第9話 「あげるって言ったけど……」

 伯爵邸にやってきたエリアスは、私の心配など、不必要だったとばかりに、周りに馴染なじんでいた。それはひとえに、エリアスが優秀だったからだ。


 元々、『アルメリアに囲まれて』のエリアスも、それが理由でバルニエ侯爵に目をかけられて、養子になったのだから、無理もない。なるべくしてなったことだった。


 それは分かっている。分かっているからこそ、悩んでいた。


「あげるって言ったけど……」


 マリーゴールドの押し花で作ったしおりを手に持ったまま、私は机に伏せた。


 あの日、帰ってからすぐに、押し花作りに取りかかった。分厚い本は、伯爵邸に山ほどあるから、作るのに不便はなかった。


 あったのは、選んだ花だった。マリーゴールドは立体的で花びらが多いため、押し花に向いているとは言えない。それでも花びらを間引まびいて、丁寧に合わせてあげれば、作れないことはなかった。


 そうして、ようやくできた物をお父様にあげたのだ。


「黄色いマリーゴールドの花言葉は健康と言うんです。お父様にはいつまでも元気でいてもらいたいので、作りました」


 媚びて言ったのではなく、純粋な気持ちから出た言葉だった。マリアンヌの悲劇は、お父様の死から始まるから、長生きしてほしくて。


「ありがとう、マリアンヌ。とても大事にするよ」


 そうとは知らないお父様は、感激してずっと持ち歩いてくれているらしい。本当にご利益があるといいな。


 無事に、お父様に渡すことができたが、問題はエリアスだった。


「これ、どうしようか」


 本来の目的を果たせず、行く先をなくした栞を机の上に置いて、私は立ち上がった。こんな時は、気分転換に散歩に行こうと思ったのだ。


 エリアスが伯爵邸に来てから、私は教会に通うのをやめた。正確には、誘拐騒動で外出を自粛せざるを得なかったのだ。


 それでも出かけたいと言えば、出かけられるが、お父様もニナもいい顔をしない。だから最近は、伯爵邸の散策が私の楽しみになった。


 押し花を作る時に使っていた図書室を筆頭に、客間やダイニングを覗いて歩く。迷惑にならないように、使用人たちがいない頃を見計らって。


 今は廊下に飾られている絵画や壺を眺めた後、図書室で調べるのが日課になっていた。


『アルメリアに囲まれて』では、それらを叔父様に売られてしまうのよね。相場がいくらするのか知らないけど、教養を学ぶのは、この世界を知る近道になる。今度、お父様に頼んでみようかな。


 それに護衛対象の頭が悪かったら、絶対に迷惑をかけてしまう。それはダメ! うん。図書室に行って少しでも勉強しよう。


「そうしよう!」


 気合を入れて、扉の近くまで来た時だった。ノックの音が聞こえた。


 ここで「どうぞ」と言ったら、至近距離で迎えることになってしまう。私が慌てて後退ると、足がもつれてそのまま尻餅をついた。


「マリアンヌ!」


 凄い音だったのだろう。ノックをした相手、エリアスが許可も得ずに入って来た。


 さすがヒロイン。攻略対象者が近くにいると、ドジっ子属性が発生するのかな。それはちょっと困る。折角せっかく、貴族令嬢に転生したのに、優雅に振る舞えないなんて。


 私は内心、責任転換していると、エリアスに抱き上げられて、ソファに座らされた。


「ありがとう」


 こんなヒロインに比べて、攻略対象者はなんてスマートなの。ううぅ。


「大丈夫か?」

「うん。平気」

「……旦那様から、マリアンヌが『平気』とか『大丈夫』と言っても、信用しないようにって言われているんだけど」


 お・と・う・さ・ま~! そんな情報、吹き込まないで!


「別に強がって言っているわけじゃないの。本当に大丈夫だから」


 心にダメージを受けている以外は。


 疑いの眼差しを向けられ、私はエリアスの気をらすことを口にした。


「それよりも、私に用があったんでしょう。何?」

「さっき、正式にマリアンヌの従者に任命されたんだ。だから――……」

「従者? 護衛じゃなくて?」


 まぁ、傍にいるという意味では、同じようなものだと思うけど。一体、どうして?


「俺の従者としての教養課程が終わったんだ。護衛になるからといっても、それなりに礼儀やしきたりも覚える必要があるって言われて」

「そうね。貴族社会は、そう言うところはうるさいから」


 平民を嫌うのが、その証拠だった。礼儀がなっていない、それだけでも足をすくうのだ。面倒な生き物だけど、郷に入っては郷に従え。隙を与えないためにも、必要なことだった。


「ただ護衛の方は、まだ実践で合格点がもらえないんだ」

「仕方がないよ。屋敷に来て、まだ一カ月なんだから。教養課程が終わっただけでも凄いわ」


 そう言うと、ようやくエリアスが笑顔を見せてくれた。


「ありがとう。でもマリアンヌだって、図書室によくいただろう」

「あ、うん。もしかして、エリアスもいたの?」

「分からないことがあったら、使っていいって言われていたから」

「それなら、声をかけてくれれば良かったのに」


 何の考えもなしに私はそう言った後、隣を軽く叩いて、座るようにうながした。


「俺なりのケジメだよ。マリアンヌの傍にいることを、正式に認めてもらうまでは、会わないって決めていたんだ」

「えっ」


 エリアスはひざまずき、ソファの上にあった私の手を取った。


「だから、約束の物を貰いたいんだけど。いいかな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る