第11話 「マリアンヌは絵が描ける?」

 転生前の世界では、優秀な者なら誰でも、その意思と努力と運があれば、上にのし上がれる。けれど、この世界は違う。生まれですべてが決まってしまうのだ。


 エリアスだって、上に行ける未来があるのなら、行きたいと思うはずだ。地位と権力、財産がある未来なら、尚更そう願うだろう。

 それに本来、享受きょうじゅされるべきものなのだから、受け取る権利がエリアスにはある。


 外出は、そのための手段だった。


 図書室で首都の地図を見たが、残念ながら、どこにバルニエ侯爵家があるのか、分からなかった。

 いくらマリアンヌがここで生まれ育ったからといっても、貴族街を熟知しているわけじゃない。直近の記憶でも、屋敷の外より、お母様の寝室とマリアンヌの部屋ばかりだったから。


 そうなると、手段は一つしかない。徒歩で、それらしきお屋敷を見つけることだ。


 侯爵家なのだから、ウチよりも広くて格式が高い。そこを探せば……。見つかると思う? ないない。ヒロイン補正は攻略対象者に対してだけだよ。


「役に立たないな」

「ごめん」


 エリアスの声に私はビックリした。もしかして、声に出ていた!?


「えっ、ち、違うの。役に立たないって言ったのは私のことで、エリアスのことじゃないの」

「いや、当たっているよ。従者になったっていっても、それらしいことすらしていないし。護衛の仕事ができれば、旦那様にマリアンヌの外出許可を申請できるだろう」

「そう言っても、身の回りのことはニナがやってくれているし、スケジュールを管理するほど、予定があるわけじゃないから。しょうがないよ」


 エリアスがやっているのは、ニナの手が回らないところを、補佐するくらいだった。


「ニナだって言っていたじゃない。始めの内は、こんなものだって」

「でも、何かそれらしいのがしたいんだ」


 そうだよね。手持ち無沙汰って結構キツイもんね。優秀であるなら、尚更。


 1.エリアスの提案通り、庭を散策しに行く。

 2.大人しく室内にいる。

 3.他の提案を出してもらう。


 私は脳内に選択肢を出現させた。散策はさっき、断ったからナシ。室内で大人しく何をする?


「う~ん。じゃ、何か考えてみるのはどう? 外出ができない、その代わりのものを」


 思い切って、他の提案を出してもらうことにした。


「つまり、退屈をまぎらわせるものを考えろってこと?」


 折角、オブラートに包んだ物を出さないでよ。


「う、うん。どうかな?」


 面倒と言われてしまわないか、エリアスの様子をそっと窺った。すると、真剣な眼差しで室内を見渡している。


 あれから月日が経っても、私の部屋はあまり変化がなかった。しいていうなら、あちこちに花を飾ったくらいだ。庭を散策している時に貰った花を。


 誰かから、私が押し花を作ったことを聞いたらしく、庭師がそれ用の花をくれるようになった。


「お嬢様、こちらを使ってみてはいかがですか? 押し花に向いている花ですよ」


 失敗したことまで知られていて、初めは凄く恥ずかしかった。だから、部屋に飾る用の花も、一緒に見繕みつくろってもらうようにお願いしたのだ。全部、押し花にするのは勿体もったいないから。


