、邸宅内にただ一人。


「どうしたの? ポール」


 私は何事? とでも言う風に問いかけた。


「どちらへ行かれるのですか?」


 ポールもまた、姿勢を正して平静を装う。

 予想していた質問に、私も用意していた答えを口にした。


「お父様に頼まれて手紙を届けに行くところよ」

「……このような時に、ですか?」

「えぇ。私もお父様に言ったのよ。でも、しばらくは会えそうにないから、と」

「確かにすぐ治るようなものではありませんが、わざわざお嬢様が持って行く必要があるのですか?」


 普通はない。けれど執事なら、言わなくても理由は分かるはずだ。


「ポール。私が行かなければならないほど、お父様と親しくなさっている方なのよ。直接お詫びを言いに行くのは当たり前ではなくて?」

「そうですね。しかしよろしいのですか?」

「何が?」


 まだ何かあるの? 納得できる理由は話したでしょう。


「エリアスのことです。心配ではないのですか? これから治安隊の尋問にかけられるんですよ」

「っ!」

「お嬢様」


 後ろからそっとニナが声をかけてくれた。落ち着いてと言うように。


「勿論、心配よ。でも、お父様の頼み事だもの。娘の私以外、誰ができるというの?」

「エリアスのことも、お嬢様にしかできないことでは?」

「そうね。ポールの言う通りよ」


 望みの言葉を口にすると、満足そうな表情をした。それがなんとも、憎らしい顔だと思った。


 恐らく、お父様に毒を盛っているのはポールだ。もしくはその協力者だろう。

 その罪をエリアスになすり付けているのだと思うと、悔しくて堪らなかった。


「でも、エリアスはお父様の容態を黙っていた罰にもなるからいいの。エリアスにもそう伝えてもらっても構わないわ」

「本当によろしいのですか?」

「しつこいわね。何度も足止めをしていることを、お父様に言いつけるわよ」


 最終兵器を持ち出して、ポールを黙らせた。

 私を見下し、蔑ろにするポールでも、この邸宅の主であるお父様には勝てない。


「……分かりました。お気をつけて行ってらっしゃいませ」


 私は返事もしないで、玄関の扉をくぐった。

 ポールがなぜ、そこまでして私を行かせたくないのか。そんな疑問を抱きながら。

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