ジュウガツムイカ

 ハッと目が覚めた。恐る恐る上体を起こして、キョロキョロと周りを確認した。

「俺ん家だ! 夢だ! 夢だったんだ⁉︎」

 掛け布団を舞い捨て、ベッドに立ち上がり、隣人や外のことなど気にせず、大声で叫んだ。ただただ、自宅で寝ていることが、ただただ、幸せなんだと気づいた。

 あ~、よかったよ。ホンット、マジでよかったよ。そう思うと涙がホロリと頬をつたう。

 枕の横に置いてあるスマホを手に取り、画面を見る。10月6日、午前2時50分、まだこんな時間だったんだ。安堵すると尿意を催した。オシッコをしてまた寝ようかと、ベッドを降りて部屋を出た。1DKでキッチンの向かいに風呂とトイレがある。

 トイレのドアノブに手をかけたとき、何か妙な違和感がした。けれど、あんな変な夢を見た後で、気持ちが落ちているだけだなと、特に気に留めず、用をたした。水を流し、ドアノブに手をかける。すると、急に突っかかっていた違和感が姿を現したかのように声に出た。「ジュウガツムイカ」……10月6日⁈ な、何で? 今日は4日のはず……いや、日付が変わったから5日になる。そうだよね? 頭の中が疑問と困惑、不審感でいっぱいになり、身震いをした。とりあえず、部屋に戻り落ち着こうとドアを開けた。

「ぐがわあぁぁぁ~~」

 暗いダイニングの中、トイレからの光に照らされた見知らぬ男が、目の前に何食わぬ顔で仁王立ちをしていた。……いや、見知らぬ男じゃない! 夢の中にいたあの男だ。俺は腰を抜かしその場に崩れ落ちた。

「いったい、どうしたのだ? そんな大声をあげて」

 俺を心配しているようで体を抱えて起こしてくれた。

「大丈夫か?」

「大丈夫かって、そんなわけないじゃん。何であんたがいるんだよ? 夢じゃなかったのかよ」

「夢とは?」

「だから、あの変な洞窟にいたことも、あんたに犯されたことも、全部夢なんじゃないの?」

「なぜ?」

「なぜ? だから、だから……」

 頭の中が不安と逃げ場のない状態に切羽が詰まり、泣きそうだった。悔しくて悔しくてどうしようもない。けれど、そんな追い詰められた状況だからこそ、覚悟を決めるのに時間はいらなかった。俺は、支えられた手をはねのけ、素早く部屋に戻りベッドに仰向けになった。ギシッとベッドのしなる音がした。

「もういいよ、わかった。そんなに俺を犯したいなら好きにしろよ。抵抗はしない。あんたにこの身を捧げるよ。でも、終わったら帰ってくれ、頼むから。ストーカー被害も訴えないし、だから、お願いだから」

 …………。

 何の反応もない。あれっ? おかしいなと思い、首を前後左右回してみた。……いない。あいつはどこに? 真正面を向くとこのままキスされるというくらいの距離に男の顔があった。驚愕のあまりそのまま意識を失った、フリをした。

 んっ? 何か甘い匂いがする。パキッ、と何かが折れる音と、くちゃくちゃと何かを食べる音がした。甘い匂いが香ってくる。何? 恐る恐る目を開けると少し離れたところであの男がチョコレートを食べていた。