 すると、今度はお父様から花瓶をいただくようになった。それも、柄が鮮やかだったり、形が独特だったりする物を。


「屋敷の絵や壺を調べているみたいだから、それに近い物にしてみたんだけど、嫌だったかい?」


 そんなわけで、私の部屋は少しだけ華やかになっていた。良くも悪くも。


「マリアンヌは絵が描ける?」


 ふいに話しかけられ、一瞬何を聞かれたのか分からなかった。


「絵だよ、絵。描いているのを見たことがないし、聞いたことがないから、どうかなって」

「……分からない。随分と描いてないから」


 マリアンヌの記憶でも、絵を描いている姿はない。お母様が伏せていたのだから、それどころではなかったのだろう。


 問題は、私か。そう、私だ。どれくらい、描いていないのか、分からないくらい、記憶にない。


 エリアスが提案してくれたことだから、採用はしたい。だから念のため、ワンクッションを入れておいた。が、それもすぐに悟られてしまう。


「腕前を心配しているのなら大丈夫だよ。俺も描くから」

「描くって何を? もう決めているの?」


 まぁ、提案したのはエリアスだから、絵の題材もすでに決まっていてもおかしくはない。だったら、参考にさせてもらおうかな。


「マリアンヌ」

「え? 私? 何で」

「またマリアンヌが攫われたら、捜索手段に絵姿があった方が便利だからだよ」


 なるほど。カメラがこの世界に、あるのかどうかは知らない。けれど、新聞があるのだから、おそらくカメラもあるのだろう。十二歳の子共に、新聞を見せてくれるわけではないので、確認できないが。


 それでも、屋敷に写真が飾られていないところを見ると、高価なものなのだろう。であるならば、絵描きの出番だ。

 物語の中でも、王侯貴族の結婚相手を選ぶ時、相手側から贈られてくる肖像画を見て決めるシーンがある。転生前の世界でいうところの、お見合い写真だ。


 わざわざ絵描きを雇うよりも、自分で描けば安上がりだし、私の退屈しのぎにもなる。さすがエリアス。


「だったら、私はエリアスを描こうかな」

「えっ」

「そんなに驚くこと?」


 自分で提案しておいて。


「いや、だって他に描く物が色々あるだろう」

「そうだけど。エリアスが私を描くなら、ちょうど良いかなっと思って」


 そう『アルメリアに囲まれて』のエリアスルートを思い出すのに、ちょうど良いと思ったのだ。当の本人を見ながら思い出せればいいんだけど、さすがに淑女としてはしたない行為に違いないから。


 運よく思い出せれば、バルニエ侯爵家の位置やヒント、さらにエリアスを侯爵に引き合わせることが、できるかもしれない。


 そう思いながら、挑んだことだったのだが、すぐにエリアスが渋った意味を悟った。


 相手に描いてもらうだけなら、必ずしも正面を向く必要はない。けれど、互いを描き合うのは、どうしても向き合う必要があった。


 こ、これは思った以上に恥ずかしい。


 エリアスの視線に耐えながら、ペンを動かす。画板にと受け取った板を傾けて、さりげなく視線から逃れようとする。


「マリアンヌ。描けないよ」

「……うん」


 返事と同時に、画板を下げる。けれど、我慢できずに同じことをしてしまう。


「マリアンヌ」

「……ごめんなさい」


 もうどっちが主人か分からないやり取りを、何度、やっただろう。渋っていたわりに、エリアスは黙々と絵を描いている。


 よく見ると、ちらちら見ている私と違って、長く見た後、同じくらいの時間、紙に向き合う。


 なるほど、そうすれば恥ずかしくないのか、と真似をしてみた。すると、長く見ている時間が重なり、当然目が合う。


「「っ!」」


 目を逸らしたのは、エリアスが先だった。少しだけ、顔が赤いようにも感じる。


「ふふふっ」

「マリアンヌ!」

「ごめんなさい」


 そう口にはしたけれど、笑いが止まらなかった。


 なんだ、恥ずかしがっていたのは、私だけじゃなかったのね。むしろ、それをひた隠しにしていたエリアスの努力が、とても可愛く見えた。



 ***



 出来上がった絵は、ちょうどお茶を持ってきたニナに、判定してもらうことにした。


「出来栄えが良いのを選ぶんですか?」

「ううん。他の人が見ても、判別できるかどうか、見てほしいの」


 判定する前に、私とエリアスが絵を描くことになった経緯を説明した。すると、ニナはテーブルの上にある紙を、手に取った。


「一応聞きますが、お嬢様とエリアス……ですよね」


 二枚を交互に見てから、再度私の方を見た。


「見えないと思うけど、そうよ」

「でしたら、お二人とも。精進なさってください」


 つまり二枚とも、判別できない、ということだった。

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