第66話 「怒らないでいただきたいんです」(後半ニナ視点)

「なぜ、お父様がキトリーさんを? いえ、そうではなくて。私が昨日、キトリーさんに会ったのを知っていたんですか?」


 そう、論点をき違えてはいけない。お父様がキトリーさんを知っているのは、むしろ当たり前なんだから。

 だってキトリーさんは、お母様の妹。


「テス卿はマリアンヌの護衛騎士だぞ。私への報告は義務だ。毎朝、報告書を受け取っている」


 ま、毎朝!? それは大変なのでは?

 思わずテス卿を見たら、苦笑いされた。


 ……やり過ぎです、お父様。


「とにかく、私はキトリー宛に手紙を書くから、マリアンヌも出かける準備をしなさい」

「……はい」

「大丈夫。もう内緒にしないから。手紙を受け取りに、またここに来なさい」

「……分かりました」


 その言葉を信じて、私は立ち上がった。

 お父様のことは心配だけど、屋敷の中にいる以上、面倒を看る人間は多い。けれどエリアスは、私を含めて少ないのだ。


 私は後ろ髪を引かれる思いで部屋を出た。


『アルメリアに囲まれて』のゲーム開始設定を思えば、お父様の身を第一に考えなければならない。

 お父様の死から始まる、マリアンヌの悲劇。


 その事実から逃れることができないのなら、せめて傍にいて、看病をしたい。でも……。


 やっぱりエリアスが大事なの。見捨てられないの。

 裏切られた思いはしても、あの黄色いネクタイを思い出すと、嫌いにはなれなかった。


 だって、私のことが好きだから付けてくれたんでしょう、あのネクタイを。私が怒ることは分かっていたはずなのに。


 だからエリアスを助けたい。会って謝りたいの。


「お嬢様。先に部屋に戻っていてもらえますか? 私はちょっと寄るところがあるので」


 寝室の扉の前で立ち止まっていると、ニナがそっと声をかけてきた。

 その内容に、一瞬どうして? と疑問が頭を過った。

 多分、エリアスを連れていかれたから、ニナまで離れていくのが心細かったんだと思う。


「……分かったわ」


 私は心配をかけないように言葉を選んだ。が、それはニナにも伝わったのだろう。返事と一緒に苦笑いされた。


「なるべく早く戻ります」

「うん。気をつけてね」

「それは私のセリフですよ、お嬢様」

「でも、こんな状況だから」


 どうしても、さっきの光景が頭をちらついてならない。

 ニナにまで、ポールが何か仕掛けてくるんじゃないか、と思ってしまうのだ。


「ありがとうございます。そのお気持ちだけで十分です。エリアスと同じで、私に対してもお怒りのはずなのに」

「それはっ」


 ニナから視線を外すために、テス卿の方に顔を向けた。


「すみませんでした」


 私がエリアスに対して怒っていたのを見たから、二人もそう感じたのだろう。


 でも、今は逆に怖かった。二人がポール側に付くなんてことはあり得ない……話だとは思っても……。


「頭を上げて、二人とも。お父様の命令なんだから、そこまでは怒っていないわ。エリアスに対しては、また別の理由があって、怒っていたの」

「別の理由……ですか?」

「う、うん」


 さすがにプレゼントしたネクタイとは言えない。まぁ、一緒に買い物に行ったから、薄々分かっているのかもしれないけど。


 ボロが出る前に、私はテス卿の腕を引いた。


「それじゃ、先に行っているわね」

「はい。お気をつけて」


 ニナに見送られながら、部屋に向かっていった。



 ***



 お嬢様の姿が見えなくなるまで、私はその場を離れなかった。


 やはり心細い思いをされているのだろう。早くに奥様を亡くされて、エリアスも連れていかれた。


 旦那様は……というところで振り返り、寝室の扉を見つめた。

 右手を上げて二回叩く。


「ニナです。確認したいことがあるのですが、よろしいでしょうか。私一人です」

「……入れ」


 重厚だが、拒絶がない声に安堵した。もしかしたら、扉越しにお嬢様との会話を聞いていたのかもしれない。


 静かに扉を開けて中に入った。

 室内は先ほど出た時と変わらない、病室のような空気に包まれていた。

 ベッドに近づき、横になっている旦那様の傍に立った。


「何の確認だ?」

「お嬢様のことです。もう巻き込まないようにするのは、無理だと思います」


 私の言葉を拒絶するかのように黙る旦那様。

 それはそれで丁度いいと思い、私は言葉を重ねた。


「すでに悲しんでおられました。旦那様のことも、エリアスのことも。何かできないかと考えておられました」

「分かっている。聞いていたからな」


 やはり、寝た振りをしていたのね。

 お嬢様の前では、良い父親でいたい。それが旦那様の望みだけど。


「だから、事が済むまでキトリーの元にいてもらう。そのつもりで支度をしろ」

「……私は、お嬢様を蚊帳の外に置くことに、納得できません。奥様もその部分に関しては、困っていらっしゃいました。一言、ただ一言でも教えてくれればいいのに、と」


 奥様に似ているお嬢様もきっと、同じような結論を出すはずだ。

 しかし、旦那様には伝わらなかった。


「分かっている。だがな、これは私の気持ちの問題なんだよ。イレーヌやマリアンヌ、私の大事な者たちに何一つ、心労を与えたくない。そんな我が儘なんだ」

「では、私の多少の我が儘も聞いていただけますか?」

「何?」


 まさかそう切り返されるとは思ってもいなかったのだろう。旦那様は体を起こして、私を凝視した。


「旦那様は私に、お嬢様を優先するようにと仰られました」


 私がお嬢様付きのメイドになった時に告げられた言葉だ。もう五年前になる。

 奥様が伏せられたことで、お嬢様の世話ができなくなり、正式にメイドを付けられたのだ。乳母もいたけど、お嬢様の身の回りはすべて奥様がされていたため、メイドはいなかった。


 平民から貴族へ嫁がれたせいか、お嬢様の存在が心の拠り所だったのだろう。旦那様に溺愛されていたとしても。


 私が選ばれた理由は、年齢が近い方が良いというものだった。しかし、乳母の息子であり、お嬢様の幼なじみでもあるリュカもいた。

 恐らく、旦那様があまり傍に置きたくなかったのが原因だろう。お嬢様に悪い虫を付かせたくないのだ。


 エリアスを護衛から外したくらいだもの。相当、重症とも言えるわ。


「ですから、お嬢様の心身を守るためなら、旦那様の言いつけを破っても、怒らないでいただきたいんです」


 旦那様の過保護が、逆に心労を与えているという事実に気づいてほしかった。


「しかしだな……」

「しかしではありません。お嬢様も再来年で成人になられます。そしたらすぐにご結婚されるんです。嫌われて疎遠になってもよろしいんですか? 私はお嬢様が結婚されても、お傍にいます」


 お嬢様が嫌と言うまでは。


「……いいだろう。但し、条件がある」

「何でしょうか」

「私のフォローだ」

「……善処させていただきます」


 お嬢様が旦那様を嫌うはずがない。

 けれどそうなった場合は、自業自得なのだから、受け入れてほしい。それを機に、反省してもらいたいところである。

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