「わっ、何やってんだよ。」

 ベッドに手をつき、女豹のようなポーズで、やつを見た。

「まだ、眠たいのか? 炎夏はよく眠るのだな」

「何なんだよ、やるなら早くやってくれよ」

「やるとは? 何だ?」

「はっ? だからセックスだろ?」

「セックス? セックス とは目合のことか?」

「えっ? 何だよ、まぐあいって」

 間の抜けた声が出た。

「ん~、性交と言えばいいかな?」

 男はチョコレートを食べるのをやめ、目を逸らした。

「性交? まぁ、そうだけど。だからやるなら早くやってくれよ。覚悟が揺らぐ前に」

「ひとつ聞いていいか? なぜ、わたしがそなたと交わらなければないないのだ?」

「はっ? そんなの俺が知るかよ。お前が言ったんだろ? 自分で」

 何だか少しずつイライラとしてきた。

「わたしはそのようなことは一言も言っていない」

「はっ⁉︎」

 勢いよく立ち上がり、やつの側に近づいた。

「お前が言ったんだろ⁉︎」

「何を言っているのか理解ができぬ」

 あくまで冷静を取りつくっているようで余計と苛立ちが増した。

「ふざけんなよ! ひとつになったって言っただろ? あの龍だって俺とひとつになるって」

「わたしはわたしとそなたはひとつだと言ったのだ」

「だ、だから! ……はっ? 何言ってんの?」

「何とは?」

「何とは? ってこっちが何とはだよ!」

 男はこっちの言っていることの趣旨が全くわかっていないようだった。こいつが言い出したことなのに何を言ったら通じるのか自分でも訳がわからなかった。

「わたしたちは交わってはおらぬ。そなたと交わって何があるというのだ」

「えっ? じゃあ、じゃあ! 俺とあんたはセックスしてないってことなのか?」

「当たり前だ」

「やっ、やったあぁー!! よかった、よかった。俺、女に挿入れたい方だよ」

 驚嘆のあまり拳を突き上げ大声で叫んだ。外でキィィ~ッと自転車の急ブレーキ音が聞こえた。こんな時間に近所迷惑だったのかもしれない。外の方の見て気持ちだけ謝っておいた。

「……何かおかしい」

 顔を近づけ瞳の中を覗くようマジマジと俺を見てきた。

「なっ、何だよ」

 嫌でもこいつの顔がしっかりと見えた。まぁ、思わなくはなかったが、イケメンってやつだ。ちょいロン毛であご髭が生えているけど、汚らしい感じは全くなくて、ものすごく爽やかだ。匂いもほのかに甘い。あっ、これはチョコレートか。

「何も分からぬのか?」

「いや、あんたはイケメンだよ」

「イケメンとは?」

 口を開こうとしたが遮られた。

「いや、答える必要はない。」

 そうなんだ。

「わたしが誰か分からぬのか?」

 唐突な質問だと思わなくはないけれど、こいつは俺のことを少なくとも名前は知っている。

「……誰?」

「何ということだ。まさか、そんな」

 男が膝をついて頭を抱えた。

「どーした?」

「きっと、こちらでの生活が長すぎて記憶を失くしてしまっているのかもしれん」

「記憶?」

「そう、わたしたちの記憶だ」

「待った。俺そういうの無理なんだわ」

「無理とは?」

「いや、だからそーゆーアニメ的な設定?」

「設定などではない。わたしたち龍人の魂は一つが分裂して龍型と人型となれるのだ」

 何こいつ、顔に似合わず厨二病なの?

「わたしが龍型、そなたが、人型」

「いやいやいや、俺、うちの母親から生まれてきてるから、養子でもないし」

「本当に忘れておるのだな」

「ごめんけど、人違いだったね」

「ならば、これでわかるか?」

 そういうと男は俺の胸に手を当てた。すると、次の瞬間視界が波打つように歪んで見えた。その先に見えたのは明後日の方を見ている自分の姿だった。それと同時にほかの誰かの、いや、多分この男の意識を感じていた。どういうことなのかと朦朧としていると、男が手を離した。それと同時に嘔吐した。

「大丈夫か?」

「大丈夫なわけねーだろ、何したんだよ」

「視界の共有だ。何か拭くものを」

「いいよ、自分でやる」

 トイレットペーパーで拭き、アルコールを振って2度拭きをした。

「フローリングのままでよかったわ。これでもしマットでも敷いてたら最悪だった」

 トイレからズタズタと歩きながら嫌味を込めて言った。

「すまぬ、そなたが吐くなど思ってもいなくてな」

「へー」

 軽い返事をし、ベッドに座った。

「ねぇ、あんたこそさ、何者? ストーカー? 今の何?」

 少し遠目でこの男を見定めながら興味本位で聞いた。男は「よし」と真剣な顔つきになり俺の横に腰を下ろした。

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