第56話 「あと一年の辛抱だから」

 案というのは、私とエリアスの結婚についてだ。何分、身分という壁があったから。


 一つ目は、エリアスを養子にして、私が成人する三カ月前に婚約すること。成人式と結婚式を同時に行う、という案だ。

 この世界の成人は十八歳だから、二年後の話である。


 二つ目は、私が伯爵を継いでから、エリアスと結婚する案。

 ただ、これだと爵位を継ぐのは成人した後になるから、二年以上かかってしまう。さすがに、継いだ直後に結婚式はできないからだ。


 三つ目は、カルヴェ伯爵家を継がない案。

 エリアスと結婚して、私も平民になる。お父様の許可を得ているため、リュカルートのような駆け落ちにはならない。


 その中で私とエリアスが選んだのは、最初の案だった。

 私、というかマリアンヌが夏生まれだから、婚約するのは春頃。だから、ちょうど一年後を指す。私はあと三カ月で、十七歳になるから。


「わざわざエリアスとの時間を邪魔したのよ。護衛を外したのだって、本当は嫌だったんだから。でも、ずっと護衛のままっていうわけにもいかないし」

「そうだな。俺ももっとマリアンヌの傍にいたい」

「……うん。だから我慢して。あと一年の辛抱だから」


 私は両手を上げて、エリアスの頬を触った。私が撫でるよりも先に、顔を傾けて頬擦りするエリアス。


 途端、私の右手を掴み、手のひらに口付けた。驚いて両手を引っ込めようとしたら、左手も掴まってしまう。


「エリアス?」


 何をするの? と思った瞬間、引き寄せられた。いや、正確には起こされたのだ。


 その先にあるのはエリアスの胸。ぶつかると思った。が、衝撃はなかった。代わりに体を横に向けられ、足も下ろされる。


 久しぶりだった。エリアスが傍にいるのに、膝の上ではなく、直接ソファに座るのが。


「マリアンヌ」


 エリアスは床に腰を下ろす。騎士じゃないから、跪くことまではしなかったけど、まるでそんな気分を味わった。


 私の膝に腕を置いてう。


「我慢するから、気持ちを聞きたい」

「私もよ、エリアス。……愛しているわ」


 エリアスの手を取って、その指先にキスをした。

 今はまだ、すべての要求は呑めないけど、答えられるものは答えたかった。


 私なりの愛情表現で。

 足りないって言うから、少しだけ頑張ってみた。


 どうだったかな、とエリアスの方をそっと見る。目が合った瞬間、立ち上がって私との距離を詰めてきた。


 どうしよう。これくらいは受け入れる? ダメ?


 よし! 久しぶりに選択肢を出してみよう。


 1,目をつむって、キスを受け入れる

 2,不意打ちで抱き締める

 3,何もしないで、要求を受け入れる


 あっ、拒否するっていう選択肢を入れ忘れた!


 慌てて付け足そうとした瞬間、時間切れになった。


 エリアスに何かされたのではない。扉がノックされたのだ。


 それは面会終了のサイン。お父様が規制した、エリアスとの逢瀬の。


 う~ん。シンキングタイムが短かった。いや、あそこで選択肢を出した私が悪いんだけど。


 目の前で彷徨さまよう、エリアスの手。不意に私は二番を選んだ。


「マリアンヌっ!」

「少しの誤差は許してくれるじゃない、いつも」


 ノックをしているのは、テス卿である。事情を知っていても、他の使用人ほど厳しくはなかった。

 新参者だからか、それとも気持ちを汲み取ってくれているのか、までは分からない。


「一分だけ」


 そう言うと、エリアスも私の背中に腕を回してくれた。

 同じ気持ちだと思うと、胸が熱くなった。



 ***



 次の日も私は外出した。勿論、エリアスへのプレゼントを買うためだ。


「またあのお店に行かれるんですか?」


 隣を歩くニナが、怪訝な表情で尋ねてきた。


 まぁ、そう思うのは無理もないか。ニナはケヴィンを良く思っていない理由の一つが、あのお店だから。


「別に表通りのお店でも良いと思いますよ」

「ニナにあげるプレゼントだったらね」


 私が専属メイドであるニナに、プレゼントをあげることは、けしておかしいことじゃない。それも、高価な品物であっても、周りは不思議に思わないだろう。


 なぜなら、貴族社会ではよくあることだからだ。

 普段お世話になっている者へ、主人から別に報酬をあげたり、よく尽くしてもらうためのモチベーションアップのため。あとは、影で動いてもらうため、などがあるらしい。


 けど、エリアスには?

 もう私の護衛じゃなくなったから、高価な品物は渡し辛かった。今回のカフスも、実はギリギリなのだ。


「お嬢様。私はそういうつもりで言ったわけではありません」

「分かっているわ。でも、それが私の気持ちなの」


 今日の服だって、ニナが選んでくれたものだ。

 市場に行くわけじゃないから、普段から着ているピンク色の服を。代わりに、私はニナに赤い服をリクエストした。


 頻繁に外出するようになってから、お父様にお願いして、ニナの服を数着、作ってもらったのだ。赤い服はその時、仕立てた物で、薄いオレンジ色の髪をしているニナに、とても合っていた。


「黄色いリボンとか、どう? その服に似合いそう」

「私はこの服で十分です。それよりも、リボンが必要なのはお嬢様の方ではありませんか?」

「えっと、その……」


 そう、ニナが渋る最大の原因はケヴィンじゃない、エリアスだった。


 貴族令嬢というのは不便で。メイドに着替えを手伝ってもらわなければならない。髪のセットやお化粧まではいいが、自分で着られる服までも。

 すると自然に、昨夜、付けられた鎖骨の下の跡が……見えてしまうわけで……。


「別に口止め料というつもりで、言ったんじゃないの。ニナも、私にとっては大事な存在だから、そういう意味で……ね?」

「分かっています。ただ、今日も買うのは危険ではないのですか? つけあがりますよ」

「えっと、今日はそういう意味じゃないの。私がね、用意するって宣言したから」


 何もなかったら、嘘つきになってしまう。それに――……。


「もしかしたら、期待していると思うから」

「それがよくないと言うのです。あまりにも目に余りましたら、旦那様に言いますよ」

「大丈夫。今日はそうならない物を買いに行くんだから」


 そう、ネクタイを。

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